じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

半藤一利「ノモンハンの夏」から

2021-07-07 11:08:57 | Weblog
★ コロナワクチン、政府はあれだけ急かしておいて、今度は供給が追いつかないと急ブレーキ。現場の業務をあずかる自治体はたまったもんじゃなかろう。ふと、半藤一利さんの「ノモンハンの夏」(文春文庫)を読みたくなった。

★ 高校日本史の教科書「詳説日本史」(山川出版社)には欄外でこの事件を解説している。「日中戦争中のソ連の出方を警戒していた日本陸軍は、1928(昭和13)年、ソ連と満州国の国境不明確地帯においてソ連軍と戦い(張鼓峰事件)、さらに翌1939(昭和14)年5月には、満州国西部とモンゴル人民共和国の国境地帯でソ連・モンゴル連合軍と戦ったが、ソ連の大戦車軍団の前に大打撃を受けた(ノモンハン事件)。独ソ不可侵条約成立の報は、ノモンハンでまさにソ連と戦闘中だった日本にとって衝撃であった」

★ 日本政府は1936年に日独防共協定を結んだのに、ドイツとソ連の急接近はまさに「話が違いますヤン」って感じだっただろうね。ヒトラーやスターリンに比べ日本の政治家など1枚も2枚も役が下がる感じか。(「悪」で競い合うのもどうかと思うが)

★ さて、多くの犠牲を出した「ノモンハン事件」、大本営の超エリートたち(作戦を担当する参謀本部第一部第二課)の机上プランと前線の部隊との不整合。中でも唯我独尊のエリート参謀の自己陶酔があったようだ。士官学校、陸軍大学を経て形成されたピラミッド構造にも問題があったようだ(戦争を知らない私は想像するだけだが)。

★ 半藤氏はノモンハンの教訓が生かされず、「太平洋戦争で同じあやまちをくり返した」(449頁)と叱る。半藤氏は「あとがき」で、ノモンハン事件の作戦を指導した辻政信参謀との対面を紹介し、彼に「絶対悪」を見たという。そしてこれが本書を書くに至った契機になったという。さらに二十世紀前半を動かした「ケタはずれに大きい『絶対悪』」に言及し、おぞけふるう(怖れ震えるような)日本陸軍の作戦参謀も、「かれらからみると赤子のように可愛い連中」と書く(458頁)。

★ 歴史が人をつくるのか、人が歴史を動かすのか、感慨に耽ってしまう。

☆ ところで、弾も油もなく、どうやって戦えばという現場。精神論で乗り切れ、現場の判断と工夫でなんとかやれという大本営。体質は変わらんなぁ。
コメント