私たちは、誰もが幸福な人生を送りたいと願っています。しかも、その幸福が永続的なものであることを願っています。では、どうすれば永続的な幸福の道を歩むことができるのでしょうか。イエス・キリストは有名な山上の垂訓の始めに、次のような生き方や特質を備えた方が「幸いな人(幸福な人)」であることを教え、かつその根拠も明確にされました。私たちもイエスの教えられた「幸いな人(幸福な人)」の特質を備え、自分の生き方に反映したいものです。
1.「自分の霊的な必要を自覚している人たちは幸いです。天の王国はその人たちのものだからです」(マタイ5:3)。「自分の霊的な必要を自覚している人」とは、神エホバから出る教えを学び、適用する必要を自覚している人のことです。そのような霊的な必要を自覚している人たちは、日々み言葉を学び、その教えを黙想し生活に適用します(詩編1:2,3)。加えてそのような人はみ言葉を学び守り行う「思慮深い人」として人生を歩みます(マタイ7:24,25)。ような人が「幸いな人(幸福な人)」と呼ばれるのは、天の王国、つまり神の王国を受け継ぐ人だからです。
2.「嘆き悲しむ人たちは幸いです。その人たちは慰められるからです」(マタイ5:4)。ここで言う「嘆き悲しむ人」とは、世の中の不義・不公正を見て「嘆き悲しむ人」のことです。また「嘆き悲しむ人たち」の中には、くすしく創造されている命が、この事物の体制下では限界があることを感じる人たちも含まれているに違いありません。そのような人たちが「幸いな人」と呼ばれるのは、神エホバから、また善良な他の人からも慰められるからです。
3.「温和な気質の人たちは幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです」(マタイ5:5)。「温和」とは「柔和」と同じ意味です。温和という特質は神エホバから出る教えの実・霊の実の一つです(ガラテア5:22,23)。このような特質の人たちが「幸いな人たち」と呼ばれるのは、神エホバの大いなる日の戦争・ハルマゲドンを通過させて頂き、義の宿る地上の楽園に残される人だからです(啓示16:14,16.ペテロ第二3:10~13)。
4.「義に飢え渇いている人たちは幸いです。その人たちは満たされるからです」(マタイ5:6)。「義に飢え渇いている人」は丁度喉が渇き、冷たい水を求めるように、神の王国と神エホバの義をいつも第一に求めている人のことです(マタイ6:33)。このような人たちは神の王国の良いたよりをイエスの指示通りに宣明し続けます(マタイ24:14;28:19,29.ルカ4:43)。このような人たちが「幸いな人たち」と呼ばれるのは、神エホバがイエス・キリストを通して、尽きることのない平安と義に満たされるからです(イザヤ48:17,18)。
5.「憐れみ深い人たちは幸いです。その人たちは憐れみを受けるからです」(マタイ5:7)。憐れみ深い人は、神エホバとそのみ子イエスが示された憐れみの特質に見倣い、自分の生活に適用している人です(ペテロ第一2:21)。憐れみ深い人は、み言葉聖書に基づき神の王国の良いたよりの真理を証しします(マタイ24:14;28:19,20.ルカ4:43)。そのような「憐れみ深い人たちが幸い」なのは、神エホバがみ子イエスを通して憐れみ深く扱ってくださるからです。そのような人は、もちろん憐れみ深い人たちからも憐れみを受けます。
6.「心の純粋な人たちは幸いです。その人たちは神を見るからです」(マタイ5:8)。「心の純粋な人たちは」は「目の純一」な人たちであり、「天に宝を蓄える」人のことです(マタイ6:19~22)。つまり神エホバのご意志を学び、そのご意志を守り行う人です。「心の純粋な人たちは」はみ言葉聖書と神エホバの被造物を通して、神エホバについて学び、神エホバを知り・知覚し、神エホバに近づく人です(ローマ1:20.ヤコブ4:8)。
7.「平和を求める人たちは幸いです。その人たちは「神の子」と呼ばれるからです」(マタイ5:9)。「平和」は霊の実の一つです(ガラテア5:22,23)。さらに、「平和を求める人」とは「平和を造りだす人」のことです。平和を求める人は、もはや戦いも学ぶことはありません (イザヤ2:4)。そのような人たちが「幸いな人たち」と呼ばれるのは、「神の子」と神エホバから呼ばれるからです。
8.「義のために迫害されてきた人たちは幸いです。天の王国(神の王国)はその人たちのものだからです」(マタイ5:10)。「義のために迫害されてきた人たち」ば使徒パウロやペテロのように、神の王国の良いたよりを宣明するのを止めるように迫害されも、神の王国の良いたよりを徹底的に宣明する人たちとです(使徒12:1~11;21:26~32;28:23)。神エホバの義を求める人たちは悪を容認しません。そのような義のために迫害される人たちが「幸いな人たち」と呼ばれるのは、神の王国を受け継ぐ人たちだからです。
イエス・キリストが上のように述べられた特質を培い、日々の生活に適用し、「幸いな人」の一人に加えて頂きたいものです。
青春の 想い出遠く 花いかだ 今日の一句
近くの石垣の間に咲く「紫カタバミ」