裏庭の女郎花に紅シジミチョウが来て盛んに吸蜜しています。
この時期になると蝶たちは吸蜜に夢中で、カメラを接近させても
比較的驚くこともなく翼を開閉します。
紅シジミ蝶は羽根の表と裏では紋様がまるで違います。
今日は女郎花に紅シジミ蝶とネムノキ エバーフレッシュを紹介致します。
女郎花に「紅シジミ蝶」
姉妹の鉢植えの「ネムノキ エバーフレッシュ」
裏庭の女郎花に紅シジミチョウが来て盛んに吸蜜しています。
この時期になると蝶たちは吸蜜に夢中で、カメラを接近させても
比較的驚くこともなく翼を開閉します。
紅シジミ蝶は羽根の表と裏では紋様がまるで違います。
今日は女郎花に紅シジミ蝶とネムノキ エバーフレッシュを紹介致します。
女郎花に「紅シジミ蝶」
姉妹の鉢植えの「ネムノキ エバーフレッシュ」
皆様方は、神エホバが「最大の愛の行為」を示された方として感謝を表される方であれば幸いな方です。神エホバは偉大な創造者であられ、私たちの命は神エホバのご意志によって存在していますので、「最大の愛の行為」を示された方につて、思いを巡らし、栄光と賛美を帰すことはふさわしいことです(啓示4:11)。聖書から神エホバの「最大の愛の行為」について御紹介致します。
イエスを一本の杭に着け、処刑を指揮したローマの百人隊長は、イエスの贖いの死の前に生じた闇と、死後に生じた激しい地震に大いに驚きました。そして、「確かにこれは神の子であった」と言いました(マタイ27:54)。イエスが普通の人間ではないことが明らかでした、その軍人は、至高の神エホバの独り子イエスの処刑に手を貸したのです。では、このみ子イエスは、み父エホバにとってどれほど大切な方だったのでしょうか。
聖書はイエスを、「全創造物の初子」と呼んでいます(コロサイ1:15)。お分かりでしょうか。神エホバのみ子イエスは、物質宇宙が生まれるより前から存在していたのです。では、み父エホバとみ子イエスはどれほど長い間共におられたのでしょうか。宇宙の年齢を130億年と推定する科学者たちがいます。皆様方は、それほどの長さの時間を想像することが出来るでしょうか。科学者の推定による宇宙の年齢を理解する助けとして、あるプラネタリウムには、長さ110mの年代表があります。訪れた人がその年代表に沿って歩く時、1歩は、宇宙の存在期間における約7,500万年に相当します。年代表の最後に、人類史の全期間が、何と人の髪の毛ほどの太さの線1本で示されています。皆様方の中には、テレビでこの年代表が紹介されましたので、ご存知の方もおられるかも知れません。この年代表の推定が正確であるとして、その年代表全体をもってしても、神エホバのみこ子イエスの命の長さを表すには足りません。それほどの長い年月、み子イエスは地上に遣わされる前、天で何を行っておられたのでしょうか。
み子イエスは、み父エホバの用いる「優れた働き手」として喜んで天でみ父エホバに仕えていました(箴言8:30)。聖書はこのように記しています。「「み子」を離れて存在するようになったものは一つもない」(ヨハネ1:3)。ですから、み子イエスは神エホバと共に天で働き、他のすべてのものを生み出されたのです。神エホバとみ子イエスのお二方は、何と胸の躍る幸福な時を天で過ごされたのでしょう。さて、大抵の人は親子の間に愛が極めて強いことを認めます。また、愛は「結合の完全なきずな」です(コロサイ3:14)。では、先に述べたような果てしなく長い期間にわたって存在しているきずなの持つ力は、私たちには見当もつかないのではないでしょうか。神エホバとみ子イエスが、他のすべてに勝る最も強い愛のきずなで結ばれていることに、疑問の余地はありません。
それにも関わらず、み父エホバはみ子イエスを地球に遣わし、人間の赤子として処女マリアから生まれるようにされました。そうすることは、み父エホバにとって、愛するみ子イエスと幾十年かの間天で親しく交われないことを意味しました。イエスが地上で成長して完全な大人になるのを、神エホバは天から、強い関心をもってご覧になりました。イエスは、およそ30歳の時にヨルダン川で水のバプテスマを受けました。み父エホバがイエスについてどうお感じになられたかは、推測するまでもありません。み父エホバご自身が、天からこう言明されました。「これはわたしの子、わたしの愛する者である。この者をわたしは是認した」(マタイ3:17)。イエスが、預言されていた事柄すべてと求められている事柄すべてを忠実に行うのを見て、み父エホバは大いに喜ばれたに違いありません(ヨハネ5:36;17:4)。
しかし、西暦33ニサン(春の)14日、神エホバはどうお感じになられたでしょうか。イエスがユダ・イスカリオテに裏切られ、次いで夜間に暴徒に捕縛された時、み父エホバはどうお感じになられたでしょうか。イエスが弟子たちに一時的に見捨てられ、不法な裁判にかけられた時はどうでしょうか。あざけられ、つばを吐きかけられ、こぶしで殴られた時、また、むち打たれ、背中の皮膚がひも状に裂けた時はどうでしょう。み子イエスの手足をくぎ付けにされて木の柱に掛けられ、人々からののしられるままにされた時はどうでしょう。愛するみ子イエスが激痛にもだえながらみ父エホバに向かって呼ばわった時、み父はどのように感じられたでしょうか。み子イエスが息を引き取り、すべての創造の業の開始以来初めて、愛するみ子が死に至った時はどのようにお感じになられたでしょうか(マタイ26:14~16,46、47,56,59,67;27:38~44,46.ヨハネ19:1)。
親の立場で考えれば、言葉を失うのではないでしょうか。神エホバは感情を持たれる方です。その神エホバがみ子イエスの贖いの死に関して味わわれた苦痛を言葉で表現することなど、私たちにはできません。表現できるのは、み子イエスの贖いの死に与えられた神エホバの動機に関してです。み父エホバはなぜ、そのような苦しみの感情を忍ばれたのでしょうか。神エホバはヨハネ3章16節に記されています。その聖句は非常に重要なので、縮小版福音書とも呼ばれています。このように記されています。「神(エホバ)は世(一般人類社会の人々)を深く愛してご自分の独り子(イエス)を与え、だれでも彼(イエス)に信仰を働かせる者が滅ぼされないで、永遠の命を持てるようにされた」(ヨハネ3:16)。したがって、神エホバの独り子イエスをお与えになった動機はこの愛だったのです。み子イエスを約束に従ってこの地上に遣わし、私たちの罪と死からの解放のために、苦しみと死を経験させるという神エホバからの贈り物は、史上最大の愛の行為でした。神エホバの「最大の愛の行為」は、イエスの贖いの死に信仰を働かせ、神エホバのご意志を行うほかの羊の大群衆は温和で義を行う人々であり、この地上から諸悪が断ち滅ぼされ、地上が義の宿る楽園に回復されるとき、エホバの民の永遠の命の道を開くものとなったのです(詩編37:29.マタイ5:5.ヨハネ10:16.ペテロ第二3:10~13.啓示7:9,14;21:3~5)。
「参照資料」:ものみの塔聖書冊子協会発行、「エホバに近づきなさい」誌、231~234P。
休みなく 鈴虫の鳴く 夜半かな 今日の一句
台風15号通過を無事に超え卵を抱き続ける「キジ鳩」
(9月1日撮影)