雨上がりの庭で、赤のバラが雨に濡れた状態で
下を向いていました。
バラや花々は雨に濡れても元気を取り戻し
私たちにたくさんの楽しみを与えてくれます。
今日は雨に濡れた赤のバラと露草の花を紹介致します。
雨に濡れた庭植の「バラ」
道端に咲いている「露草」
雨上がりの庭で、赤のバラが雨に濡れた状態で
下を向いていました。
バラや花々は雨に濡れても元気を取り戻し
私たちにたくさんの楽しみを与えてくれます。
今日は雨に濡れた赤のバラと露草の花を紹介致します。
雨に濡れた庭植の「バラ」
道端に咲いている「露草」
現在の社会は、性の不道徳・淫行、姦淫が蔓延しています。そのため健全な家族生活が損なわれ、家庭崩壊が続いています。なぜ、現在社会は性の不道徳が蔓延しているのでしょうか。どうすれば、蔓延している性の不道徳の「淫行・姦淫」を避けることが出来るのでしょうか。
性の不道徳の蔓延する原因は複合的な要因が重なり、人々が愛を学ばず、自己中心主義に陥り、「神(エホバ)を愛するより快楽を愛する者」となり、多くの人々の属する宗教は形だけで実質のない者となっているからです(テモテ第二3:1~5)。日本の社会においては、戦後もしばらくは「貞潔を守る」ことの重要性が家庭や学校や地域でも教えられていましたが、私の記憶では、昭和40年代の半ばころにはそうした規範を守る言葉が消えて言ったように覚えています。その背景には、当時の映画産業が「ロマンポルノ」と称し、性の不道徳を売り物にしたものが登場し、その後、または並行し不倫小説や雑誌や週刊誌や漫画を通し、守るべき性の道徳の規範が崩れていったと感じています。さらに、テレビが普及し、家庭でドラマを楽しむようになり、そのドラマの中に「不倫ドラマ」が登場、不倫、つまり姦淫・淫行を甘美な愛のように描き、家庭内に誤った娯楽番組が浸透して行きました。その後インターネット社会になり、性の欲望を誘う有害な「ポルノ」が流され、大きな悪影響を与えているようです。恐らく専門家の分析をみれば、性の不道徳を売り物にするものが、巨大な産業化をし、堂々と拡大していることを指摘されているのではないでしょうか。そのようにして、人間が守るべき性の道徳が、多くの人々の心から消え、現在の性の不道徳の「淫行・姦淫」が蔓延し、その結果多くの人が「望まない妊娠」をしたり、エイズ感染や家庭崩壊の苦しみと悲しみを刈り取っているのではないでしょうか(ガラテア6:7)。
性の不道徳の「淫行・姦淫」を避けるために、聖書は何と教えているでしょうか。聖書には、男性と女性を創造し家族制度、つまり結婚制度を設けられたのは神エホバであることが記されています(創世記1:27;2:18,20~24)。ですから、結婚の創始者エホバ神の考えを学べば、「淫行・姦淫」を避けることが出来ます。聖書には、まだ聖書のなかった時代に生きた一人の容姿の美しい若者ヨセフが、ポテパルの妻から、夫の不在時に「性の不道徳」を強要された場面が記されています。若者のヨセフはポテパルの妻の性の不道徳の誘惑を退けました。その時若者ヨセフは「神(エホバ)に対して罪を犯すことは出来ない」と言って、その誘惑を退けています(創世記39:1,7~9)。み言葉は「淫行」が悲惨な結果を招くことも具体的に教えています(創世記34:1~31)。この事例から分かることは、結婚の創始者エホバ神の性に関する正しい見方を身に着けている、ことが身の守りであることが分かります。その後神エホバは明確に「姦淫をしてはならない」と律法を与え、「姦淫」は「殺人」と同じ罪である事を教えました(出エジプト記20:13,14)。こうした神エホバのお考えを学び、身に着けることは「淫行・姦淫」を避ける心の備えが出来ます。
さらに、イエスは、有名な山上の垂訓の中で、「女を見つづけてこれに情欲を抱く者はみな、すでに心の中でその女と姦淫を犯したのです」と、と教えられました(マタイ5:28)。ですから、女性を見続けて、決して情欲を抱くことのないように注意するなら、心の中の姦淫も避けることができるでしょう。決して目の欲望に誘われてはならないのです。
み言葉は、「淫行・姦淫」を朽ちる「肉の業」であり、神の王国を受け継ぐことはない、と警告しています(ガラテア5:19、21)。こうした、み言葉を学び、神エホバの教えの愛や、霊の実九つを培うなら、性の不道徳の「淫行・姦淫」を避けることができるでしょう(コリント第一13:1~8.ガラテア5:22,23)。神エホバの教えの必要を自覚される人たちは幸いです(マタイ5:3)。
刺の皮 開き食べ頃 栗拾う 今日の一句
庭に咲いている「ガーベラ」