愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

黒アゲハ「ジャコウアゲハ蝶」と花トラノオの花

2015-09-12 17:28:27 | 四季折々の花々

 今日の久しぶりに晴れた庭のランタナに、

 黒アゲハの「ジャコウアゲハ蝶」が忙しく吸蜜に来ていました。

 花から花に忙しく移動していました。

 間もなく花の時期も終わりますので、蝶たちの生活も忙しそうです。

 今日は黒アゲハの「ジャコウアゲハ蝶」と花トラノオの花を紹介致します。

           庭のランタナで忙しく吸蜜している「ジャコウアゲハ蝶」

                  (上の蝶は同じ蝶です)

                    庭に咲いている「花トラノオ」

 

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「邪悪な者は・・・風の吹き払うもみがらのようだ」(詩編1:4)

2015-09-12 17:10:07 | 神の言葉・聖書

 農業のご経験のある方は、「もみがら」がどのようなものかをご存知ですが、都会暮らしの方の中は「もみがら」がどのようなものかを思い描くことができない方もいらっしゃるかも知れません。「もみがら」は、稲穂が実ると、黄色く色付いているお米の葉面の「殻」です。このもみがらは、風が吹くとさえらさらと吹き流されてゆき、流されるままになります。また、農家では大量のもみがらを田んぼで焼くこともあります。み言葉・聖書は次のように警告しています。

 「邪悪な者はそうではない。むしろ、風の吹き払うもみがらのようだ」(詩編1:4)。多くの方々は、風に吹き流されるもみがらのような人生を送りたいとは考えません。しっかりとした人生の目標を定め歩みたいと願っています。しかし、ここで述べられている「邪悪な者」とは、日毎にみ言葉を学び、その教えを黙想し、自分の生活に適用しない人を指しています。そのような邪悪な者の人生の結末は「風の吹き払うもみがらのようだ」と、警告しているのです。では、自分の人生を成功に導き、祝福を受けるにはどうすれば良いのでしょうか。詩編1編4節の前の詩編1編1節~3節にその秘訣が記されています。次のように記されています。

 幸いなるかな邪悪な者の計り事に歩まず、

      罪人の道に立たず、

      あざける者の座にすわらなかった人は。

  かえって、その人(幸いな人)の喜びは

      エホバの律法にあり、

     その律法を昼も夜も小声で読む。

  そして、彼(毎日小声で律法を読む人)は必ず水の流れの

      ほとりに植えられた木のようになり、

     それはその季節に実を与え

     その葉は枯れることがない

     彼の行うことはすべて成功する(詩編1:1~3)。

 上の聖句は人生に成功を収める秘訣を簡潔に示しています。それは、①邪悪な者と共に行動せず、悪を行わないこと、②毎日エホバの律法、つまり聖書を読み、黙想し、自分の生活に適用すること、です。毎日、み言葉を学び、その教えを黙想し適用する人は、豊かな霊的な実他の人に与えることができ、他の人も自分も爽やかになり、人生に成功を収める保証の言葉となっています。邪悪な者と幸いな人との違いを浮き彫りにし、教えています。だれでも「邪悪な者」ではなく幸いな人」と呼ばれたいと思われるのではないでしょうか。

 イエス・キリストは有名な山上の垂訓の始めに、自分の霊的必要を自覚している人たちは幸いです。天(神)の王国はその人たちのものだからです」と教えられました(マタイ5:3)。さらにイエスは、次のように教えられました。「それゆえ、わたし(イエス)のことばを聞いてそれを行う者はみな思慮深い人に例えられるでしょう。それは岩塊の上に家を建てたひとです」(マタイ7:24)。イエスは、思慮深い人とは反対の人を、「そしてまた、わたしのこれらのことばを聞いてもそれを行わない者はみな、愚かな人に例えられるでしょう。それらは砂の上に家を建てた人です」(マタイ7:26)。

 イエスは、み言葉を聞いて学び行う人、つまり生活に適用する人たちを「思慮深い人」と述べ、それらの人は岩塊の上、つまり神の王国に土台を据えた人たちであるゆえに、祝福を受ける人たちであることを明らかにされました。一方邪悪な者はみ言葉を聞いても、それを学び、その教えを黙想し適用しない人であり、「愚かな人」と呼ばれました。愚かな人は「砂の上」、つまりこの事物の体制に土台を据えた人たちである事を教えられました。愚かな人たちは、風に吹き払われるもみがらのような人生になるのです。私たちは神エホバから幸いな人、つまり思慮深い人としてみなされ、祝福を得たいものです。

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      キジ鳩の のどかに鳴きし 秋の庭 今日の一句

                 切り花で売られていた「オンシジウム」

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