愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

手に止まった白い蝶と桔梗の花

2015-09-09 16:53:17 | 四季折々の花々

 あまり見かけない白い蝶がランタナに来ていると、

 セセリ蝶が来て追っかけていました。

 写真に撮ろうと思い近づくと、白い蝶は私の右手に止まりました。

 手から花に移るように促しても、じっとして花に移ろうともしませんでした。

 左手にカメラを持って何とか写真を撮りました。

 手に止まった白い蝶と桔梗の花を紹介致します。

                    右の手に止まった見たことのない蝶

                       新潟の写真家の提供「桔梗」

 

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神エホバからの知恵の実:「憐れみと良い実とに満ちている」(ヤコブ3:17)

2015-09-09 16:37:48 | 神の言葉・聖書

 皆様方も憐れみ深い方として知られている方であれば幸いです。イエス・キリストは有名な山上の垂訓の始めての言葉の中で、憐れみ深い人たちは幸いです。その人たちは憐れみを受けるからです」と教えれられました(マタイ5:7)。憐れみ深い人たちは、他の人から憐れみをうけることは勿論のことですが、何よりも神エホバから憐れみを受けるので幸いな人たちなのです。

 聖書は、神エホバからの知恵の実を、「憐れみと良い実とに満ちている」と教えています(ヤコブ3:17)。憐れみは、上から、つまり神エホバからの知恵の重要な部分です。神エホバからの知恵は「憐れみに満ちている」と述べているからです。聖書は「憐れみ」と「良い実」が一緒に言及されていることに注目してください。それは適切なことです。聖書の中で憐れみはたいてい、他の人に対する能動的な気遣いを、また親切な行いという成果を豊かに生み出す同情を指しているからです。ある参考文献は「憐れみ」を、「人の窮境を憂え、それに関して何かをしょうとする感情」と定義しています。ですから神エホバからの知恵は、無味乾燥な、心の伴わないものでも、単なる人間に表れるような知性でもありません。むしろ、温かい、心のこもった、感受性に富むものです。では、自分が憐れみに満ちていることをどのように示せるでしょうか。

 一つの重要な方法は、イエスの残された模範に見倣って神の王国の良いたよりの真理を他の人に証のために宣明することです(ペテロ第一2:21.マタイ24:14.ルカ4:43;8:1)。その伝道の業を行う動機は何でしょうか。動機は主に神エホバと隣人への愛です。加えて、憐れみ、つまり他の人に対する深い同情心も動機となります(マタイ22:37~39)。なぜなら今日の多くの人々は、霊的に「羊飼いのいない羊のように痛みつけられ、放り出されて」います(マタイ9:36)。宗教上の偽りの羊かいたちによって、人々は真理から放置され、霊的に盲目にされています。そのため、神の言葉・聖書に収められている賢明な助言も、神の王国間もなくこの事物の体制に終わりをもたらし、この地を義の宿る楽園に回復し、温和な人々にもたらされる祝福も知りません(マタイ24:3,14.ペテロ第二3:10~13.啓示21:3~5)。私たちは、周囲の人々の霊的な必要を熟考する時、心からの同情に動かされ、神エホバのみ子イエスを通して約束された愛ある目的を宣明するためにできる限りのことをしたいと思います。

 自分が憐れみに満ちていることを、他のどんな方法で示せるでしょうか。道端に倒れている旅人を見つけた親切なサマリア人に関するイエスの例え話の教えを思い起こして下さい。その旅人は、強盗に襲われ、打ちたたかれて傷を負っていました。親切なサマリア人は同情心に動かされて、「憐れみ深く行動し」、けが人の傷を包帯し、旅館にまで連れて行き、必要なお金を払い、面倒をみました(ルカ10:29~37)。このイエスの例え話しから分かるように、憐れみには、困っている人に実際的な助けを差し伸べることが含まれます。聖書は、「全ての人、ことに信仰に信仰において結ばれている人たちに対して、良いことを行う」よう命じています(ガラテア6:10)。どのような場面でそのようにできるか、考えて見るのは如何でしょうか。ご年配の方が、交通の手段がなくお困りであるなら、手助けをすこと事が出来るでしょう。また日常の買い物や家の補修が持病や高齢に伴ってお困りであれば、援助の手を積極的に差し伸べることが出来るでしょう(ヤコブ1:27)。ことに仲間の信者に対して、そのようにするように勧められています。落胆したした人に、元気づける「良い言葉」を必要としているかも知れません(箴言12:25)。そのようなことを行って憐れみを示すなら、自分の内で神エホバからの知恵が働いている証拠を示しているのです。そのような憐れみ深い人は、憐れみを受けるのです(マタイ5:7)。

「参考資料」:ものみの塔聖書冊子協会発行、「エホバに近づきなさい」誌、225,226P。

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