詩編52編には、悪を誇りとする者の言動が記され、そのような邪悪な者はエホバ神ご自身が打ち倒されることが記されていました。しかし、義なる者はオリーブの木のようになり、永遠に亘ってエホバ神の愛ある親切に依り頼むこと、及びエホバのみ名に望みを置くことが明らかにされていました(詩編52:8,9)。あなたも義なる者のお一人であれば幸いです。今日紹介する詩編53編には、分別のない者は心の中で「エホバはいない」と言ったことが記されています(詩編53:1)。現在も、家から家に聖書を伝道して行きますと、「神様など関係ない。神などいない」と言って怒鳴る人がいます。エホバ神はそのような人を「分別のない者」と見做しておられることを心に留めて欲しいと願っています。神エホバを否定する人は、正確な知識を持たないで「滅びとなることを行い」、「腐っていて」、「善いことを行なう者はだれもいない」で「有害なことを習わしにする者」となっています(詩編53:1、3、4)。
詩編53編には次のように記されています。み言葉の中から宝を見いだされる方々は幸いです。
マハラトの指揮者へ。
マスキル。ダビデによる。
「分別のない者は心の中で言った、
「エホバはいない」と。
彼らは滅びとなることを行い、
不義のうちに
忌むべきことを行なった。
善いことを行なう者はだれもいない。
2 しかし神(エホバ)は、天から人の子らを見下ろされた。
洞察力のある者、エホバを求める者が
いるかどうかを見るために。
3 彼らはこぞって引き返し、皆一様に腐っている。
善いことを行なう者はだれもいない。
一人もいない。
4 有害なことを習わしにする者はだれも
知識を持たなかったのか。
パンを食べたようにわたしの民を食い尽くして、
彼らはエホバを呼び求めることを
しなかった。
5 彼らはそこで大いなる怖れに満たされた。
怖れるものが何もなかったところで、
あなた(エホバ)に向かって陣営を張る者の骨を、
神ご自身が必ず散らされるからだ。
あなた(エホバ)は必ず
彼らに恥をかかせる。
エホバご自身が彼らを
退けられたからだ。
6 ああ、シオンからイスラエルの大いなる
救いがもたらされるなら!
エホバが自身の民の捕われ人を
連れ戻されるとき、
ヤコブは喜び、イスラエルは歓び楽しめ」(詩編53:1~6)。
上の聖句に記されているエホバ神の存在を否定する人はどういう意味で「分別がない」と、言えるのでしょうか(詩編53:1)。詩編53編1節で記されている「分別がない者」とは、知性が欠けていることではありません。「分別のない者」とは、道徳的な意味で分別がないのであり、そのことは詩編53編1~4節に記されているように、神エホバの道から外れ、道徳的な退廃が生じている人のことです。偉大な創造者エホバ神は偉大な属性の愛や公正や知恵や力の源の方ですが、そのエホバ神を否定する人には「善いことを行なう者はだれもいない」のです(詩編53:3)。しかし、エホバ神ご自身が、彼らに恥をかかせ、退けることが記されています(詩編53:5)。彼らは「エホバを呼び求めることをしない」ので、エホバ神に処断されるのす(詩編53:4)。
庭を掃き 小春日和の 午後となる 今日の一句
バラの愛好家の「鉢植えのバラ」