詩編61編には、ダビデのエホバ神への嘆願の叫びの言葉が記されていました。ダビデのような強い信仰の人も、「心が弱くなるとき」に、神エホバに依り頼み、永遠に亘ってエホバ神の「天幕の客となり、あなたの翼の隠れ場に避難します」と、全き信仰を誓約していました。まして、「終わりの日の対処しにくい危機の時代」に生活している私たちも、苦難や試練に直面しますので、ダビデの模範の信仰に見倣いたいと思います(テモテ第二3:1~5)。今日紹介する詩編62編には、救いと栄光はエホバ神にあり、いつでもエホバ神に「依り頼め、そのみ前にあなた方の心を注ぎ出せ」と記されています(詩編62:7,8)。私たちの能力には限界があることを率直に認め、愛ある親切の神エホバが、忠節な者に忠節を持って行動してくださることに全き信仰を働かせたいものです(エレミヤ1:23.詩編62:12.サムエル第二22:26)。
詩編62編には次のように記されています。あなたもみ言葉から宝を見いだしてくだされば幸いです。
エドトンの指揮者へ。ダビデの調べ。
「そうだ、魂(体)は黙して、ただ
神(エホバ)を待ち望む。
わたしの救いは神のもとから来る。
2 そうだ、神はわたしの岩、私の救い、
わたしの堅固な高台。
わたしが激しくよろめかされることはない。
3 あなた方は自分たちを殺害しょうとする者に向かって、
いつまで凶暴に振る舞うのか。
あなた方は皆、傾いた城壁、押し倒された
石壁のようだ。
4 そうだ、彼らは人をその尊厳から
誘いだそうとして忠告を与え、
うそを楽しみとする。
彼らは口では祝福するが、内心では
災いを呼び求める。
5 そうだ、わたしの魂(体)よ、黙して神を待ち望め。
わたしの望みは神(エホバ)から
出ているからだ。
6 そうだ、神はわたしの岩、私の救い、
わたしの堅固な高台。
わたしがよろめかされることはない。
7 わたしの救いと栄光は神(エホバ)にある。
わたしの強固な岩、
わたしの避難所は神のうちにある。
8 民よ、いつでも神に依り頼め。
そのみ前にあなた方の心を注ぎ出せ。
神は私たちのための避難所である。
9 そうだ、地の人の子らは呼気であり、
人間の子らは偽りである。
はかりに掛けると、彼らは皆
一緒にしても呼気より軽い。
10 だまし取ることにあなた方の信頼を置いてはならない。
また、全くの強奪について
おごり高ぶてもならない。
たとえ資産が殖えたとしても、
それに心を留めてはならない。
11 一度、神(エホバ)は話され、二度、
わたしはこのことを聞いた。
力は神(エホバ)に属することを。
12 また、エホバよ、愛ある親切も
あなたに属するのです。
あなたご自身が各々にその業に応じて
返報されるからです」(詩編62:1~12)。
上の聖句に示されている通り、ダビデは数々の苦難、試練に直面しても「わたしの魂(命、または体全体)は黙して、ただ神を待ち望む」と記しています。それは救いはエホバ神から来ることに全き信仰を置いていたからです(詩編62:2)。ダビデはなぜそのような信仰に堅く立つことが出来たのでしょうか。それは、エホバ神がダビデの救いであり、「堅固な高台」であることに得心していたからです(詩編62:2、6)。人は「呼気」にすぎなく、救いと栄光はエホバ神にあることを確信していました(詩編62:7,9)。それで、人にではなく、いつでも神エホバに「依り頼め、そのみ前にあなた方の心を注ぎ出せ」と、民に勧めることができました(詩編62:8)。ダビデの祈りの言葉を読めば、いつでもダビデ自身が「心を注ぎ出し」エホバに嘆願し、その模範を残しています。エホバ神はご自分に忠節な者たちに忠節を持って行動されるのです(サムエル第二22:26)。それは「力がエホバに属し」、「愛ある親切もエホバ神に属する」からです(詩編62:11,12)。偉大な創造者エホバ神は愛と公正と力と命の源であることを忘れてはなりません。そのお父さんエホバ神に心を注ぎ出し、依り頼まれる方々は幸いです。
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銀杏散り 絨毯となり 子ら遊ぶ 今日の一句
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鉢植えの「シクラメン」