宇和島市の隣町である比較的高地の鬼北(きほく)町に
珍しい檀黄梅と思われる花木が咲いていました。小さな黄色の花が
密集して咲いています。持ち主が分かれば、珍しいので切り花用に一枝
頂きたかったのですが、それはかないませんでした。
この花木は私の手持ちの花図鑑には紹介されていませんでした。
今日は檀黄梅?の花と水仙・アケザナリーを紹介致します。
鬼北町の道辺に咲いている「檀黄梅?」
近くの道辺に咲いている「水仙・アケザナリー」
宇和島市の隣町である比較的高地の鬼北(きほく)町に
珍しい檀黄梅と思われる花木が咲いていました。小さな黄色の花が
密集して咲いています。持ち主が分かれば、珍しいので切り花用に一枝
頂きたかったのですが、それはかないませんでした。
この花木は私の手持ちの花図鑑には紹介されていませんでした。
今日は檀黄梅?の花と水仙・アケザナリーを紹介致します。
鬼北町の道辺に咲いている「檀黄梅?」
近くの道辺に咲いている「水仙・アケザナリー」
神エホバはご自分の民である恐れに陥っていたアハズ王に、辛抱強く深い愛情を示され、「あなたの神エホバから自分のためにしるしを求めよ」と、促されました(イザヤ7:11)。この優しい神エホバの指示にアハズ王はどう応じたでしょうか。イザヤ書に次のように記されています。
アハズ王は神エホバに反抗的な態度を取り、「(神エホバからのしるしを)わたしは求めません。また、エホバを試みることもしません」と、応じました(イザヤ7:12)。
上の聖句は、神エホバがアハズ王に真の崇拝に立ち返るように促し、しるしを行うことによって、アハズ王の信仰を強めようと、深い愛を示されたにも関わらず、アハズは神エホバの申し出を退けています。まさに神エホバへの反抗的な態度です。アハズ王が、神エホバに反抗的な態度を取ったのは何故でしょうか。アハズ王は神エホバに依り頼むのではなく、別のところに保護を求めようとしていたのです。それは、アッシリアに多額のお金を送り、北方の敵たちに対抗するための援軍を求めたのは、この時のようです(列王第二16:7,8)。アハズ王は信仰の欠如によって、神エホバに依り頼むのではなく、人間に依り頼んだのです(箴言3:4~6と比較してください)。神エホバは、イザヤを通してどのように応じられるでしょうか。
イザヤはアハズ王の信仰の欠如を念頭に置き、こう伝えました。「ダビデの家よ、どうか聴いてください。あなた方は、人を疲れさせることが自分にとってそれ程小さいことなので、わたしの神(エホバ)おも疲れさせようとするのですか」(イザヤ7:13)。
上の聖句に示されている通り、神エホバも感情をお持ちであり、民の度重なる反抗の態度に疲れることがあるのです。預言者イザヤがここで、「あなたの神」と言う代わりに「わたしの神」と言っていることに注目してください。この、切り替えた音信の伝え方は悪いことを予感させます。アハズ王は神エホバを疑い不従順になり、つまり神エホバへの信仰の欠如によってアッシリアに頼ることにしたのです。アハズ王は、神エホバとの親密な関係を修復する絶好の機会を信仰の欠如によって逸したのです。わたしたちは心をつくして神エホバに依り頼め、と勧める神エホバの導きに注意深く従いたいものです(箴言3:4~6)。
鬼北(きほく)路の 奉仕の帰り 馬酔木咲き 今日の一句
ご近所の庭の水仙「シクラメン咲き水仙」
東北大震災の大津波及び福島原発事故から8年が経過しましたが、
TV報道の特集を見る度に、その被災地の物理的な傷、被災者の心の傷は深く
心が痛みました。特に原発の事故は見えない放射能の影響のため、
計り知れない被災者の激痛となっていることを考えると、原発事故は
人災の感が深まります。原発に依存しない電力の安定供給国家を目指し
より安全な安心、安全のゆきわたるエネルギー国家を目指して欲しいと願っています。
今日は3月6日~10日までに詠んだ俳句を紹介致します。
菜の花や 風に揺れつつ 春を呼ぶ
慎みを 教える如し ヘレボルス
傷深し 福島原発 幾春も
春来るも 福島原発 続孤立
幾春も 福島事故の 消えぬ傷
福島の 復興険し 春巡る
3月や 友の川柳 定期便
春を告げている満開の「菜の花」
庭に咲いている「ハナニラ」
裏庭に咲いている「サクランボの花」
庭に次々と咲く「椿」
裏の畑に咲いている「オオイヌノフグリ」
宇和島市の隣町、松野町の友人の家の前の石垣の上に鮮やかな
芝桜が咲いていました。比較的小さなピンクの花びらが
地面を覆うように咲くので、敷地の石垣の上や土手に植える方がおられます。
花期は3月~5月です。
用途は鉢植え、花壇、グランドカバーです。
花言葉は「きらめく愛」と紹介されています。
今日は鮮やかな芝桜と日本水仙を紹介致します。
石垣の上の鮮やかな「芝桜」
お隣の庭の「日本水仙」
イザヤが神エホバの預言者として務めを果たしている時代、シリア人とイスラエル人は手を組み、ユダの王アハズに敵対し、エフライム(イスラエル)の地に宿営していることを知り、ユダのアハズ王と民は恐れおののいていました(イザヤ7:2)。そうした中で、神エホバはイザヤに命じ出かけて行ってアハズ王を会う場所を告げました(ィア座や7:3)。イザヤは、神エホバに指示された通りに出かけ、エルサレムの城壁の外でユダのアハズ王に会い、イザヤは神エホバの言葉を伝えました。それは攻囲されたシリア人、イスラエル人にユダの王アハズは恐れる必要はない、という内容でした(イザヤ7:4)。
シリア人とイスラエル人の手を組んだ企ては成功するでしょうか。いいえ、成功をすることは無く、ユダは恐れる必要はないのです。神エホバは、「それ(シリア人とイスラエル人の企て)は立たない。それは起こることもない」と説明されます(イザヤ7:7)。神エホバはイザヤを通して、シリア人とイスラエル人のエルサレムの攻囲が失敗するだけでなく、「わずか65年のうちにエフライム(イスラエル)はみじんに砕かれ、民でなくなる」であろうと宣言されました(イザヤ7:8)。そうです、エホバの裁きによってイスラエル人は、65年のうちに一つの民として存在しなくなるのです。具体的な時を定めたこのエホバの保証の言葉に、ユダのアハズ王は勇気付けられたに違いありません。同様に今日の真のクリスチャンたちは、サタンの支配のこの事物の体制の残された時が尽きようとしているのを知っているので大いに強められるのではないでしょうか(マタイ24:3~14.ヨハネ第一5:19.啓示12:9,12)。
ユダのアハズ王にとっては、信じられない神エホバの保証の言葉だったのかも知れません。それで、神エホバはイザヤを通して、「あなた方に(神エホバに対する)信仰がないなら、あなた方は長らえないであろう」と言われます。引き続き、神エホバは辛抱強い愛によって親切に、「さらにアハズに話して」ゆかれます(イザヤ7:9,10)。何と神エホバの辛抱強い愛の手本なのでしょう。今日も、世界中の240の国や地域でエホバの証人のクリスチャンたちも神エホバの辛抱強い愛ある親切に見倣って、繰り返し、家から家を訪ねて、神の王国の良い便りの真理を宣明し続けています(マタイ24:14;28:19,20)。ついで神エホバはアハズ王に、「あなたの神エホバから自分のためにしるしを求めよ。それをシエオル(墓)のように深く、あるいは上の領域のように高くせよ」(イザヤ7:11)。アハズ王は、神エホバに安心となるしるしを求めて良いのです。そうずれば、神エホバはダビデの家系の子孫を保護することの保証として、しるしを与えてくださるのです。
神エホバが、「あなた(アハズ)の神エホバからしるしを求めよ」と言われたことに注目してください。神エホバは愛ある親切に満ちた方です。アハズ王は偽りの神々を崇拝し、嫌悪すべき異教の習わしを行っていることはエホバの目に明らかになっていました(列王第二16;3,4)。それにも関わらず、神エホバは依然として、ご自分のことをアハズ王の神と呼んでおられます。これは、神エホバは、性急に人を退けたりはされない神の証拠です。神エホバは、過ちを犯した人や信仰の弱くなった人に進んで手を差し伸べ、強めてくださる方なのです。このように神エホバの愛ある親切に依ってアハズは保証されたので、アハズ王は神エホバの助けを受け入れるでしょうか。続きは次回にお伝え致します。
神エホバは、イザヤ書に記されている通り、ご自分の民に繰り返し愛ある親切を与えられる方であることをご理解され、私たちの神エホバに近づかれる方々は幸いです(ヤコブ4:8)。
3月や 友の川柳 定期便 今日の一句
近くの道辺に咲いている水仙「アケザナリー」