神エホバは辛抱強さと親切をもって反抗的なユダのアハズ王とその民に、慰めとなる希望のしるしをイザヤを通して与えて来られました(イザヤ7:12.14~16)。次に、イザヤは慰めの言葉から転じ、人間の考えとは逆の災いを告げます。次のようにイザヤ書に記されています。
「エホバはあなた(アハズ王)とあなたの民とあなたの父の家とに対して、エフライム(イスラエル)がユダのそばを離れ去った日から来たこともないような日をもたらされます。すなわち、アッシリアの王です(イザヤ7:17)。
上の聖句では、ユダの人々が神エホバよりアッシリアの王を保護者として待ち臨んでいるそのアッシリアがユダの圧制者になることを告げられています。それは、経験をしたことのない圧制・災いです。アハズ王は、アッシリアと友好関係を結べばイスラエルとシリアの手から救われるだろうと、人間的な考えを優先させていました。実際、その後、アッシリアの王はアハズ王の嘆願によって、イスラエルとシリアを攻撃します(列王第二16:9)。その事によって、シリアーイスラエル同盟は結局エルサレムを占領できませんでした(イザヤ7:1)。しかし、ユダの人々が保護者として待ち望むアッシリアの王が災いをもたらす圧制者になると告げられ、衝撃を受けたに違いありません(箴言29:25と比較してください)。
このイザヤの記述から神エホバへの忠実を守ることの重要性を学ぶことができます。私たちは圧力や困難に直面しても神エホバに依り頼むように、と教える原則を固く守りたいものです(箴言3:4~6)。
さらに、イザヤは自分が神エホバの言葉の宣言を四つの部分に分け、その各々が「その日」、つまりアッシリアがユダを攻撃する日に起きる事柄・災いを予告します。「その日には、エホバはエジプトのナイル川の果てにいるはえと、アッシリアの地にいる蜜蜂のために口笛を吹かれます。すると、それらは必ずみな来襲し、険しい奔流の谷、大岩の裂け目、すべてのいばらのやぶ、すべての水場にとどまります」(イザヤ7:18,19)。この聖句はエジプトとアッシリアの軍隊は、はえや蜜蜂のむれのようにユダの地に注意を向け、そこに侵入し、「とどまり」、そのその地を荒らす災いを意味しています。
イザヤは次のように続けます。「その日には、川の地方の雇われたかみそりにより、すなわちアッシリアの王により、エホバは頭と足の毛をそり、それはあごひげおもそり落とします」(イザヤ7:20)。アハズ王はシリアとイスラエルを「そる」、つまり打ち倒すためにアッシリアの王を雇います。しかし、このユーフラテス川の地方からやって来る「雇われたかみそり」であるアッシリアの王は、ユダの「頭」に立ち向かって、それを綺麗にそり、あごひげまでもそり落とします。つまりユダの尊厳は打ち砕かれ、民は減少するのです。
その結果どうなるのでしょうか。イザヤは次のように告げました。「その日には、人は群れの雌牛一頭と羊二頭を生かしておくことになります。そして、乳が多く出るので、彼はバターを食べます。その地(ユダ)に残る者はみなバターと蜂蜜を食べるからです」(イザヤ7:21,22)。ユダに残された民は非常に少なくなり、食物を供給するためにはほんの少数の動物がいれば十分となることを告げられています。「バターと蜂蜜」が日々の食物となり、それ以外のぶどう酒、パン、それ以外の基本的な食料品がなくなるのです。。イザヤは産出的な土地であった場所に、その時は、いばらの茂みと雑草が生じるであろうと3度も告げました。田舎に出かけて行く人たちは、やぶに潜む野生動物から身を守るために「弓と矢」を携えて行かなければならなくなります(イザヤ7:23~25)。このイザヤの告げた災いの預言は、アハズ王の時代に成就し始めます(歴代第二28:20)。神エホバの述べる言葉は必ず成就することを忘れないようにしたいものです(イザヤ55:8~11)。あなたも、神エホバの言葉に堅く立つ忠実な人々のお一人であれば幸いです。
時経過 春闘人に 忘れらる 今日の一句
- 春闘を知らないと答える人のニュースを見て -
庭に次々と咲く「椿」
- 椿・「赤腰蓑」の1種 -