イザヤ書には、偽りの宗教が用いる偶像礼拝について、むなしく実態のないものであることを理解することが出来るように分かり易く記されています(イザヤ44:9~20)。偽りの宗教の崇拝は、実のところ悪霊崇拝です(コリント第一10:20)。ノアの大洪水前に実証された通り、悪霊の影響は暴虐を生みます(創世記6:11,12)。ですから、イスラエルが神エホバに背教して悪霊を崇拝し始めると共に、その地が暴虐と邪悪さで満たされるのも、意外なことではないのです(申命記32:17.詩編106:35~38)。
イザヤは生き生きとした絵画的表現を用い、イスラエルおける邪悪と暴虐の広がりをこう描写し、書き記しています。「邪悪が火のように燃え立った・・・それはいばらの茂みと雑草を食い尽くす。そして森林のやぶの中でそれに火がつき、それらは煙が立ち上がる時のように巻き上げられる。万軍のエホバの憤怒によってその地は燃え上がった。民は火の糧となるであろう。だれひとり自分の兄弟にすら同情を示さない。そして、人は右では切り倒しても必ず飢え、左で食べるが、彼らは決して満ち足りない。各々自分の腕の肉を食べるのである。マナセは、エフライムを、エフライムはマナセを。彼らは共にユダに敵するであろう。このすべてのことのゆえに、神(エホバ)の怒りは元に戻らず、その手はなおも伸ばされたままである」(イザヤ9:18~21)。
いばらの茂みに次々と炎が燃え移っていくように、暴虐は手に負えなくなり、すぐに「森林のやぶ」に達して、本格的な山火事のような、暴虐を生み出します。聖書注解者のカイル氏とデリッチ氏によれば、この暴虐の程度は、「無政府状態の内戦下での最も非人間的な事故破壊」であり、「人々は優しい感情を全く抱かずに、飽くことなく貪り食いあった」のです。エフライムとマナセの二部族が特に言及されているのは、それらが北のイスラエル王国の主要な部族であり、ヨセフの二人の息子の子孫として、十部族の中で最も密接につながり合っているからでしょう。それにも関わらず、これら二部族は、南方のユダと戦う時以外は、兄弟相互の暴虐を止めません(歴代第二28:1~8)。イザヤ書に記されている通り、偽りの宗教の崇拝は暴虐を生むことを忘れないようにしたいものです。
あなたも、イエスが教えられた通り、神の王国と神エホバの義をいつも第一に求める方々のお一人であれば幸いです(マタイ6:33)。
桜餅 二つ残りし 道の駅 今日の一句
ご近所の庭の「シクラメン咲き水仙」