イエス・キリストは二つの例え話によって、宗教指導者たち・書士や祭司長たちの正体を暴露されました。そのため、彼らはイエスを殺そうと思いました。しかし、イエスは彼らに対する糾弾をやめるどころか、別の例え話の婚宴を設けた人、つまりそのような王と婚宴に招かれた人たちの態度について次のように話されました。例え話の婚宴を設けた人、つまり王は神エホバです。王の奴隷たちはイエスと弟子たちです。婚宴に招かれた人たちはイスラエル人を表し、かつ現在の神の王国の良いたよりに無関心な人々おも示唆しています。
「イエスはさらに答え、再び例えによって彼らにこう話された。「天の王国(神の王国政府)は、自分の息子のために婚宴を設けた人、つまりそのような王のようになりました。彼(婚宴を設けた人)は、婚宴に招いておいた者たちを呼ぶため、自分の奴隷たちを遣わしましたが、その者たちは来たがりませんでした。再びほかの奴隷たちを遣わそうとして言いました。「招いておいた者たちにこう言いなさい。「ご覧なさい、わたしは正さんを整えました。わたしの雄牛と肥えた動物はほふられ、すべての用意ができました。婚宴に来てください」」。ところが、彼らは無関心で、ある者は自分の畑に、別のものは自分の商売に出かけて行きました。しかし、他の者は、その奴隷たちを捕まえて不敬に扱い、それを殺してしまいました」。
「そこで王は憤り、自分の軍隊を送ってそれら殺人者たちを滅ぼし、彼らの都市を焼きました」」(マタイ22:1~7)。
神エホバは、み子イエス・キリストのために婚宴を準備された王でした。最後には、油注がれた14万4,000人のイエスの追随者たちから成る花嫁が、天で結ばれることになります。王の臣民とはイスラエルの人々で、その国民は西暦前1513年にモーセの律法契約に導き入れられた時、「祭司の王国」となる機会が与えられました。それで、婚宴への招待は、その時イスラエル人に最初に差し伸べられました。
とはいえ、招かれた者たちへの最初の呼びかけは、西暦29年の秋に、王の奴隷たち(イエスとその弟子たち)が神の王国を宣べ伝える活動を始めるまでなされませんでした。生来のイスラエル人たちは、西暦29年から33年にかけて奴隷たちが行ったこの呼びかけを聞きましたが、行こうとしませんでした。そこで神エホバは、招かれた者たちから成るイスラエル国民に、もう一度機会を与えました。イエスは上の聖句に紹介しました通りにその機会を、「再びほかの奴隷たちを遣わそうとして」、「招いてある者たちに・・・・婚宴に来てください」と、例えで話されました。招いておいた者たちに対するこの二度目の、そしてイスラエル国民への最後の呼びかけは、西暦33年のペンテコステの日に聖霊がイエスの追随者たちの上に注ぎ出された時に始まりました。その呼びかけは西暦36年まで続きました。
しかし、イスラエル人の大多数は、この招待をはねつけました。イエスはこう語られています。「ところが、彼らは無関心で、・・・・その奴隷たちを捕まえて不敬に扱い、それを殺してしまいました」。イエスは続けて、「そこで王は憤り、自分の軍隊を送ってそれら殺人者たちを滅ぼし、彼らの都市を焼きました」と、話されました。この聖句の成就は、西暦70年になります。イエスの例え話は単なる例え話ではないのです。その年にエルサレムはローマ軍に敗れて破壊され、それら殺人者たちは殺されてしまいました。イエスのこの婚宴の例え話はさらに続きます。続きの内容は明日お伝え致します。
過酷なり 柿の消毒 汗したる 今日の一句
道の駅のミニ水族館の「鯛」