庭には白の山茶花が次々に蕾を膨らませ咲いて来ます。
山茶花はとても元気な花木です。
白の山茶花は、濃い緑の葉の調和し
その白い清さが際立っていますが、とても柔らかな感じです。
今日は12月の白の山茶花とピンクのバラを紹介致します。
次々と咲く庭の「山茶花」
庭植の「バラ」
庭には白の山茶花が次々に蕾を膨らませ咲いて来ます。
山茶花はとても元気な花木です。
白の山茶花は、濃い緑の葉の調和し
その白い清さが際立っていますが、とても柔らかな感じです。
今日は12月の白の山茶花とピンクのバラを紹介致します。
次々と咲く庭の「山茶花」
庭植の「バラ」
詩編78編33節~42節には、エジプトから救出されたイスラエルの民は、神エホバとの契約に不忠実であり、確固としていなかったことが記されていました。加えてイスラエルの民は、神エホバに反逆し、聖なる方エホバ神に痛みを与えたことも記されていました。彼らは神エホバの救いのみ手の業を忘れていたのです。そうしたイスラエルの民の不実な態度は後に大きな災いとなります。今日紹介する詩編78編43節~53節には、イスラエルの民は、神エホバがモーセを通して行ったエジプトの十の災厄も忘れていたことが記されています。現在も多くの人々は、偉大な創造者エホバ神の創造の業や、私たち人間を畏怖の念を抱くまでにくすしく「神の像(かたち)」に創造して下さり、日々命の糧と霊的な糧を与え続けてくださる聖なる方エホバ神のことを忘れています(創世記1:26,27.詩編139:14)。詩編78編の記録は、私たちへの警告の事例となっています。
詩編78編43節~53節には次のように記されています。皆様方はどのような教訓を学び取られるでしょうか。
「43 神(エホバ)がエジプトにそのしるしを、
ツォアンの野にその奇跡を置かれたことを。
44 さらに、彼ら(エジプト人)のナイルの運河を
血に変えてゆかれたので、
彼らが自分たちの流れから
飲むことができなかったことを。
45 次いで、神(エホバ)は彼ら(エジプト人)の上に
あぶを送って、それが彼らを
食い尽くすようにし、
かえるを送って、それが彼らを滅びに
陥れるようにされた。
46 そして、彼らの収穫をごきぶりに、
彼らの労苦をいなごに与え始めた。
47 神は雹によって彼らのぶどうの木を、
雹の石によって彼らのエジプトいちじくの木を
殺してゆかれた。
48 次いで、彼らの駄獣を雹に、
彼らの畜類を燃える熱に渡された。
49 彼らの上にその燃える怒りを、
憤怒と糾弾と苦難を、
災いをもたらすみ使いの
代表団を送り出された。
50 神はその怒りのために通り道を
備え始められた。
彼らの魂(命)を死からとどめず、
彼らの命を疫病に渡された。
51 ついには、エジプトのすべての初子を、
ハムの天幕の彼らの生殖力の
始めなるものを打倒された。
52 その後、ご自分の民を羊の群れのように去らせ、
荒野でこれを家畜の群れのように
導かれた。
53 そして、彼ら(イスラエルの民)を安全に
連れて行かれたので、
彼らは怖れを抱かなかった。
海(紅海)は彼らの敵を覆った」(詩編78:43~53)。
上の聖句に記されている、神エホバがモーセを通して、ご自分の民を救い出す力を持っている確かな証拠として、エジプトに地にもたらした十の災厄のしるしが記されています。エジプトの災厄のしるしは、出エジプト記に記録されています。ナイル川が血に変わる災厄(出エジプト記7:17~25)、かえるの災い(出エジプト記8:1~16)、ぶよの災厄(出エジプト記8:16~19)、あぶの災厄(出エジプト記8:20~32)。畜類の疫病、人と獣はれものの災厄(出エジプト記9:1~12)、激しい雹の災厄(出エジプト記9:13~35)、いなごの災い(出エジプト記10:3~20)。闇の災い(出エジプト記10:21~29)。初子を打つ災い(出エジプト記12:11,12、29,30)。神エホバはこうした力を持っていることをご自分の民に見せ、かつ紅海を分け、民を導き出し、追って来たファラオの軍隊は紅海の海水で覆い壊滅し、安全に導き出したのです(詩編78:53)。イスラエルの民は、こうした神エホバの救いの力を経験しながらエホバの救いの業を忘れ、不忠実に陥ったのです。ですから、神エホバは、絶えずみ言葉を読み、黙想し、エホバの教えを守り行う「思慮深い人」となるように教えています(詩編1:2,3.マタイ7:24,25)。神エホバに信仰を働かすのは全き道理にかなったことなのです。
ミカンむき ニュース見つめる 夕食後 今日の一句
庭植の「バラ」
オキザリスの花が可愛く咲いています。
オキザリスには春咲き、秋咲き、冬咲きがあるようです。
花期は10月~4月です。
用途は花壇、鉢植えです。
花言葉は「輝煌」と紹介されています。
今日は黄色のオキザリスと越後の赤の山茶花を紹介致します。
鉢植えの「オキザリス」
新潟の写真家の提供の「山茶花」
詩編78編22節~32節には、イスラエルの民は荒野で40年間、神エホバによって天からマナが与えられ、食糧が大いに満ち足りるまで与えられながら、彼らはそれを忘れ、エホバの救いの業に信仰を置かず、神エホバに罪を犯したことが記されていました。今日紹介する詩編78編33節~42節には、イスラエルの民は、神エホバとの契約に不忠実であり、確固としていなかったことが記されています(78:36,37)。エホバ神はそうしたイスラエルの民の不忠実な行いによって、神エホバに「痛みを覚えさせた」にも関わらず、民は不完全な人間であることに留意され「憐れみ深く、とがを覆って、滅びをもたらされることはなかった」ことが記されています(詩編78:38~40)。それでも、イスラエルの民は、エホバの救いのみ手の業を思い出すことなく、「聖なる方(エホバ神)に痛みを与えた」ことが記されています(詩編78:41,42)。当時のイスラエルの民の不信仰な姿は、今日の事物の体制の終結前の多くの人々のひな型になっています。
今日紹介する詩編78編33節~42節には次のように記されています。あなたはみ言葉の中からどのような宝を見いだされるでしょうか。
「33 それで、神(エホバ)は彼らの日々をあたかも
呼気であるかのように終わらせ、
彼らの年を騒乱によって終わらせた。
34 神が彼ら(反逆の民)を殺すたびに、彼らも
神を尋ね求め、
帰って来て、神を捜し求めた。
35 そして、神(エホバ)が自分たちの岩であること、
至高者なる神(エホバ)が自分たちのために
復しゅうしてくださる方であることを
思い出すのであった。
36 そして、彼らはその口で神(エホバ)を
だまそうとした。
その舌で神にうそをつこうとした。
37 そして、彼らの心は神(エホバ)に対して
揺るぎないものではなく、
彼らはその契約に関して
忠実ではなかった。
38 しかし、神(エホバ)は憐れみ深く、とがを覆って、
滅びをもたらされることはなかった。
そして、幾度もご自分の怒りを引き戻し、
その激しい怒りをことごとく
かき立てることはされなかった。
39 また、彼らが肉なる者であること、
霊は出て行くが、帰っては来ないことを
思い出されるのであった。
40 彼らは幾たび荒野で神に反逆し、
砂漠で神(エホバ)に痛みを覚えさせたことか。
41 そして、彼らは繰り返し神(エホバ)を試し、
イスラエルの聖なる方(エホバ)に痛みを与えた。
42 彼らはそのみ手を思い出さなかった。
神(エホバ)が自分たちを敵対者から
請け戻してくださった日のことを」(詩編78:33~42)。
上の聖句に記されている通り、イスラエルの民は神エホバへの信仰がなく、神エホバに依り頼むことに確固としていないばかりか、神エホバを試し、うそをつこうとしたことが記されています(詩編78:36,37)。イスラエルの民は聖なる方・エホバ神に繰り返し反逆し、痛みを与えたことが記されています(詩編78:41)。イスラエルの民は憐れみ深い神エホバの救いの手を思い出すことをせず、心は契約に関して不実になっていたのです(詩編78:37、38、42)。聖書は、神エホバは侮られるような方ではないので、自分のまいたものは、かならず刈り取る絶対の法則に直面することを、私たちが覚えておく必要があることを教えています(ガラテア6:7)。神エホバは敬虔な専心を喜ばれるのです(ペテロ第二3:11)。
猪狩の 思いで語る 老農夫 今日の一句
裏の畑に咲いている「花トラノオ」
こちらも12月中旬に入ると、一時急に気温が下がり冬日になっていましたが、
再び穏やかな気温に戻りほっとしています。
やはり暖かい日は心も和みます。
皆様方のお住いの地方は如何でしょうか。
目立たない花ですが、こちらでは枇杷の花も咲いています。
今日は12月16日~20日までに詠んだ俳句を紹介致します。
残り柿 雪を被るも 健気なり
ー 新潟の写真家の作品を見て -
天候の 急変ありて 寒き午後
かいつぶり 遊びし池も 荒れ廃れ
夢描く イルミネーション 囲む家
ー 新潟の写真家の作品を見て -
奉仕終え 帰り急ぎし 夕時雨
雀らの 餌取るカラス 朝時雨
道の駅 宅配の山 師走かな
友からの 手づくりケーキ 師走かな
真白き 山茶花の咲く 庭見入る
年の瀬の 営業婦人 笑み添えし
短日の 伝道奉仕 留守多し
庭で次々に咲く「山茶花」
庭に咲いている「昔ながらの菊」
宇和島名物の「唐饅頭」
庭で次々と咲く「山茶花」
12月も咲いている庭の「花センナ」
12月の「庭のバラ」