城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

旧徳山村門入がテレビで紹介 19.10.12

2019-10-12 20:05:49 | 山登り
 徳山村は、揖斐川最上流にかつてあった村でダム建設のため、1984年から離村が始まり、87年に下流の藤橋村と合併、さらに2005年に揖斐川町と合併(岐阜県・福井県県境の冠峠には徳山村、藤橋村、揖斐川町と前後して碑が建てられていて、歴史を知らない人の興味を引く)。門入は、その徳山村のうちの一つの地区であり、水没を免れた唯一の村である。巨大なダム湖が出来たことにより、旧村民を除くと、唯一のアプローチはホハレ峠から沢沿いの頼りない道を下り、徒渉し、林道に至る経路のみである。

 私の山友E氏は、門入の旧住民のI氏と長年にわたり交流し、毎年ホハレ峠から門入に数回訪れ、沿道で草刈りも実施している。そのE氏から14日月曜日にテレビ番組でその門入が紹介されると連絡があった。番組は、テレビ愛知で午後9時から「日本全国ナゼそこに!」。門入に興味がある方もない方も是非見て欲しい。今回の記事で伝えたいことはこれだけなのだが、ついでに私の唯一の門入滞在記録(2017年6月)を載せておきたい。


<船ヶ丸(959.7m、Ⅲ△)[美濃川上]、牛尾(690.7m)[美濃徳山]>

 参加者 10名 
 行程 6月10日(土)大垣7:00¬=揖斐川町立図書館=ホハレ峠8:50―門入10:30~10:45―船ヶ丸12:20~12:50―門入14:00
    6月11日(日)門入7:00―牛尾7:45―門入8:10~9:00―ホハレ峠11:10=揖斐川町図書館=大垣13:00

 ホハレ峠(標高約800m)へは国道303号線で旧坂内村川上地区から夜叉ヶ池方面に右折し、さらに夜叉ヶ池への道の対岸を進んだ。林道は大部分舗装されていたが、峠近くからは未舗装でしかも両側の草が大きく車道にはみ出している。車提供者には申し訳ないが、草が鞭のように容赦なく車体を打つ。ホハレ峠にはお地蔵さんがあり、清酒のビンが何本も備えてある。この峠道はかつて門入の人々にとって坂内村に通う大切な生活道であり、また近江や越前の商人が入る道でもあった。

 峠を8時50分に出発。今日はテントこそ持たないものの、シュラフ、マット、食料そしてアルコール類とつまみで各自50から60Lのザックは満杯。門入までは黒谷に沿っての下りなので、少しは楽だと思っていたが、ところどころ谷に切れ落ちる細い道もあり、意外と難しい。衣斐リーダーは何回も通っているので、慣れたものである。徒渉箇所から傾斜が緩くなり、ぬかるみそして最後の徒渉を済ませると林道歩き。沈没橋を渡ったすぐ先にI氏の家があった、10時30分着。

 門入到着

 すぐに昼飯とカッパ等のみを持ち、船ヶ丸に向かう。最初植林された中の急登、明瞭な道はない。メンバーのうち二人はヤブ山が初めてで、随分戸惑っている様子だが、すぐに先輩からこれくらいは序の口の部類との声が飛ぶ。少し登ると獣の捕獲のための檻があるが、使われている様子はない。やがて完全にブナを中心とした落葉樹の明るい林となる。12時20分三等三角点のある船ヶ丸に到着。

 宿舎に14時到着、予定より2時間早い。到着後雨が降り出す。I氏宅は入って右側にストーブの囲炉裏がある。二階は20人も泊まれるようなスペースがあり、各自シュラフとマットで寝る場所の確保。一階ではテーブルで早速ミニ宴会が始まる。メンバーが運んでくれた破竹の煮付け、さしみなどを味わう。さらにはリーダーが作る焼きそばなども飛び出す。オーナー自ら料理した岩魚の骨酒もテーブルにのぼる。やがて各自の自己紹介が始まる。メンバーには大ベテランのほか、山を始めて間もない女性もいて様々な話で盛り上がる。

 賑やかな宴会
そのうちに本日の夕食、「地獄うどん」が出てくる。乾麺をゆで、うどんつゆのかわりに、サバ缶、ネギ、ショウガに醤油を使って食べる。これには様々なバリエーションがあるらしい。
サバ缶の代わりにツナ缶、ショウガの代わりに唐辛子、あるいは缶詰を使わないごく素朴なものまである。山小屋の夜は普通早いが、ここではオーナーの引き上げた後もミニ宴会は続いた。

 翌日、7時過ぎに出発し、水資源機構の建物の横の草むらの中を進むと、木製の土留めのある道を登る。この道は、知事が視察にくるということで整備したそうだ。尾根に出ると立派なブナが林立している。また栃の大木もある。尾根を忠実にたどるとやがて三等三角点の牛尾に到着。わずか40分弱の登り。下山し、離村記念碑を訪ねる。かつてあった小学校の分校、個人の家などの位置が詳細に描かれている。門入にはかつて34戸の家があった(平成元年3月に全戸離村)。水田も山の村には珍しくたくさんあったようだ。旧徳山村には8の村があり、そのうち7村がダムにより水没し、唯一門入だけが水没を免れた。このため門入(現在地形図では「西谷」)へのアクセスは徳山湖を船で来るか、ホハレ峠を使うしかない。このうち船は門入の旧住民に限られているので、それ以外は峠経由しかない。歩いてみると、かつては日本のあちこちにあった山村という感じだが、今になってはいわば秘境とも言うべき村となっている。今、旧住民(I氏が発起人)、役場関係者、水資源機構職員等が門入おこし協力隊を結成し、この懐かしい貴重な環境を後世に伝えるべく努力されている。

 離村記念碑の前で説明するE氏

 西谷上流に向かって

 9時、I氏とともにホハレ峠に向け出発。I氏は現在82歳だが、リーダーよりも足が速いと聞いた。かつて門入の男達は生活のため、蚕繭50kgや栃板75kgもある「頬が腫れる」ほどの重荷を背負って超えたのがホハレのいわれとか。これにまつわる一里休場(いちりやすま)、冷や水(夏でも冷たい水が湧き出ている)などの休憩に使った場所をI氏は道々に説明。11時10分峠到着、早速お地蔵さんに山行の無事の報告をした。峠で少し早いお昼をたべていたところI氏からゆで卵の思わぬプレゼントに一同大感激、本当にお世話になった。また今回得がたい山旅を企画してくれたリーダーにも最大限の感謝。


 さて、現在ホハレ峠から門入に至る林道が整備中である。全般に山好きな仲間達は「ほおっておいて欲しい(整備しないで欲しい)」というのが偽らざる気持ちである。少なくとも、あまりにも多くの人が訪問し、門入の自然が損なわれることがないように祈りたい。

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2 コメント

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はじめまして。 (すがわら)
2022-03-10 17:51:07
はじめまして、突然コメント失礼いたします。
日本全国の風景をドキュメンタリ撮影でまわっております、菅原と申します。この春、門入集落の風景を撮影したく情報を現在集めております。ブロガー様に、よろしければ何点か伺いたくコメントさせていただきました。直接メール・電話等でご連絡をすることは可能でしょうか?
返信する
徳山村の宮崎さん (宮崎ひとみ)
2021-07-16 13:34:44
岐阜県徳山村に
住んでいた宮崎家の
皆さんお元気ですか
山口の宇部に来て
50年以上になりました
親戚の村上です
住所変ってないのでいつか山口に
来てね
返信する

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