気持ちのいいペース

ゆる~いウルトラマラソン

野辺山ウルトラの思い出

2014年05月19日 10時57分38秒 | 雑記

5月18日 第20回八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソンが開催された。
今回はチャレ富士に出たので野辺山は回避したのだが、
ウルトラで知り合ったランナー数人が出ているので、ランナーズアップデートで追いかけたり、ブログを読んだりしていたら、やっぱり出たかったな~、などと思ってしまう。

最初に野辺山ウルトラに出場したのは第15回
前年に初フルを完走し、調子こいてエントリー。ウルトラデビューでした。
もしかしたらSUB10行けるんじゃないかなどと妄想し最初の10km55分くらい。
40km過ぎからの怒涛の下りでぶっ飛ばし、股関節ガタガタ。
それでもがんばって走っていたのだが、北相木村の往復で心が折れ
65kmで遂に歩いてしまい、馬越峠はなんとか越えるも、下りに足が耐え切れず
80kmでリタイア宣言。
しかし、そこには回収バスが来ないので、3km先のエイドまで下るしかない。
歩いても下りは無理なので、屈辱の1km逆行。馬越峠のエイドまで上ることに。
幸い500mくらいで回収バスが通りかかり乗せていただきました。
車中での毛布のありがたいこと。
完走メダルはもらえませんが、メダル無しのストラップは貰えます。
貰わない人も多い中、この日を忘れない為、しっかり貰いました。

現在まででDNFした唯一の大会です。

馬越峠を死に体で歩いている時に、横を一人の初老の女性が抜いていった。
歩くのと変わらないか、むしろ遅いぐらいなのだが、確実に走っている。
速度的にはあまり変わらないので、しばらく併走(といっても私は歩く)
同じように併走していた兄ちゃん(と言ってもその兄ちゃんも歩いている)が
「おばちゃん、がんばるねぇ」と声を掛ける。
するとおばちゃん「去年ね、馬越で歩いちゃったから、今年は絶対歩かないと決めてるの」
と・・・
いや、決めてるって言っても、歩くでしょ・・・
その後、じっくりじっくりだが確実に離れて行き、そして見えなくなった。

それから、その名前も知らないおばちゃんが 私の心の師匠になりました。
今でも後姿を覚えています。

次の年はアイアンマンに挑戦しようとしていて、野辺山は回避。(結局口蹄疫がらみで中止)
変わりに秋の丹後100kmに挑戦。辛いところでは野辺山で貰った、メダルの無いストラップを握り締めて、気合を入れて歩かずウルトラ初完走。

その次の年はアイアンマンが日本では開催されなく、じゃあということで野辺山エントリー。
今度こそは完走と気合を入れたが、東日本大震災及び長野地震で中止

次の年は個人的理由で参加できず

そして去年、第19回で再挑戦
練習不足もあったが、なんとか完踏
しかしながら75km馬越峠で心が折れ、歩いてしまう。
後で分かったことだが、500m我慢すればエイドがあった。
一度折れた心は戻らず、何度も歩いてしまった。

おばちゃんの背中は遠いなぁ・・・


いろいろウルトラマラソンの大会も出てきて、
野辺山は一番好きな大会では無いのですが
一番教えられることが多く、一番課題を与えてくれる大会です。

来年、どうするか・・・?
 
コメント
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