カナリア日記

さいたま市南区(武蔵浦和)にある「カナリア音楽教室」のレッスン日記です。

「津波」で思い出したある文章

2011年03月21日 | 日々のこと・・・
被災地の様子が、毎日TVで映し出されております。
本当に、信じられない、眼を覆いたくなるような映像ばかりです。

最近は「視聴者からより」として
被災された方から提供された映像も増えてまいりました。

実際に「生の声」が入っています。
TV局が写してたものよりも
より、リアリティーがあります。

人々の声が入ってる映像を見てる時
私は、ある一つの文章を思い出しました。

私が芝居の勉強をしている時に稽古の中で使われたものです。
作者はわかりません。




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妙に生暖かい風が頬をなでるように吹き抜けた。
その奇妙な感覚に、ふと顔をあげると、その先に広がる眩しいほどに輝いた海面が、
いきなりむくむくと盛り上がって、徐々に白いしぶきが大きくなり、
やがてこちらに向かってくるのが判った。

今起こっていることが現実なのか、夢なのか、判断がつかないでいた私を
誰かがものすごい力で抱きかかえ、砂浜を引きずるようにひっぱっていった。
海面から15メーターはある見晴らしの丘の防波堤の階段をひっぱり上げられたとき、
私の足は、半分海水に浸かっていた。

急に我に返ると、全ての感覚がよみがえり、全ての音がいきなり大音量で耳に飛び込んできた。
目の前で、ものすごい波の音とともに、木が折れ
弾けるように岩が転がり人を押しつぶし、押し流していた。

何人かの人達が、叫びながら海に落ちた子供の手を掴もうとしたが、その先にいた小さな女の子は、
あっという間に濁流に飲み込まれ、消えていってしまった。

絶望の叫び。絶叫。あちこちから聞こえてくる泣き叫ぶ声、流されていく老人、
うつぶせの若い女性の背中、
海面から、足だけが飛び出したまま、人形のように流れていく子供。

人々は大自然というとてつもなく大きな力に、為す術もなく、
何かの生贄のように怯える事しかできないでいた。
それは、まさに生き地獄そのものであった。

私は、動くこともできず、助けてくれた人がだれだかわからないまま、
ただただその光景を茫然と眺めることしかできなかった。

私の住んでいたいた家は、激しく渦巻き暴れる海面に飲み込まれている。

・・・続く




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これを稽古で使ったのは数年前です。
一人セリフです。

何回やってもNGが出ました。
悲しい事や死を思い出すと、当然涙は出るんです。
でも・・・何十回もNGになりました。

先生から「玲子さん、そうじゃない!違う!!」
と、幾度も叱責されました。

でも、私には、どう演じたらいいのか、正解が見えなかったのです。

業を煮やした先生は、こう言いました。

「玲子さん、いい?この答えはね、これはね
読めない、言えない、声にならない、が正解だよ」

こんな悲惨な体験をしたら、何も言えないはず
無理して言葉にする必要はないんだ、という事でした。

あの時、このセリフを言う為に
悲惨な戦争の映画を何本も見ました。津波の映画はなかったからです。
でも、毎日TVに流れる映像はまさにこの場面です。

多分、被災された方々は、未だ多くは語れないでしょうが
きっと、実際にこのような状況を目の前で見ていたのだと思います。

その事によって心に受けた深い傷。
それを抱えながら、10日経った今もなお
不安の中で、不自由な生活を続けてらっしゃいます。

今この文章は・・・読めないですよね。

私の芝居の師、心から尊敬するM先生の言葉は正しかったです。



改めて、心から、ご冥福を申し上げます。

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コメント (1)
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