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ブルース・スプリングスティーン「ザ・ゴースト・オブ・トムジョード・ツアー」日本公演サインをもらった

ブルース・スプリングスティーン「ザ・ゴースト・オブ・トムジョード・ツアー」日本公演
僕は4公演全部に行き、ブルースからサインももらえました。
僕が今まで大切にしてきた思い出。
何人かの出会った人に話した思い出。
このブログにもいつか書こうと思っていたけれど延び延びになっていました。
読んでくれる人もいるのでこの機会に書きます。
長いですが僕の大切な物語です。よろしかったら読んでみてください。

ブルース・スプリングスティーンの日本公演。
僕は96年だと思っていたけれど97年1月のことでした。
今から18年前の話になります。
当時、ウドー音楽事務所やキョードー東京がコンサートチケット購入の整理券を発行していました。
僕はその時に知り合った人にアメリカに留学している友人を紹介してもらい、
その人のおかげで95年11月にサンフランシスコ、バークレーで
ブルース・スプリングスティーン「ザ・ゴースト・オブ・トムジョード・ツアー」を観れました。
最後ブルースが「across the border」を歌い始めた時に今までのことも思い出して、温かい涙が出ました。
そして終わってからブルースの会場からの出待ちをしたらブルースが出て来ました。
僕ももう少しでサインをもらえそうでしたが、残念ながらもらえませんでした。
その時のアメリカのファンがきちんと列に並んで押しあう事もしないで待っていたのが印象に残っています。

それから遂に日本公演が決まりました。
僕はチケットも整理券で知り合った人たちのおかげで手に入れて、
一日だけは2列目のチケットも分けてもらいました。
そうしたらアメリカの友人を紹介してくれた人からブルースのサインももらえばいいと言われました。
僕はそんな事は無理だろうと思っていましたが、
普通はホテルのロビーで待つのだけれど、僕は慣れていないので、
空港で待てばいいとアドバイスしてもらいました。
よほどの大物でなければ入国審査から出て来て車寄せに行くのにロビーを歩いて来るのだと教えてもらいました。
それなら僕もやってみようと思いました。

ブルース・スプリングスティーンのファンクラブBACKSTREETSに電話して聞いたら、
今ブルースはアメリカにいるけれど、ニューヨークから出国するかロサンジェルスからか分からないと言われました。
それでも僕は挑戦してみようと思いました。
僕は仕事を2週間位休みをもらって備えました。

いざ成田空港に行くと運良く、ニューヨークからの便もロサンジェルスからの便も
午後1時から午後4時位にまとまって到着することが分かりました。
僕はブルースは早めに来て広島や長崎などに行くかもしれないと思い込み、、
日本でのライブの7日前から成田空港に行き始めました。
僕の自宅は電車で40分ほどで成田空港に行けたのでそれほど大変ではありませんでした。
でも一番の問題は成田空港には第一ターミナルと第二ターミナルがあり、
航空会社によってそれぞれ到着ターミナルが違いました。
僕は時刻表を見て第一ターミナルと第二ターミナルを行ったり来たりしました。

さらに第一ターミナルでは当時、入国審査が終わってから到着客は2方向に分かれる建物の構造になっていました。
僕は片方の出口で出て来る人を見て、同時にテレビモニターに映るもう一方の出口もチェックしました。
さすがに4日目位になると疲れて来てふと居眠りしてしまったこともありました。
でも運良くその時にはブルースは来ませんでした。

そしていよいよ6日目。僕はいつものように空港ロビーをちょこちょこと往復していたら、
なんとあの「私はロックンロールの未来を見た。その名はブルース・スプリングスティーン」という
有名な記事を書いたブルース・スプリングスティーンの盟友、プロデューサー、ジョン・ランドーにばったり会いました。
僕はいよいよだなと思いました。
僕はジョン・ランドーに話しかけて、僕のブルース・スプリングスティーン論を話したかったのですが、
ここで僕が彼に話すと、あやしいファンがいるとウドーの迎えに来ている人に言われて僕を避けられてしまうと考えて、
あえてジョン・ランドーに話しかけませんでした。

僕は第一ターミナルでジョン・ランドーの隣に立ってブルースが出て来るのを待ちました。
出口すぐにはカメラマンが何人かカメラを構えて待機していました。
隣にいたジョン・ランドーが一緒にいた人に
I'm exisited
と言ったのが聞こえました。
僕はジョン・ランドーよりもさらにもっと興奮と緊張していました。

そしていよいよ到着客が出口から出て来ました。
カメラマンがシャッターを切る音が聞こえます。
でもブルースは出て来ない。
そうこうするうちにカメラマンも行ってしまいました。
後で分かったのですが、その時のカメラマンの目当ては読売ジャイアンツの新外国人ピッチャーでした。
騒ぎが済んですっかり出口はさみしくなってしまいました。
ジョン・ランドーも何も言いません。
僕は彼の噛むチューイングガムの甘ったるいにおいを覚えています。

気を取り直して出口と、もう一方を映すテレビモニターを見ていたら、
ジョン・ランドーがハッと気が付いたような動作をして歩いて行きました。
僕はブルースをモニターで確認出来なかったのですが、迷ったのですが、
ここはジョン・ランドーに着いて行った方がいいと思い、
後ろから彼を追いかけました。
するとばったりブルース・スプリングスティーンに会いました。
ブルースは丸い黒のサングラスをしていて堂々と歩いて来ました。
僕は夢中になって僕が用意した紙を差し出して
Please
と言ってサインを頼みました。
でもブルースは僕を見向きもしないでどんどん歩いて行ってしまいます。
すると近くにいたウドーのお迎えの人が僕をかわいそうに思ったのか、
ブルースに手招きしてくれました。
ブルースは仕方ないなと僕の差し出す紙を手に取って「オッ」と言ってサインしてくれました。

僕が用意した用紙はその前に渋谷タワーレコードでブルース・スプリングスティーン「GREATEST HITS」の販売プロモーションで
ファンに皮ジャンとギターを貸してくれて、ブルース・スプリングスティーンに成りきって写るというものでした。
よろしかったらそのアルバム・ジャケットを見てみてください。
実際はブルースは後ろ向きで写っていますが。
結局良い写真が集まらなかったのか新聞広告には載りませんでしたが。
でも僕はその時の写真をその場でもらって大切にしていました。
ちょうどCDケースのサイズだったのでCDケースに写真のコピーを入れて知り合った人に渡したりしていました。
そのジャケットにブルースがオッと言ってサインしてくれました。
最初のBの文字にブルースが力を入れて書いてくれたのを覚えています。
それから僕は一方的にブルースの手をさわって握手しました。

僕はしばらく放心状態でいたのですが、
そうだ車が出るところを見送りしなければと思いついて、
道路に出たら、またブルース達に出会いました。
僕は「Can I take a picture?」と行ったらウドーの人がダメだと手振りで答えたので撮りませんでした。
でもブルースがジョン・ランドーと一緒に乗ったお迎えの車がただのワゴン車でした。
ジョン・ランドーがこれに乗るのか?というような表情をしていました。
ブルースは先に乗っていました。
僕は車から少し離れて車が出るのを見送ろうと立っていたのですが、
なかなか車が出ません。
僕は放心状態でブルースを見つめていました。ブルースも僕を見ていたかどうかはわかりません。
その間何十秒かが不思議な間があったのを覚えています。
変な日本人だなとブルースは僕を思ったかもしれません。

車が出て行き、僕はおじぎをして別れました。
その後もぼーっとしていたのですが、
後になって思いました。
ブルース・スプリングスティーンも外タレだったのだなと。
僕の中でブルースはどんなファンでもファンのことを思い、ファンを大切にする神様のように思っていました。
それがブルースも同じただの人だったのだとわかりました。
その時に僕は初来日公演にチケットを必死になって手に入れたのに
入院していて観に行かれなかったことの呪縛から解けたのでした。

それにしても僕はついていました。
後で分かったのですがブルースは最初の予定ではJALで第二ターミナルに着く予定だったのでした。
僕は第一ターミナルにヤマをはって待っていたのですが、
何かの都合でUNITEDか何かの便に変更になり第一ターミナルに来てくれて僕はブルースに会いサインももらえました。
運が良かったというか、神様も僕の頑張りに応援してくれたのかなと今も僕は思います。
ブルース・スプリングスティーンの「LAND OF HOPE AND DREAMS」の歌詞
Faith will be rewarded
信じて一生懸命努力すれば報われる
僕はブルース・スプリングスティーンを追いかけ続けて何度もこのことを実感しています。
また他の僕のブルース・スプリングスティーン・ストーリーはまたそのうちに書こうと思います。
長い文章を読んでくださりありがとうございました。
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