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大先生を偲ぶ会

僕の通う教会の大先生を偲ぶ会がありました。
いつものように礼拝の後の食事会。歓談の後、大先生の思い出を一人ずつ話しました。
みなさんの話を聞いていて僕は大先生はすごい人だったのだなと思いました。

でもみなさん、大先生を偉い人とは言わなかった。実際は総会議長までされた人なのだけど。
それよりもそれぞれの人に大先生がかけてくれた言葉、様子をみなさん懐かしんで話していた。

僕も話した。僕はここの教会に親孝行、お母さんのために入った。
そうしてお母さんが病院ホスピスに入ってから何度も大先生が来てくれて聖餐式をしてくれた。
一度は信徒の人の車を待てなくてタクシーで駆けつけてくれた。運転手さんに車いすを押してもらって入って来た大先生が少し得意気な表情に僕は見えてうれしかった。
お母さんは肝心のお祈りのところでいつも眠ってしまったけれど。お母さん幸せだったと思う。
お母さんが亡くなって大先生は「お母さんは変わられた」と僕に話してくださった。
お母さんはお父さんが病院で亡くなる時、冷たい態度を取ってしまったのを後悔していたようだった。
それで若い頃通った教会の自宅近くの教会にまた行き始めたようだった。
お母さんは変われたのだと僕も思う。

お母さんが亡くなってからも僕は教会に行った。
大先生は僕のフェイスブックを見てくれていたようで、いろいろあるようですねとやさしく笑って話してくれた。
大先生は普段はおだやかなやさしいおじいちゃんだったけれど説教の時は魂が乗り移ったように熱く話された。
不謹慎だけど僕はおもしろく聴いた。いいライブだった。
そんなことを僕は話した。

会が終わって僕は考えた。世の中で偉くなるよりも、一人一人のこころの内に生きられればそれが一番幸せなのかなと。
僕もそうなりたいと思った。
そして僕が思ったのが、大先生は強い内にやさしさがあったのだと思う。強くなければやさしくなれないのだと思う。
そして大先生は僕たちの所まで降りて来てくれたのだと思った。
まさにイエスさまが降りて来てくださったように。
それを実践された僕の大先生なのだと思います。
大先生ありがとうございました。
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