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「異界の歩き方」村澤和多里 村澤真保呂さん著を読んでの感想

「異界の歩き方」村澤和多里 村澤真保呂さん著を読んでの感想です。
最初気が付かなかったけれどこの本は旅行ガイド本「地球の歩き方」にかけて統合失調症への旅のガイド本のように書かれていました。
僕も「地球の歩き方」を読んでニューヨーク、サンフランシスコ、ボストン、ワシントンDCとかに行きました。
そして僕は今、浦河べてるの家を旅行している最中なのだなと思います。
浦河の旅行ガイドとしての本として僕はとても多くの気づきを読んでいながらもらいました。
その気づきを挙げます。

自然治癒がいいのだな。
僕の今までの生活もまさにそうだった。
僕も挫折して引きこもった。
でもそれから外に出て行きいくつもの大切な出会い、何人もの大切な人に出会って回復して来た。
僕のブルース・スプリングスティーンの追っかけも気象予報士に成ったのもまさにこの流れ。
自然に人とのつきあいが増えていい人と出会い回復した。
人は無理して強制しなくても自然とやりたいことを見つけて、それを追いかけていくうちに大切な出会いに恵まれて回復するのだ。

べてるはみんなで生活していく場。
昔の言葉で言う運命共同体かな。僕もその運命共同体に入ろうとしたけれど入れない。
今僕は長期旅行者の立ち位置かな。
千葉と浦河を行き来して浦河の寅さんに成れたらいいな。
天理教の教祖になる女性がいろいろ言うのを夫が拝んで支えたように精神症状のある人との生活を異界ととらえて一緒に旅する。
僕も一緒に旅をしてくれる人が欲しいな。

当事者研究ってそんなにすごいんだ。
そうか僕も爆発をみんなと研究しよう。
弱さをきずなに。仲間とつながれる。
この本は上手くまとめられている。
僕が今まで読んだべてるの話が簡潔にまとまっている。
そうだこれを僕は読んで来たのだと思いました。そして僕は浦河に来たのだ。
僕も支援者にだけでなくみんなに聴かれる、つながれる聴かれ方をしよう。
向谷地の実践は非常にどろくさくうさんくさいとこの本で評されている。
これを最近はきれいなものにしようとしているから僕はべてるに来て違和感を感じているのかなと思います。

当事者研究では「つきもの」のことを「お客さん」と読んでいる。
当事者研究はつきもの落としに似ている。
当事者研究で言うお客さんはきつねのつきものだ。
人とことを分けている。そして悩みを外在化している。

僕もまゆに包まれた時期があったな。温かくて安心していられたな。
そして当事者研究の目指すものは「苦労を取り戻すこと」

当事者研究は失敗することが許されていると思う。
この安心感が大切。
それでもう一度みんなと頑張ろうとユーモアと伴に救いのかんかく

僕もいろいろな人の手助けを借りて異界に入りそして通り抜けて生まれ変わった。僕はさらにそれを進めていきたい。べてるで。
僕も思春期の異界を通り越したのだな。何かなつかしくいとおしく感じる。

「治りませんように」とべてるのメンバーが七夕の短冊に書いた。
これを言えたのは、べてるが本当にいい場だったのだろうな。

中井久夫「個人症候群」
天理教の教祖の女性に周りはその女性の幻聴?を神の言葉と言ってそれに合わせたという。
幻聴だったのか神のお告げだったのか死らないけれど、それが教祖の女性の回復に大切だったのだと僕も思う。
僕のブルース・スプリングスティーンの追っかけもこれと同じ。そして当事者研究はこれをみんなで行う。
僕の他人事メソッドも天理教の教祖の体験と同じなのだな。

RDレインも中井久夫も患者の回復を寄り添い待ちながら進めた。
医療で強制的に進めるのではなくそして止めることも無く進めた。
植物の根のように茎分かれしていくのが回復。
僕のブルース・スプリングスティーンの追っかけも気象予報士もそして浦河の生活もその流れだな。
「治すよりも活かす」僕も自分からやりたいことが自然と出て来た。病院デイケアのおかげ。

べてるの家では相互作用。いろいろな人がいるからいい。
良い人ばかりではダメ。
べてるでは何でもあり。雑多なものが共存する世界。純粋ではない。
症状は自分助け、努力の結果。必要だった。
それを開いてつないでいくことで症状は道具、技となる。

エコロジー「生態系」
森全体が回復してからやっとシマフクロウが森に帰って来る。
べてるの家は豊かな森なのかな。
今の僕にはそうとは思えないけれど見る人が見るとそうなのだろう。

僕はべてるを歩いて旅しているのだろう。
ひとりではなくみんなと生活している。
ここには良い人ばかりではなく嫌な人もいる。その中で僕はもまれて成長していく、いやされている。べてるの森で。

フェリックス・ガタリ、フロイト、このあたりからこの本が難しく成って来て僕には分からない。

ケアの大切さ。医者が直すのではなく個人にそれぞれ寄り添い個人が道を見つけて歩き出すのを支え手助けする。
そこに仲間も加わるそれがべてるのあるべき姿。異界。

でもべてるの現在のケアはその場しのぎになっていると僕は思う。
それぞれのトラブルに対応しているけれど、トラブル自体を見ているだけでその内面の異界を見ていないと僕は思います。

そんな僕の感想です。
今僕はべてるの家の中に居るけれど不満ばかり見えて来ている。
僕がこの本を読み始めたべてるまつりの頃は僕もべてるが楽しかった。
それが何で今は変わってしまったのだろう。
まあ僕は所詮後から来たメンバー。アウェイの人間。
だから旅行者として自分の位置から見えるものを吸収していくのがいいのかな。そしていつか旅立って行くのかな。
そういう立ち位置からこの本を読んでみたら僕は大丈夫と思えました。
そう。僕はべてるの家を旅行しているのだ。
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