自分の周りの空を写します
北東気流の街に生まれて
「ブルース・スプリングスティーンのサインを成田空港でもらったの巻」
以前、ブルース・スプリングスティーンのファンの皆さんとの集まりで少し話しましたが2023年のまとめとして、1997年1月に僕がブルース・スプリングスティーンからサインをもらった時の話を書きます。
僕の大切なブルース・スプリングスティーン・ストーリーを読んでくださったらうれしいです。
「The Ghost of Tom Joad Tour」でブルース・スプリングスティーンが来日公演を行った時の話です。
当時僕はブルース・スプリングスティーンに直接会いたいと思い成田空港でブルースを待つことにしました。
仕事も休んで準備しました。
そしてファンクラブ「BACKSTREETS」に電話をしてブルースはどこからの便で来るか教えてくださいと聞きましたが、Los Angeles かNew Yorkから行くだろうとの答えで僕は困りました。
でもそこで僕は東京国際フォーラムでのライブの1週間前から成田空港でブルースが来るのを待つことにしました。
当時は国際便はほとんど成田空港へ来るので都合良かったです。
到着便の時刻表を見たらLos Angeles,New Yorkからの便は午後1時から午後4時位に集中していました。
だからその時間帯に待っていればいいと思いました。
でも成田空港には第一ターミナルと第二ターミナルが有りましたので時刻表を見ながら第一ターミナルと第二ターミナルを京成電車で行き来しました。
何日も今日は来なかったと帰り、翌日のスポーツ新聞でブルースがまだ来ていないのを確認しました。
成田空港の警備員さんも怪しい奴がまた来ていると思っていたかもしれません。
そうしていたら遂にライブ前日に成りました。
今日しかないといつものように成田空港に行ったらブルースのプロデューサーのジョン・ランドーに出会いました。
僕はいよいよだなと緊張しました。
そしてジョン・ランドーにくっ付いていればブルースに会えると思いました。
本当はジョン・ランドーに話しかけたかったのですが、怪しい人物がいると僕がブルースから危険人物として離されては困るので黙って隣に立ちブルースの到着を待ちました。
ジョン・ランドーがI’m excited’とウドーの人らしい人と話しているのが聴こえました。
僕も緊張しました。
そしてジョン・ランドーの噛むチューイングガムの甘い匂いがしました。
そうしている内に到着ロビーの出口にカメラマンが待ち構えていていよいよだなと思いました。
そしてあわただしくなり出口から人が出て来てカメラマンが写真を撮り始めました。
でもブルースでは無くジャイアンツの外人投手でした。
その外人投手が控室に入るとカメラマン達もそれに追いかけて行きました。
そしてあたりに人が居なくなりさみしい空気に成りました。
でもそれからしばらくジョン・ランドーの隣でブルースを待っていたらジョン・ランドーが何か気が付いたように反対側の出口に向かいました。
当時成田空港第一ターミナルは到着ロビーに左右両側に出口が有り、待っている人は片側の出口に居てもう片方の出口はテレビモニターで来る人を見るシステムでした。
僕はモニターでブルースの姿を確認出来ませんでしたが、ジョン・ランドーがブルースを見つけたのだろうと思い僕も反対側出口に歩きました。
するとばったりブルースに出会いました。
野球帽にサングラスをかけて大またで歩いて来ました。
僕はサインをお願いしたのですが、ブルースは見向いてくれません、
そうしたら迎えに来たウドーの人らしかったですが、かわいそうだと思ったのかブルースに手招きしてくれました。
そしてブルースがしょうがないなあと僕が用意した紙にオッと言ってサインしてくれました。
僕は放心状態でその場にしばらく立っていました。
それからそうだ車寄せでブルースをお見送りしようと思い車寄せに行きました。
するとジョン・ランドーが車に乗るところでブルースが先に乗りました。
僕はCan I take a picture?と尋ねたらウドーの人が遠慮してくれとジェスチャーしました。それでも僕はつい一枚だけ写真を撮りました。
何かジョン・ランドーはワゴン車に乗せられるのが不満のように僕は感じましたが。
そうして僕はブルース達を乗せた車が出発するのを待っていたのですが、
誰かを待っているようでなかなか出ない。
僕は車の前にいましたが変な間がありました。
そうこうしている内に車が出発して僕は手を振ってお見送りしました。
今思えばよくやろうと思ったな、
第一ターミナルに来るか第二ターミナルに来るかは賭けでした。
運が悪ければ全然ブルースに会えなかったです。
しかも後で聞いたのですがブルースは当初JALで来る予定だったのがUNITEDだかに変更に成ったそうです。
予定通りに第二ターミナルのJALだったら僕は第一ターミナルに居てブルースに会えなかったです。確率は2分の1。ついていました。
僕がブルースにサインをもらった用紙は前に渋谷タワーレコードに行った時にグレーテストヒッツの販売促進用に新聞広告をソニーが出したくて撮ってもらった写真。
いい写真が撮れなかったのか発表はされませんでした。
でも写真はその場で僕にも渡してくれて、革ジャン、ギターを借りてブルース・スプリングスティーンに成り切って撮ってもらいました。そこにサインをしてもらいました。
そんな僕のブルース・スプリングスティーン・マジック・ストーリーでした。
読んでくださりありがとうございました。
僕の大切なブルース・スプリングスティーン・ストーリーを読んでくださったらうれしいです。
「The Ghost of Tom Joad Tour」でブルース・スプリングスティーンが来日公演を行った時の話です。
当時僕はブルース・スプリングスティーンに直接会いたいと思い成田空港でブルースを待つことにしました。
仕事も休んで準備しました。
そしてファンクラブ「BACKSTREETS」に電話をしてブルースはどこからの便で来るか教えてくださいと聞きましたが、Los Angeles かNew Yorkから行くだろうとの答えで僕は困りました。
でもそこで僕は東京国際フォーラムでのライブの1週間前から成田空港でブルースが来るのを待つことにしました。
当時は国際便はほとんど成田空港へ来るので都合良かったです。
到着便の時刻表を見たらLos Angeles,New Yorkからの便は午後1時から午後4時位に集中していました。
だからその時間帯に待っていればいいと思いました。
でも成田空港には第一ターミナルと第二ターミナルが有りましたので時刻表を見ながら第一ターミナルと第二ターミナルを京成電車で行き来しました。
何日も今日は来なかったと帰り、翌日のスポーツ新聞でブルースがまだ来ていないのを確認しました。
成田空港の警備員さんも怪しい奴がまた来ていると思っていたかもしれません。
そうしていたら遂にライブ前日に成りました。
今日しかないといつものように成田空港に行ったらブルースのプロデューサーのジョン・ランドーに出会いました。
僕はいよいよだなと緊張しました。
そしてジョン・ランドーにくっ付いていればブルースに会えると思いました。
本当はジョン・ランドーに話しかけたかったのですが、怪しい人物がいると僕がブルースから危険人物として離されては困るので黙って隣に立ちブルースの到着を待ちました。
ジョン・ランドーがI’m excited’とウドーの人らしい人と話しているのが聴こえました。
僕も緊張しました。
そしてジョン・ランドーの噛むチューイングガムの甘い匂いがしました。
そうしている内に到着ロビーの出口にカメラマンが待ち構えていていよいよだなと思いました。
そしてあわただしくなり出口から人が出て来てカメラマンが写真を撮り始めました。
でもブルースでは無くジャイアンツの外人投手でした。
その外人投手が控室に入るとカメラマン達もそれに追いかけて行きました。
そしてあたりに人が居なくなりさみしい空気に成りました。
でもそれからしばらくジョン・ランドーの隣でブルースを待っていたらジョン・ランドーが何か気が付いたように反対側の出口に向かいました。
当時成田空港第一ターミナルは到着ロビーに左右両側に出口が有り、待っている人は片側の出口に居てもう片方の出口はテレビモニターで来る人を見るシステムでした。
僕はモニターでブルースの姿を確認出来ませんでしたが、ジョン・ランドーがブルースを見つけたのだろうと思い僕も反対側出口に歩きました。
するとばったりブルースに出会いました。
野球帽にサングラスをかけて大またで歩いて来ました。
僕はサインをお願いしたのですが、ブルースは見向いてくれません、
そうしたら迎えに来たウドーの人らしかったですが、かわいそうだと思ったのかブルースに手招きしてくれました。
そしてブルースがしょうがないなあと僕が用意した紙にオッと言ってサインしてくれました。
僕は放心状態でその場にしばらく立っていました。
それからそうだ車寄せでブルースをお見送りしようと思い車寄せに行きました。
するとジョン・ランドーが車に乗るところでブルースが先に乗りました。
僕はCan I take a picture?と尋ねたらウドーの人が遠慮してくれとジェスチャーしました。それでも僕はつい一枚だけ写真を撮りました。
何かジョン・ランドーはワゴン車に乗せられるのが不満のように僕は感じましたが。
そうして僕はブルース達を乗せた車が出発するのを待っていたのですが、
誰かを待っているようでなかなか出ない。
僕は車の前にいましたが変な間がありました。
そうこうしている内に車が出発して僕は手を振ってお見送りしました。
今思えばよくやろうと思ったな、
第一ターミナルに来るか第二ターミナルに来るかは賭けでした。
運が悪ければ全然ブルースに会えなかったです。
しかも後で聞いたのですがブルースは当初JALで来る予定だったのがUNITEDだかに変更に成ったそうです。
予定通りに第二ターミナルのJALだったら僕は第一ターミナルに居てブルースに会えなかったです。確率は2分の1。ついていました。
僕がブルースにサインをもらった用紙は前に渋谷タワーレコードに行った時にグレーテストヒッツの販売促進用に新聞広告をソニーが出したくて撮ってもらった写真。
いい写真が撮れなかったのか発表はされませんでした。
でも写真はその場で僕にも渡してくれて、革ジャン、ギターを借りてブルース・スプリングスティーンに成り切って撮ってもらいました。そこにサインをしてもらいました。
そんな僕のブルース・スプリングスティーン・マジック・ストーリーでした。
読んでくださりありがとうございました。
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