自分の周りの空を写します
北東気流の街に生まれて
「吃音の当事者研究」どもる人たちがべてるの家と出会った 向谷地生良 伊藤伸二 著を読んでの感想
「吃音の当事者研究」どもる人たちがべてるの家と出会った 向谷地生良 伊藤伸二 著を読んでの感想です。
この本はどもる人たちの自助グループ代表の伊藤さんがどもりの当事者研究のワークショップに向谷地生良先生を招いて開いた時の記録本です。
生良先生が当事者研究の紹介をした時の話が僕に新鮮で、そうだ当事者研究はこうだったなと思い出せました。
その現実にどんな態度で向き合うか。
それをどういう出来事として扱おうとしているか。
当事者研究は生活の中から研究の素材を見出して、それを研究テーマとして、そのテーマの背景にある事柄や経験、意味などを見極めて、ユニークな発想で自分に合った「自分の助け方」や理解を見出していく。
〇当事者が苦労の主人公
〇どんなに困難でも、その場、仲間、自分の経験の中に困難を解消する大切な知恵があると考える
〇仲間とともに「研究する」という視点に立ってワイワイガヤガヤと語り合い、出来事や苦労の起こるパターンや仕組み苦労や困難の背後にある意味や可能性を見出す。
〇即興的(偶然)に生まれるユニークな理解やアイデアが「自分の助け方」の発見につながる
〇「態度」「とらえ方」「立ち位置」の変更を基本とし、問題が「解決」されなくても「解消」されることを考える
そして「治る」のを目指すのではなくて生きづらさを生きやすくする。どう治すかでなくどう生きるか。
そして何かあったら研究しようと考える。
当事者研究は楽しいもの。つらい時や気乗りしない時は入口が違っているかもと考える
その中で自分たちが機嫌良くしている。吹いて来る冷風には温かい風を送り続ける
「したたかさ」「ユーモア」「にもかかわらず生きる」
ここが僕が思うべてるのすごいい所かなと思います。今はだいぶ薄れてしまったかもしれませんが。
この本のどもり当事者の伊藤さんは必死に闘っているけれど生良先生はしたたかに生きて来たと僕は思います。そして機嫌良くしていると人が集まって来る。この機嫌良くしているというのを僕も忘れてしまっていたなと思いました。
また当事者研究を実践して行こうと思いました。
この本はどもる人たちの自助グループ代表の伊藤さんがどもりの当事者研究のワークショップに向谷地生良先生を招いて開いた時の記録本です。
生良先生が当事者研究の紹介をした時の話が僕に新鮮で、そうだ当事者研究はこうだったなと思い出せました。
その現実にどんな態度で向き合うか。
それをどういう出来事として扱おうとしているか。
当事者研究は生活の中から研究の素材を見出して、それを研究テーマとして、そのテーマの背景にある事柄や経験、意味などを見極めて、ユニークな発想で自分に合った「自分の助け方」や理解を見出していく。
〇当事者が苦労の主人公
〇どんなに困難でも、その場、仲間、自分の経験の中に困難を解消する大切な知恵があると考える
〇仲間とともに「研究する」という視点に立ってワイワイガヤガヤと語り合い、出来事や苦労の起こるパターンや仕組み苦労や困難の背後にある意味や可能性を見出す。
〇即興的(偶然)に生まれるユニークな理解やアイデアが「自分の助け方」の発見につながる
〇「態度」「とらえ方」「立ち位置」の変更を基本とし、問題が「解決」されなくても「解消」されることを考える
そして「治る」のを目指すのではなくて生きづらさを生きやすくする。どう治すかでなくどう生きるか。
そして何かあったら研究しようと考える。
当事者研究は楽しいもの。つらい時や気乗りしない時は入口が違っているかもと考える
その中で自分たちが機嫌良くしている。吹いて来る冷風には温かい風を送り続ける
「したたかさ」「ユーモア」「にもかかわらず生きる」
ここが僕が思うべてるのすごいい所かなと思います。今はだいぶ薄れてしまったかもしれませんが。
この本のどもり当事者の伊藤さんは必死に闘っているけれど生良先生はしたたかに生きて来たと僕は思います。そして機嫌良くしていると人が集まって来る。この機嫌良くしているというのを僕も忘れてしまっていたなと思いました。
また当事者研究を実践して行こうと思いました。
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