今日もお休み。ありがたや。昨日ほどのお天気ではないのもありがたい。
で、時間があったのでデジタルチューナーとやらを取り付けてみたのだが・・まあテレビの後ろのお掃除の方が大変だった。
BSアンテナはついているので、一応BS番組だけでも・・と思って取り付けたのだが・・なんと地上波テレビも一部視聴できてしまう。
だた、いちばん見たい視聴料を払っている地上波がまったく捕らえられないのが残念。
デジタルアンテナ立ててないからそれは仕方がないこととおもっておりますけどね。
しかし・・局が近い順によく映ってる気がするんですけど・・多分一番遠いのがNHKと日テレになるのか?
とりあえずは画像も見ることが出来る生活にはなったのだけれで・・果たしてみるかは疑問であります。
○5月1日(日)
さてさて王宮博物館の古音楽楽器コレクションSammlung alter Musikinstrumenteの見学が常設展、特別展ともに見終わって・・さてどうしましょう?と思ったkおばちゃんです。
どうしましょう・・というのは博物館の展示がまだ続いていたからです。
ふとホール階段の下を覗くと・・なにか展示してあります。
こなったら、見に行くしかありません。どうやら入場券は共用のようでチェックするところもありません。
こちらは王宮博物館のエフェソスコレクションEphesos Museumといったところのようです。エフェソスEphesusというのは、トルコのエーゲ海沿いにある古代都市のあったところですよね?
kおばちゃんも2010年のお正月に出かけてゆきました。
でも、何でウイーンにトルコトのエフェソスEphesusの名前のついた博物館の展示があるのか、kおばちゃんにはなぞでしたが・・ここによると19世紀のまだオスマントルコであった時代に、ウイーンの考古学者が発掘研究を行っていたから・・ということのようですね。
1907年のトルコの古代法の布告により、発掘品の国外持ち出しが禁じられるまでの間に研究の名のものとに運ばれてきた出土品の展示・・ということのようです。
こちらのホールに展示されて後姿が凛々しいのはアスリートのお姿だそうです。
そして冒頭にもあるようなこのような地図が掲げられていました。
ここエフェソス博物館にはエフェソスの出土品はもちろんのこと、他のSamothrakeとTyasという地名がみえるんですけど。
Samothrakeとは現在ギリシャ領のサモトラキ島のことのようですが、Trysaという地名が検索できませんでした。
どうも、現在のフェニケFinikeの近郊の遺跡にその名前が垣間見えるような・・気がします。
地図上でもアンタルヤAntalyaの近く・・にみえますよね。
で、このTrysaの展示は・・このようなケースに入っておりまして。
これは・・カシュKaşで見かけた石のお棺・・のようなものでしょうか?
石垣で囲ってあるということは・・どなたか地位のある方のお墓だったのでしょうかね?
まさかお墓の本物は・・持ってこられませんよね。
そしてその先に写真で展示されているのは・・どこかで見たような景色。
この地図もどこかで見たことのあるような・・
こちらはこの地図のジオラマというのでしょうか?
これはあのエフェソスのジオラマじゃないでしょうか?それにしてもこんなに広かったかしら・・
このお方たちは・・この遺跡からいらした方たちでしょうか?
で、時間があったのでデジタルチューナーとやらを取り付けてみたのだが・・まあテレビの後ろのお掃除の方が大変だった。
BSアンテナはついているので、一応BS番組だけでも・・と思って取り付けたのだが・・なんと地上波テレビも一部視聴できてしまう。
だた、いちばん見たい視聴料を払っている地上波がまったく捕らえられないのが残念。
デジタルアンテナ立ててないからそれは仕方がないこととおもっておりますけどね。
しかし・・局が近い順によく映ってる気がするんですけど・・多分一番遠いのがNHKと日テレになるのか?
とりあえずは画像も見ることが出来る生活にはなったのだけれで・・果たしてみるかは疑問であります。
○5月1日(日)
さてさて王宮博物館の古音楽楽器コレクションSammlung alter Musikinstrumenteの見学が常設展、特別展ともに見終わって・・さてどうしましょう?と思ったkおばちゃんです。
どうしましょう・・というのは博物館の展示がまだ続いていたからです。
ふとホール階段の下を覗くと・・なにか展示してあります。
こなったら、見に行くしかありません。どうやら入場券は共用のようでチェックするところもありません。
こちらは王宮博物館のエフェソスコレクションEphesos Museumといったところのようです。エフェソスEphesusというのは、トルコのエーゲ海沿いにある古代都市のあったところですよね?
kおばちゃんも2010年のお正月に出かけてゆきました。
でも、何でウイーンにトルコトのエフェソスEphesusの名前のついた博物館の展示があるのか、kおばちゃんにはなぞでしたが・・ここによると19世紀のまだオスマントルコであった時代に、ウイーンの考古学者が発掘研究を行っていたから・・ということのようですね。
1907年のトルコの古代法の布告により、発掘品の国外持ち出しが禁じられるまでの間に研究の名のものとに運ばれてきた出土品の展示・・ということのようです。
こちらのホールに展示されて後姿が凛々しいのはアスリートのお姿だそうです。
そして冒頭にもあるようなこのような地図が掲げられていました。
ここエフェソス博物館にはエフェソスの出土品はもちろんのこと、他のSamothrakeとTyasという地名がみえるんですけど。
Samothrakeとは現在ギリシャ領のサモトラキ島のことのようですが、Trysaという地名が検索できませんでした。
どうも、現在のフェニケFinikeの近郊の遺跡にその名前が垣間見えるような・・気がします。
地図上でもアンタルヤAntalyaの近く・・にみえますよね。
で、このTrysaの展示は・・このようなケースに入っておりまして。
これは・・カシュKaşで見かけた石のお棺・・のようなものでしょうか?
石垣で囲ってあるということは・・どなたか地位のある方のお墓だったのでしょうかね?
まさかお墓の本物は・・持ってこられませんよね。
そしてその先に写真で展示されているのは・・どこかで見たような景色。
この地図もどこかで見たことのあるような・・
こちらはこの地図のジオラマというのでしょうか?
これはあのエフェソスのジオラマじゃないでしょうか?それにしてもこんなに広かったかしら・・
このお方たちは・・この遺跡からいらした方たちでしょうか?