ここのところチョコチョコネットを覗いていたら面白い記事発見!
面白いと言うか興味深いというか・・それはドイツのバイエルン地方に第三セクターのような鉄道会社MERIDIANができて、この12月15日アタリから運用開始になるらしいと言う記事と、それにまつわる記事。
ウソか本とかしらないけれど、ドイツ鉄道は日本と同じように民営分割化されたときに、鉄路部門と車輌運行部門を分離したと聞いている。
日本のように地方によってブチッと分割してしまうのではなく、鉄路いわゆる線路は国家全体を一つの会社が運営して、その上を走る運送部門を地域によって分割しているというはなし。
そう、今話題の電力と同じ考え方。送電部門と発電部門が別会社というやつ。
だから、ドイツでは鉄道のLCCなんていうのも、近頃は見かけるようになって来てるのよね。
でも、この会社はLCCとはチト違うみたい。というのは、通常LCCだと運賃が別建で、DB(ドイツ鉄道)との共通性はないのだけれども、この会社はDBの切符も利用できるとなっている。
12年契約のような事が書いてあるのだが・・たしかkおばちゃんがこの路線を利用した時はDBのストライキにあってエライ思いをしたのを思い出した。
だからかな?ローカルな部分だけ切り離してしまったのだろうか。EC等の特急はそのままの通し運転のようだけれども、今後どのように運営されて行くのか気になる存在だな。
○5月31日(金)
Schloss Glienickeグリニッケ城の周りをささーーと歩いたkおばちゃん。一旦外に出ました。
向った先は、このお城の端にある橋です。
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まあ、なんの変哲も無い橋・・と言ってしまえばそれまでですが・・この場所の存在は昔から知人のHPで知ってはいたのですが、足を運んだ事はありませんでした。
橋のたもとにはこんな標識もあります。
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名前はグリーニッケ(グリーニッカー)橋Glienicker Brücke。そういえば、Glienickerという発音はグリニッケではなくてグリーニッケなんでしょうかね?
この橋は、17世紀終わりには造られ、ポツダムにある宮殿と狩猟場とを繋ぐために木製でかけられたそうです。1754年から郵便乗合馬車等のに使わ、多聞急勾配が負担だったのでしょう。1777年に監視小屋つきの木製の跳ね橋となり、増加した交通量のため、グリーニッケ城も造ったカール・フリードリッヒ・シンケルの手により1834年にはレンガ造りの橋となったようです。
1907年11月には益々増加する交通量、重い車輌にも対応すべく強固な橋として開通したようです。
その後、さらに拡張されたりもしましたが、やはり第二次世界大戦によって破壊されてしまったようです。
現在の姿は 1947年11月に再建されたもののようです。
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しかし、再建された橋は、当初は行き来できましたが、その後許可をもった徒歩通行のみとなり、1953年7月東西の冷戦によって閉鎖される事になってしまいます。
現在でもその名残をとどめるように、橋の真中にはこんな線が引かれています。
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そして歩道の境にはこのような記述も
DEUTSCHE TEILUNG BIS ここからドイツ分裂・・とでも言う意味でしょうか?
この橋はポツダム側が東ドイツに、Wannsee側は西ドイツという境になってしまったのです。
現在はもちろん自由に通行できますし、このような橋の下をのどかに観光船が行きかっていたりもします。
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橋を渡ってポツダム側に入って見ました。
こちらの橋の袂の方が、歴史を感じさせますね。あ、当然その歴史は戦前のと言う意味ですけど。
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両側にこのような柱廊が配置されています。
柱廊の保存を知らせるものですが・・この中の真中の写真が、冷戦当時の通行止めを示すものだと思います。
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ただ、この冷戦当時、ここを渡った人物がいます。それは・・・主に『スパイ』と呼ばれる捕虜達です。
初めは 1962年2月10日にソ連の大佐とアメリカの偵察飛行ののパイロット。
2回目は1964年4月。3回目は1985年6月12日そして最後は1986年2月11日と言われています。
交換された人々はスパイだけではなく人権活動家や政治犯などもいたようですが、所謂CIAやKGBももちろんいたようです。
まさにここは映画の舞台にでもなるような場所だったのですよね。
東側から西側を眺めて見ました。
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そんなドラマチックな場所も、今は普通に車が行き交い、人々が通り抜ける橋となっています。
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1989年11月、ベルリンの壁崩壊の10日後にこの橋も開放されたようです。
ただ、歴史的に有名な橋となっているため、ポツダムに向う観光バスは減速して渡ったり、橋の袂で一旦お客を降ろして徒歩で渡らせ、再び向こう側でピックアップする姿が見られました。
減速しないで通り過ぎて行った観光バスのボードには『JTB』の文字が・・ああ、あんまり日本人には関係無いのか・・
なんて思ってしまったkおばちゃんです。
まあ、何処にでも最近見られる、このような鍵をくっつける輩もいるようですのでね。
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※>まさにここは映画の舞台にでもなるような場所だったのですよね。
なんて書いちゃってましたが、映画になっちゃったみたいです。『ブリッジ・オブ・スパイ』Bridge of Spiesというスピルバーグの映画。
ということで、改めて2016年1月4日に書いて起きました。
在日ドイツ大使館の資料のなかの記載がグリーニッカー橋となっていたのでカッコ書きで追加しました。
面白いと言うか興味深いというか・・それはドイツのバイエルン地方に第三セクターのような鉄道会社MERIDIANができて、この12月15日アタリから運用開始になるらしいと言う記事と、それにまつわる記事。
ウソか本とかしらないけれど、ドイツ鉄道は日本と同じように民営分割化されたときに、鉄路部門と車輌運行部門を分離したと聞いている。
日本のように地方によってブチッと分割してしまうのではなく、鉄路いわゆる線路は国家全体を一つの会社が運営して、その上を走る運送部門を地域によって分割しているというはなし。
そう、今話題の電力と同じ考え方。送電部門と発電部門が別会社というやつ。
だから、ドイツでは鉄道のLCCなんていうのも、近頃は見かけるようになって来てるのよね。
でも、この会社はLCCとはチト違うみたい。というのは、通常LCCだと運賃が別建で、DB(ドイツ鉄道)との共通性はないのだけれども、この会社はDBの切符も利用できるとなっている。
12年契約のような事が書いてあるのだが・・たしかkおばちゃんがこの路線を利用した時はDBのストライキにあってエライ思いをしたのを思い出した。
だからかな?ローカルな部分だけ切り離してしまったのだろうか。EC等の特急はそのままの通し運転のようだけれども、今後どのように運営されて行くのか気になる存在だな。
○5月31日(金)
Schloss Glienickeグリニッケ城の周りをささーーと歩いたkおばちゃん。一旦外に出ました。
向った先は、このお城の端にある橋です。
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まあ、なんの変哲も無い橋・・と言ってしまえばそれまでですが・・この場所の存在は昔から知人のHPで知ってはいたのですが、足を運んだ事はありませんでした。
橋のたもとにはこんな標識もあります。
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名前はグリーニッケ(グリーニッカー)橋Glienicker Brücke。そういえば、Glienickerという発音はグリニッケではなくてグリーニッケなんでしょうかね?
この橋は、17世紀終わりには造られ、ポツダムにある宮殿と狩猟場とを繋ぐために木製でかけられたそうです。1754年から郵便乗合馬車等のに使わ、多聞急勾配が負担だったのでしょう。1777年に監視小屋つきの木製の跳ね橋となり、増加した交通量のため、グリーニッケ城も造ったカール・フリードリッヒ・シンケルの手により1834年にはレンガ造りの橋となったようです。
1907年11月には益々増加する交通量、重い車輌にも対応すべく強固な橋として開通したようです。
その後、さらに拡張されたりもしましたが、やはり第二次世界大戦によって破壊されてしまったようです。
現在の姿は 1947年11月に再建されたもののようです。
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しかし、再建された橋は、当初は行き来できましたが、その後許可をもった徒歩通行のみとなり、1953年7月東西の冷戦によって閉鎖される事になってしまいます。
現在でもその名残をとどめるように、橋の真中にはこんな線が引かれています。
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そして歩道の境にはこのような記述も
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この橋はポツダム側が東ドイツに、Wannsee側は西ドイツという境になってしまったのです。
現在はもちろん自由に通行できますし、このような橋の下をのどかに観光船が行きかっていたりもします。
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橋を渡ってポツダム側に入って見ました。
こちらの橋の袂の方が、歴史を感じさせますね。あ、当然その歴史は戦前のと言う意味ですけど。
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両側にこのような柱廊が配置されています。
柱廊の保存を知らせるものですが・・この中の真中の写真が、冷戦当時の通行止めを示すものだと思います。
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ただ、この冷戦当時、ここを渡った人物がいます。それは・・・主に『スパイ』と呼ばれる捕虜達です。
初めは 1962年2月10日にソ連の大佐とアメリカの偵察飛行ののパイロット。
2回目は1964年4月。3回目は1985年6月12日そして最後は1986年2月11日と言われています。
交換された人々はスパイだけではなく人権活動家や政治犯などもいたようですが、所謂CIAやKGBももちろんいたようです。
まさにここは映画の舞台にでもなるような場所だったのですよね。
東側から西側を眺めて見ました。
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そんなドラマチックな場所も、今は普通に車が行き交い、人々が通り抜ける橋となっています。
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1989年11月、ベルリンの壁崩壊の10日後にこの橋も開放されたようです。
ただ、歴史的に有名な橋となっているため、ポツダムに向う観光バスは減速して渡ったり、橋の袂で一旦お客を降ろして徒歩で渡らせ、再び向こう側でピックアップする姿が見られました。
減速しないで通り過ぎて行った観光バスのボードには『JTB』の文字が・・ああ、あんまり日本人には関係無いのか・・
なんて思ってしまったkおばちゃんです。
まあ、何処にでも最近見られる、このような鍵をくっつける輩もいるようですのでね。
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※>まさにここは映画の舞台にでもなるような場所だったのですよね。
なんて書いちゃってましたが、映画になっちゃったみたいです。『ブリッジ・オブ・スパイ』Bridge of Spiesというスピルバーグの映画。
ということで、改めて2016年1月4日に書いて起きました。
在日ドイツ大使館の資料のなかの記載がグリーニッカー橋となっていたのでカッコ書きで追加しました。