物持ちのいいkおばちゃん。
土曜日にTVを捨てた。っていってもブラウン管TV。
見ることもできないのに後生大事にもっていたのであります。それも2台も・・
リサイクル法になり、買い換えじゃないと処分がめんどくさくなって・・のびのびになっていたのです。
で、思い切って重い腰をあげて処分しました。
ちゃんと、法律にのっとって、リサイクル券を郵便局で購入して、指定業者に持ち込みました。
やってしまえば、なんてことない作業なのですが、それをやろうという努力をしなかった・・
とりあえず、身軽にはなったのだけれど・・テレビ2個捨てただけじゃちっともすっきりしないkおばちゃんです。
○2015年10月9日(金)
Griebnitzsee グリエブニッツゼーからサイクリングの旅に出たkおばちゃん。
本筋だったら、ポツダムの駅から出ればいいんですけどね、ちょっと寄ってみたいところがあったこの駅からのスタートです。
住宅街を走ります。
結構立派な邸宅が並んでします。
よたよた走っているkおばちゃんは、画像をとる余力はありませんので・・あしからず。
確か、記憶が正しければこのあたりにあの「ポツダム会談」の時の連合軍の本拠地になっていた館もあったはず・・なんて思ってるのですが。
えっちらおっちら走ってやっとたどり着いたのはこんなところ。
草がぼうぼう・・で見通しが悪いですが、橋です。
Parkbrücke公園橋とでもいうのでしょうか。
橋の上からの眺めです。こちら側の奥が、いわゆるポツダムです。
で、反対側は・・グリープニッツ湖 Griebnitzseeに繋がっているTeltowkanal運河にかかっている橋です。
端を渡った地区は、クライン グリーニッケ Klein Glienickeと呼ばれる地区で、その名前が示す通り以前kおばちゃんが散策したSchloss Glienickeグリーニッケ城に続く地区なのです。
ということは・・東西分断の時は『西側に属していた地区』のはずなのですが、このあたりは複雑に入り組んでいるそうです。
kおばちゃんが降り立ったGriebnitzsee グリエブニッツゼのあたりは、ブランデンブルグ州なので、当然「東側」なので、本来この橋を渡ったら西側のはずなんですけどね。
端を渡ったところに、このような歴史的?な説明文がたっていたようですが・・kおばちゃんは画像に収めただけです。
案の定、ちょいちょいと走ったらこんなところに出てしまいました。
そう、Schloss Glienickeグリーニッケ城の入り口です。
いえいえい、今日の目的地はここではありません。その手前その手前。
2014年10月5日に訪れたAllied Museum連合軍博物館にこのあたりの地図がのってました。
この画像の下の方にはみ出ている赤い不規則な形の部分・・がクライン グリーニッケ Klein Glienickeと呼ばれる地区です。
なんで、こんな複雑な境界線になったのかは・・・勉強不足でわかりません。
ただ、便宜上さっき渡ったParkbrücke公園橋のたもとに一応検問所があり、この地域に東側から入り時は特別な許可が必要だったと聞きます。
もともとは、先ほどのグリーニッケ城を作ったプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世の一番下の弟カール・フォン・プロイセン王子が、このあたりにスイスの山小屋風の邸宅をいくか建てた。。いうことです。
そこにたどり着く前に、目に入ったはこちら。グリーニッケの狩猟館Jagdschloss Glienicke
正しくはここはクライン グリーニッケには該当しません。
もともとは、17世紀にブランデンブルグ選帝侯がたてたものだとか。その後フリードリヒ1世 (プロイセン王)が18世紀にフランスのバロック様式にしたとか。
その後は紆余曲折があり・・大戦後一時はユースホステルになっていたとか。その後2003年までは青少年センターになっていたそうです。
2003年に火災が発生し・・その後修復中なのかな??資金がね・・
通り1本隔てると・・旧東独地域となっていたそうです。
そうそう、肝心のクライン グリーニッケですが・・こんな感じの通りが続く地域。
このような大き目な館もありますが。。
このような小屋が続く地域もあります。
日曜農園小屋??
そして、このスイス風な建物は・・カール・フォン・プロイセン王子が建てたスイス風小屋の一つでしょうか?
街角にはこんな不思議な動物も生息していました。
この画面の右側のグレーの標識が「東西の壁」のあった場所を示すもの。
不思議な地区です。
さあ、もう少し頑張って自転車をこぎましょう。
あの橋を渡らないと・・ね。
土曜日にTVを捨てた。っていってもブラウン管TV。
見ることもできないのに後生大事にもっていたのであります。それも2台も・・
リサイクル法になり、買い換えじゃないと処分がめんどくさくなって・・のびのびになっていたのです。
で、思い切って重い腰をあげて処分しました。
ちゃんと、法律にのっとって、リサイクル券を郵便局で購入して、指定業者に持ち込みました。
やってしまえば、なんてことない作業なのですが、それをやろうという努力をしなかった・・
とりあえず、身軽にはなったのだけれど・・テレビ2個捨てただけじゃちっともすっきりしないkおばちゃんです。
○2015年10月9日(金)
Griebnitzsee グリエブニッツゼーからサイクリングの旅に出たkおばちゃん。
本筋だったら、ポツダムの駅から出ればいいんですけどね、ちょっと寄ってみたいところがあったこの駅からのスタートです。
住宅街を走ります。
結構立派な邸宅が並んでします。
よたよた走っているkおばちゃんは、画像をとる余力はありませんので・・あしからず。
確か、記憶が正しければこのあたりにあの「ポツダム会談」の時の連合軍の本拠地になっていた館もあったはず・・なんて思ってるのですが。
えっちらおっちら走ってやっとたどり着いたのはこんなところ。
草がぼうぼう・・で見通しが悪いですが、橋です。
Parkbrücke公園橋とでもいうのでしょうか。
橋の上からの眺めです。こちら側の奥が、いわゆるポツダムです。
で、反対側は・・グリープニッツ湖 Griebnitzseeに繋がっているTeltowkanal運河にかかっている橋です。
端を渡った地区は、クライン グリーニッケ Klein Glienickeと呼ばれる地区で、その名前が示す通り以前kおばちゃんが散策したSchloss Glienickeグリーニッケ城に続く地区なのです。
ということは・・東西分断の時は『西側に属していた地区』のはずなのですが、このあたりは複雑に入り組んでいるそうです。
kおばちゃんが降り立ったGriebnitzsee グリエブニッツゼのあたりは、ブランデンブルグ州なので、当然「東側」なので、本来この橋を渡ったら西側のはずなんですけどね。
端を渡ったところに、このような歴史的?な説明文がたっていたようですが・・kおばちゃんは画像に収めただけです。
案の定、ちょいちょいと走ったらこんなところに出てしまいました。
そう、Schloss Glienickeグリーニッケ城の入り口です。
いえいえい、今日の目的地はここではありません。その手前その手前。
2014年10月5日に訪れたAllied Museum連合軍博物館にこのあたりの地図がのってました。
この画像の下の方にはみ出ている赤い不規則な形の部分・・がクライン グリーニッケ Klein Glienickeと呼ばれる地区です。
なんで、こんな複雑な境界線になったのかは・・・勉強不足でわかりません。
ただ、便宜上さっき渡ったParkbrücke公園橋のたもとに一応検問所があり、この地域に東側から入り時は特別な許可が必要だったと聞きます。
もともとは、先ほどのグリーニッケ城を作ったプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世の一番下の弟カール・フォン・プロイセン王子が、このあたりにスイスの山小屋風の邸宅をいくか建てた。。いうことです。
そこにたどり着く前に、目に入ったはこちら。グリーニッケの狩猟館Jagdschloss Glienicke
正しくはここはクライン グリーニッケには該当しません。
もともとは、17世紀にブランデンブルグ選帝侯がたてたものだとか。その後フリードリヒ1世 (プロイセン王)が18世紀にフランスのバロック様式にしたとか。
その後は紆余曲折があり・・大戦後一時はユースホステルになっていたとか。その後2003年までは青少年センターになっていたそうです。
2003年に火災が発生し・・その後修復中なのかな??資金がね・・
通り1本隔てると・・旧東独地域となっていたそうです。
そうそう、肝心のクライン グリーニッケですが・・こんな感じの通りが続く地域。
このような大き目な館もありますが。。
このような小屋が続く地域もあります。
日曜農園小屋??
そして、このスイス風な建物は・・カール・フォン・プロイセン王子が建てたスイス風小屋の一つでしょうか?
街角にはこんな不思議な動物も生息していました。
この画面の右側のグレーの標識が「東西の壁」のあった場所を示すもの。
不思議な地区です。
さあ、もう少し頑張って自転車をこぎましょう。
あの橋を渡らないと・・ね。