片手袋研究を続けていると、思い込みや研究成果を覆される事の連続です。
元々落とし物だと思って接していたら、介入型の存在に気付いたり、その介入型は「日本人固有の優しさの象徴」だと思っていたら、イタリアの片手袋写真家から送られてきた写真には普通に介入型があったり。
でも新しい発見をした時と同じくらい、この覆される瞬間もゾクゾクするんですけどね。「片手袋、まだまだ奥が深いぞ」と気付かされるので。
そう意味で一昨日出会った片手袋も、また一つ僕の思い込みを覆してくる存在でした。コイツです。
軍手に貼られたこのシールに注目して下さい。よくホームセンターなどで軍手が束で売ってますよね?あの状態のまま片手袋になったみたいなんです。
これはどういう事か?
放置型にせよ介入型にせよ、誰かしらの手に触れてから片手袋になる訳です。放置型は持ち主の手から離れて、介入型は拾い主の手に触れて。人の手を介して生まれる存在であるからこそ、片手袋の裏側には色んな物語が想像出来る訳です。
でも今回出会ったコイツは、まだ誰の手にも触れていないのに片手袋になってしまったんですね(勿論買った人が一瞬触った可能性はあるが)。つまり商品のまま落ちている訳ですから、これを見付けた時に何の物語性も感じられなかったんです。
でも考えてみれば商品としての軍手が輸送中に落ちたりする可能性は十分考えられる訳です。片手袋は必ずしも人間の物語を象徴している訳ではない、という事を教えられました(勿論、可能性としては凄く低いのですが)。
物語は浮かばなかったけど、出会った瞬間に物凄くゾクゾクした片手袋でした。