あれから六年。毎年この日は、震災直後に書いた記事を再掲載しています。
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これは僕が“介入型”と呼んでいるタイプの片手袋です。
落ちている片手袋に気付き、見つかりやすい場所に移動してあげた誰かが存在する。
そうして生まれるのがこの“介入型”の片手袋なのです。
我々には有事ではなく普段から、このようなちょっとした、でもとても重要な心の優しさが備わっています。そう信じています。
ましてや過去最大級の有事が起きている今この時。
批判や言い争いや怒りはひとまず置いておいて、正確な情報や落ち着いた行動に基づく優しさを発揮しましょう。
僕自信、自分に出来る事は何か、冷静に考えてみます。
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六年が過ぎました。果たしてもうあの震災に対して何か区切りはついたのでしょうか?
例えば今日。まさにこの「3.11」という日をどういう風に迎えるべきかで、様々な意見が対立しているのを見掛けました。
「この日だけはあの惨劇をもう一度思い出そう」
「3.11だけ思い出すのではなく、毎日の暮らしの中で考えていかなければ」
「被災地の人間からすれば、毎年毎年津波の映像とか流して欲しくない」
「いつも通りにしてれば良いんだよ」
あれ以来、決して埋まる事のない溝や対立をあまりにも見慣れてしまいました。
僕個人は、こうして六年前に書いた記事を毎年再掲する事で、あの日感じた恐怖や大切な人を守らなければ、という純粋な気持ちを思い出すようにしています。
震災以降に発生したあらゆる対立や問題は解決するどころか、日常の中にのっぺりと浸透して定着してしまったようにも感じられる昨今。しかし、3.11で亡くなった方やご遺族の事を思う時に湧きあがってくる感情くらいは、皆で共有出来るものではないでしょうか?
そういう意味では、この3.11という日はこれから何年経っても、やはり重要な日なのだと思います。
東日本大震災でお亡くなりになった方々やご遺族に心よりお悔やみ申し上げます。