かたてブログ

片手袋研究家、石井公二による研究活動報告。

『六年』

2017-03-11 19:38:18 | 雑感

あれから六年。毎年この日は、震災直後に書いた記事を再掲載しています。

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これは僕が“介入型”と呼んでいるタイプの片手袋です。

落ちている片手袋に気付き、見つかりやすい場所に移動してあげた誰かが存在する。

そうして生まれるのがこの“介入型”の片手袋なのです。

我々には有事ではなく普段から、このようなちょっとした、でもとても重要な心の優しさが備わっています。そう信じています。

ましてや過去最大級の有事が起きている今この時。

批判や言い争いや怒りはひとまず置いておいて、正確な情報や落ち着いた行動に基づく優しさを発揮しましょう。

僕自信、自分に出来る事は何か、冷静に考えてみます。

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六年が過ぎました。果たしてもうあの震災に対して何か区切りはついたのでしょうか?

例えば今日。まさにこの「3.11」という日をどういう風に迎えるべきかで、様々な意見が対立しているのを見掛けました。

「この日だけはあの惨劇をもう一度思い出そう」
「3.11だけ思い出すのではなく、毎日の暮らしの中で考えていかなければ」
「被災地の人間からすれば、毎年毎年津波の映像とか流して欲しくない」
「いつも通りにしてれば良いんだよ」

あれ以来、決して埋まる事のない溝や対立をあまりにも見慣れてしまいました。

僕個人は、こうして六年前に書いた記事を毎年再掲する事で、あの日感じた恐怖や大切な人を守らなければ、という純粋な気持ちを思い出すようにしています。

震災以降に発生したあらゆる対立や問題は解決するどころか、日常の中にのっぺりと浸透して定着してしまったようにも感じられる昨今。しかし、3.11で亡くなった方やご遺族の事を思う時に湧きあがってくる感情くらいは、皆で共有出来るものではないでしょうか?

そういう意味では、この3.11という日はこれから何年経っても、やはり重要な日なのだと思います。

東日本大震災でお亡くなりになった方々やご遺族に心よりお悔やみ申し上げます。


『ここで逢いましょう、築地で』

2017-03-10 20:07:00 | 写真

築地、どうなっちゃうんですかね?

十五年以上も通ってるので、そりゃあ、あの場所に対する思いは特別なものがあります。片手袋の聖地だという事は抜きにしても、大好きな場所です。

移転が決まってから(このような事態を想定していなかったので)、片手袋だけでなく築地の何てことない風景も撮るようにしてました。場内、場外問わずです。

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そしてどんな時でも当然のように僕を出迎えてくれる、築地の片手袋。

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先は全然読めないけど、築地の片手袋と築地の日常風景。この二つはこれからも許される限り記録し続けていきます。


『境界線上のありゃあ?』

2017-03-09 23:00:09 | 片手袋研究発表

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今日、駐輪場に「手から手首辺りを覆う何か」が片方介入されてました。これは何に使うものなのでしょうか?手袋と言って良いものなのでしょうか?

そう言えば昔、

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東京ドームホテルの地下駐車場に、タイガースのリストバンドが落ちていました。これを見た時、「リストバンドは手袋ではないよな。でも手首と手の境界ってどこからなんだろう?肘辺りまで覆う日焼け防止の手袋があるけど、あれは手袋だもんな」と不思議に思いました。

まあ、リストバンドを手袋に入れるのは無理があるとしても、

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11年の片手袋研究生活で二回だけであった、「手袋の指だけ」は果たして手袋なのでしょうか?片手袋ではないにせよ、「十分の一手袋」と言えるのでしょうか?

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あと、グローブが介入されているのも見た事があります。これは限りなく手袋に近いブルーですよね?「手を保護する為に覆う革製の袋状の物体」ですよ?それはもう手袋でしょう?でも問題は、グローブは片方だけで使うものだという事。だとすると片手袋の分類上では「実用系」に入るんでしょうか?

数日前、「揃いと片方を区別するのは案外難しい」という事を書きましたが、それどころか「手袋とは何か?」を定義すること自体難しいなんて!

でもどんなジャンルもそうですけど、面白さって境界線上にこそ詰まってる気がします。分かっているつもりになっている事すら揺るがしてくる境界線上の存在。大事にしていきたいです。


『ついに出た!』

2017-03-06 22:11:37 | 片手袋研究発表

片手袋が発生しやすい条件を考えてみると、真っ先に「手袋を着脱する機会の多い場所」が思い浮かびますよね?で、具体的にそれはどういう状況かと考えてみれば、一番分かりやすいのは「手先を使って細かい作業をする場所」や「お金のやり取りが多い場所」だと思います。

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小銭やICカードの出し入れが必要なバス停に片手袋が多いのも、まさにそういった理由ですし、

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銀行のATM周辺に片手袋が多いのも納得できます。

しかし、片手袋研究を始めた11年前。真っ先に片手袋多発地帯であろうと予測したのは、「公衆電話」でした。小銭が必要だし、ボタンを押したり細かい作業も必要ですからね。

ところが…。

11年間、公衆電話を見掛ければ必ずチェックしていたんですが、なんとただの一度も片手袋と遭遇したことがなかったのです!

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かわりにイヤーマフの忘れ物はありました。これはこれで、公衆電話に忘れてしまったのが大いに理解出来る逸品でしたが。

片手袋研究の歴史は、当初思い描いていた想像や理屈が覆されていく歴史でもありました。「冬しか片手袋と出会わないのかな?」とか「人が足早に行き交う渋谷などでは介入型片手袋は発生し辛いのかな?」とか、安易な仮説は悉く地道な観測の前に覆されていきました。

公衆電話周辺に片手袋は沢山あるに違いない。これも覆されてしまったわけですが、そうすると今度は、「何故公衆電話には片手袋が発生しないのか?」という事を考え始めていたのです。しかし!

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先日、ご近所さんが見付けてしまったのです!僕はこの写真を見て本当にビックリしてしまいましたよ!

さあ、これで少なくとも一枚は見つかった訳です。そうすると、単に僕一人のフィールドワークでは出会う事が出来なかっただけなのか、やはりこれはレアケースで公衆電話周辺は片手袋が発生しにくいのか、分からなくなってきました。

答えはまだまだ出せそうにありませんが、公衆電話を見掛けたらチェックしてみる習慣はやめられなくなりましたよ。


『今夜放送!アナと雪の女王は片手袋(もしくは手袋)に注目して見ると、本当に100倍楽しめるぞ!』

2017-03-04 19:30:00 | 番外

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本日3/4、21時からフジテレビで『アナと雪の女王』が地上波初放送になります。

本作において、手袋の演出というのが非常に大きな意味を持っています。それは「寒いシーンでは手袋をしていて、室内のシーンなどは外している」という単純な意味を超えて、明らかにそこには様々な意図が込められています。

それどころか最初に劇場で見た時から思っていましたが、この映画は少なくとも前半30分は片手袋を中心に物語が動いていくんですよ!冗談だと思われるかもしれませんが、その理由を解説してみたいと思います。

①エルサの手袋がいつ外れるのか、何故外れるのかに注目してみよう!

エルサは自分の能力を封印する為に、幼少の頃に経験したある事件以降ずっと手袋をしています。

しかし、大人になったあるタイミングでアナが片方だけ外してしまいます。アナがエルサの手袋を片方外す、という事の裏にはどんな意味があるでしょう?

そして片手袋だけの状態になったエルサは、雪山でもう片方も空に放り投げます。彼女が手袋と共に放り投げたものは何なのか?まさに数年前、何百回と聞いた『Let it go』のサビに入る瞬間ですのでお見逃しなく!

※幼少時のエルサに手袋を嵌めたのは両親です。それを考えると、公開時に本作はよく「社会に抑圧されている女性が解放されるまでの映画」と言われていましたが、「子供が成長し、両親の呪縛から解放される映画」と見る事も出来るでしょう。

さて、ここまでで約三十分。でもここからは(いや、実はもっと前から)片手袋と言わないまでも、『アナ雪』は手袋をめぐる演出が冴えわたっている映画なのです!

②『アナ雪』において手袋はその人の心の壁を表している

これは特にエルサとハンスに顕著な演出なのですが、手袋は二人の心の動きを表しているんですよね。

先程も述べたように、幼少の頃からエンディングまで、エルサが素手なのか手袋をしているのかに注目してみて下さい。それは見事にエルサの心の動きと呼応しています。「ありのままで」と歌う瞬間に片手袋を放り投げるのですから、そこから逆に手袋がエルサにとって何を意味していたのか分かると思います。

ハンスは登場時からずっと手袋をしています。でも後半、暖炉のある部屋で片手袋を外すんですよね。それは彼の隠された本心が露になるタイミングと呼応しています。さらに言うと、この時ハンスが外すのはあくまで片手袋です。彼が最後まで外さなかったもう片方の本当の内面、それは案外臆病で自信を喪失している男の姿かもしれません。

「片方だけ外す」というのはエルサもそうです。彼女の手袋はアナによって片方外され、もう片方は彼女自身が放り投げます。つまり、両方自分の意思で外した訳ではありません。

「ありのままで」と歌いながら、彼女はむしろ自分の心を閉ざし氷の城に立て籠もってしまうんですよね。この時点の彼女はハンスと同様、まだ片方しか自分の本心を解放していないように思います。

③『アナ雪』において、手袋は人間関係を表している

物語冒頭、幼き日のアナとエルサは二人とも手袋をしていません。しかし、いつしかエルサは常に手袋をするようになります。それをアナが片方外してしまった事から物語は動き出します。

でも、再び二人共に素手で向かいあう事はなかなか出来ません。二人は幼少の頃のように、再び素手で手と手を取り合う事が出来るのか?というのはこの物語において大きなポイントです。是非この点にも注目して下さい。

物語の中盤はアナとクリストフが中心になって進みます。実はクリストフは(冒頭の幼少時を除いた)初登場時から、アナに素手を見せているんです。ギターを弾いているシーンですね。クリストフは最初からアナに本当の姿を見せていたのです。

一方、いきなり恋に落ちてしまったアナとハンスですが、ハンスはアナに素手を見せる事は決してありません。先程も書きましたが、暖炉のある部屋でハンスは初めて片手袋を外します。その時、二人の関係は決定的に変わってしまいます。

手袋を外し素手を見せる事が、本当の姿を見せる事の比喩として用いられる為、それは人間関係が良い風にも悪い風にも変わっていく転機となります。

『アナ雪』は寒い寒い氷の世界のお話ですから、殆どのシーンで皆手袋をしています。しかし最後の最後、アナやエルサ、クリストフの手に注目してみて下さい。それは単なる気候の変化を超えて、きっと彼らの関係性の変化を象徴している筈です。

以上のように、『アナと雪の女王』は徹頭徹尾「片手袋(もしくは手袋)の映画」なのです!「そんなのお前の勝手な思い込みだろう!」と言われてしまうかもしれませんが、アニメというのは実写と違って映っている物は全て意図的に描きこまれているのです。

だから手袋をしているかしていないか、という事にも確実に作者達の意図が込められていると思います。

ここまで断言するのは、登場人物の身に付けているものに意味を持たせるのは映画ではよくある手法ですし、実はディズニー・ピクサー映画には他にも片手袋が登場する作品があるからなのですが、それはいずれまた解説したいと思います。

片手袋研究は、本当にあらゆる事に注目していないとなりませんね。