聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

はじめての教理問答71、74 ヘブル7章24~8章6節「祭司キリスト」

2019-01-27 14:27:39 | はじめての教理問答

2019/1/20 ヘブル7章24~8章6節「祭司キリスト」はじめての教理問答71、74

 

 「キリスト」とは「油注がれた者」という意味の言葉です。旧約聖書には、香油を頭に注いで、神様がその人を、神の国のために特別な立場に着かせることを表した儀式が何度か出て来ます。それは、預言者と祭司と王の三つの働きでした。「キリスト」のお働きもその三つを手がかりに出来ます。今日は二つ目の「祭司」です。

問71 キリストがあなたにとって祭司であるとは、どういうことですか?

答 キリストはわたしの罪のために死に、わたしのために祈りつづけてくれます。

問74 どうして、あなたには祭司なるキリストが必要ですか?

答 わたしは、神の律法を犯し、罪あるものだからです。

 ここでは、キリストは私の/あなたの祭司だと言われています。私たち自身は、神の律法を犯して、罪があるものです。神の前に立つには相応しくない、心の罪や、嘘や憎しみや思い上がりがあります。ですからその私たちのために、キリストがいてくださって、私たちのために神様との繋がりを造って下さっているのです。よいですか、私たちにはキリストがいてくださいます。私たちが、どんなに大きな悪いことをしたり、心の奥にどんなに深い闇があったり、ボロボロであって、とても自分は無理だろうと思ったとして、イエスが私たちの祭司となってくださって、私たちと神とを結びつける役割をしてくださいます。だから、私たちはどんな時も希望を失わないのです。

 今日のヘブル書は、この書全体が、キリストが私たちの大祭司だと教えている手紙だと言えます。パウロの手紙には「祭司」という言葉は一回しか出て来ませんが、このヘブル書には、祭司・大祭司あわせて30回も出て来ます。そして、イエスが大祭司であることを詳しく豊かに教えてくれます。すばらしい言葉がたくさんありますが、今日は、

七24イエスは永遠に存在されるので、変わることがない祭司職を持っておられます。25したがってイエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります。26このような方、敬虔で、悪も汚れもなく、罪人から離され、また天よりも高く上げられた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。

 イエスは永遠に存在される祭司。いつも生きていて、私たちのために執り成しをしておられる! そう言われています。私たちはお祈りの時に「イエスのお名前によって」と言います。それはここにある「ご自分によって神に近づく」ことです。イエスのお名前を通して神に近づく。私たちの願いや祈りを、イエスが祭司として届けてくださることを信じて、安心して、確信をもって祈ることが出来るのです。

 イエスと他の大祭司、イエスの前にいた祭司達と比べると、イエスがどれほど優れた、完全な祭司であるかが分かるともここでは言われています。イエス以前の祭司たちも神が油を注いで選ばれた祭司ではありましたが、イエスほど完全ではありませんでした。彼らは人間で、まず自分の罪のために生贄を捧げなければなりませんでした。弱さを持っている人たちで、悩んだり、間違いをしたりしていました。不完全な祭司でした。

 簡単な表にしてみると、こんな比較がここで言われています。

 大祭司イエスは

「敬虔で、悪も汚れもなく、罪人から離されて、天よりも高く上げられた」

大祭司でした。裏を返せば、イエス以前の祭司たちは、敬虔さも不十分で、悪も汚れもあり、罪人の仲間でした。ですから、他の祭司たちは、まず自分の罪のために生贄を献げなければ、人々の罪のための執り成しをすることは出来ませんでした。イエスは自分のいのちを献げました。イエスご自身が、神と私たちとの間の架け橋となったのです。しかし、他の祭司たちは、動物、羊や牛や穀物を捧げました。それは、イエスの十字架の死と比べたら、ままごとみたいなものです。また、イエスは一度だけ自分を捧げたら、完全に生贄は成し遂げられました。それまでの祭司たちは、毎日、生贄を捧げ続け、年に一度の特別なお祭りさえ、毎年繰り返さなければなりませんでした。イエスはその生贄によって、

「永遠に完全なものとされた」

と言われますが、それまでの祭司たちは弱さを持ち、最後には死んで、次の祭司と交代し続けました。そして、イエスは

「人間によってではなく、主によって設けられたまことの幕屋、聖所でつかえておられます」

と言われますが、他の祭司たちはそうではなく、

「天にあるものの写しと影に仕えて」

いただけでした。

 この「天」というと、どうしても空の上、宇宙の彼方のように思ってしまうのではないでしょうか。もし「天」が私たちから遠くなったのだとすると、イエスが大祭司であることの有り難みも薄れてしまいます。ここでは

「よりすぐれた契約の仲介者」「はるかにすぐれた奉仕を得ておられます」

と書かれています。イエスが天にある聖所で仕えていることは、私たちに遠くなったのではなく、地上の聖所が表していた本体、天にいます神に仕えてくださっていることです。それは、以前の祭司たちが示してきたメッセージの完成です。イエスは、本当に私たちと天の神とを結び合わせてくださるのです。

ヘブル四14さて、私たちには、もろもろの天を通られた、神の子イエスという偉大な大祭司がおられるのですから、信仰の告白を堅く保とうではありませんか。15私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。16ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

 イエスは私たちの大祭司として、私たちと同じ人間になり、弱さや試みを自分の事として知っておられます。私たちの罪や恥も十分に知った上で、私たちと神との間に立って執り成してくださる大祭司です。そして、私たちを神に結びつけることで、私たちを強めて、助けて、大胆さをも与えてくださいます。イエスは、私たちの罪の弁護や情状酌量を神に求めるだけではありません。イエスは、私たちの心を清くして、私たちが罪に振り回される生き方ではなく、神への信頼をもって生きるように変えてくださる大祭司です。私たちはまだ神の律法に違反して、罪がある者です。その私たちの大祭司となってくださったイエスは、イエスご自身のいのちによって、私たちと神とを結びつけてくださいました。今、私たちの礼拝も、皆さんの毎日の祈りも、心の奥のうめきさえも、イエスは神のもとに届けて下さり、いつまでも神の民として歩ませてくださるのです。

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