聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

はじめての教理問答84~85 イザヤ書37章15~20節「ただひとりの神」

2019-03-03 15:06:19 | はじめての教理問答

2019/3/3 イザヤ書37章15~20節「ただひとりの神」はじめての教理問答84~85

 神が私たちに、生きていくための大切な教えを与えてくださいました。それが「十戒」です。その内容は、神を愛し、人を愛することです。今日から、十の戒めを一つずつ見ていきます。今日は第一の戒めです。

問84 第一の戒めはどういうものですか?

答 第一の戒めは、「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」です(出エジプト20:3)。

問85 第一の戒めは、あなたになにを教えていますか?

答 ほんとうの神さまだけを拝することを教えています。

 神は私たちも、この世界もお造りになった大いなるお方です。その神以外に、他の神々があってはならない。本当の神ではないものを神々にしてはならない。本当の神だけを礼拝しなさい。それが第一の戒め。なんだか当たり前のような話ですね。

 しかし、実際には、私たちの周りには沢山の「神」が溢れていますね。神社や迷信、占い、今時は何かあると「神だ」と言います。聖書の「十戒」の書かれている前後でも、エジプトでは太陽が神として拝まれて、王ファラオが神の子として崇められていました。また、そこから救い出されたイスラエルの民達も、すぐに金の子牛を造ったり、他の民族の宗教や神々を拝んだりしました。聖書には、人間が、本当の神ではないものを神としてしまうことが、繰り返されて書かれていると言うことも出来ます。

 今日のイザヤ書では、イスラエルの国に北のアッシリアの王が大軍を率いて攻めてきたときのことが取り上げられています。アッシリアは当時、勢力を伸ばし、周囲の国々を打ち負かして、支配下に治めていました。その勢いで、イスラエルまで南下してきて、エルサレムを包囲したのです。アッシリアの王は、他の町にも神はあったのに自分のほうが強かった。自分はどの国の王や神よりも強かった。エルサレムの民も、自分たちの神が助けてくれるなんて、嘘を頼みとするな、と豪語したのです。それを聞いたエルサレムの王ヒゼキヤは、主のもとに言って祈りました。それが、先ほど読んだ言葉です。

三七16「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、万軍の主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。

 イスラエルの神は、天と地を造られた神。地の全ての王国の神です。十戒も、ただ主なる神だけを神としなさいと始まったのではありません。最初にあったのは、主がエジプトで奴隷となっていたイスラエルの民を救い出してくださった事実でした。主は、虐げられていたイスラエルの民を、確かに救い出してくれました。エジプトで神のように振る舞っていたファラオや祭司たちが抵抗し続けても勝つことが出来なかった、本当に力強く、実際にその救いを見せてくださったお方です。他の神々のような、人間が作った宗教とは根本的に違う、生きたお方。そして、天と地を造ったと証言しておられるお方です。世界には沢山の宗教があります。どの宗教を信じても同じだとか、キリスト教もその一つだとか考える人も沢山います。確かにキリスト教が一つの宗教であれば、どれを信じても同じでしょう。また、どの宗教も「自分たちの教えこそ、唯一の真理だから、他の宗教を信じてもダメだ」と言っていとしても、キリスト教がそういうのも同じなのでしょうか。キリスト教は、人間が考え出した神ではなく、世界を造った神が、この世界に働いておられて、イスラエルの民を選び、エジプトの奴隷生活から救い出し、聖書に書いてある通りの不思議な出来事を見せられたと信じています。神がひとり子イエスをこの世界に遣わし、弟子たちとともに過ごし、最後は十字架に架けられて死に、三日目によみがえったと告白しています。そして、その神が聖霊を世界に送って、今に至るまで、この世界を創造した目的を完成しようと働いておられる。そう信じているのです。たとえ、私たちがそれを信じず、誰一人、キリストの神を認めなかったとしても、この神が神である事に変わりはなく、他に神はいない。そう信じているのです。

三七19彼らはその神々を火に投げ込みました。それらが神ではなく、人の手のわざ、木や石にすぎなかったので、彼らはこれを滅ぼすことができたのです。

 アッシリア軍に降参してきた他の町々の神々は、神ではなく、人の手の業でした。気や石に過ぎませんでした。だから頼りにならなかったのは当然です。イスラエルの神とは違うのです。しかし、注意してください。イスラエルの神は、他の国々を「神ではない神を拝んでいる」と言って非難したり、その国に攻めていって滅ぼそうとしたりはしませんでした。それをしたのは、アッシリアの王です。聖書は、自分たちの神、イエス・キリストの神こそが、天地を造られた真実の神であると言いつつ、他の神々を破壊したり否定したりするようなことは滅多にしません。聖書には「他の神々を悪く言ってはならない」という言葉さえあります。では何でも良いのでしょうか。ここでは、

20私たちの神、主よ。今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、あなただけが主であることを知るでしょう。」

と言うのです。思い上がって他の国々と争い、踏みつけて、破壊しようとする国から救ってください。自分たちの祈りに耳を傾けてください。あなたが私たちの祈りに応えて、私たちを救ってくだされば、地の全ての王国はあなただけが主であることを知るでしょう、というのです。力尽くで、間違った宗教を否定して、争うようなことはしない。神が天地を造られた全能の主、大いなる神だとしても、その力で他国と争って屈服させるのではないのです。ただ、自分たちの祈りに応え、悪い者から守ってくださる神の業を通して、全ての王国が、自分たちの宗教、神ならぬ神々を手放して、本当の神を知るようになる。それが、本当の神を知る民の祈りです。

 本当の神はお一人。そう言いつつ、神ならぬものを神としてしまうのが人間です。偶像や宗教に限らず、お金や仕事や家族を神としてしまうこともあります。最後に勝つと思っているもの、自分に幸せをくれると思っているもの、そう期待して沢山の犠牲を注ぎ込んでいるもの、それは何であれ、神にしているのです。しかし、本当の神以外の何者も、あなたを救ってはくれませんし、頼りにはなりませんし、あなたの信頼を求めもしません。本当の神は、天地を作り、また私たちの祈りを聴き、私たちに幸せを下さり、最後には必ず圧倒的に勝利なさるお方です。私たちにそう約束してくださる神だけを神として、この方を信頼できる喜びを他に寄せることなく、歩んでいきましょう。

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