聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

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問12-15「神が償ってくださる」ローマ一章1-6節

2016-05-22 20:11:48 | ハイデルベルグ信仰問答講解

2016/05/22 ハイデルベルク信仰問答12-15「神が償ってくださる」ローマ一章1-6節

 

 ハイデルベルグ信仰問答の第一部を先週まで見てきました。

第一部「人間の悲惨さについて」

を終わって今日から、

第二部「人間の救いについて」

を見ていきます。今日は、四つの問答をまとめてたどっていきましょう。そして、その結論は、今日の説教題の「神が償ってくださる」という事なのです。

問12 わたしたちが神のただしいさばきによってこの世と永遠との刑罰に値するのであれば、この刑罰を逃れ再び恵みにあずかるにはどうすればよいのですか。

答 神は、御自身の義が満足されることを望んでおられます。ですから、わたしたちはそれに対して自分自身によってかあるいは他のものによって、完全な償いをしなければなりません。

 これは、第一部で私たちが見てきたことですね。正しい神(義なる神)の前には私たちは立ち仰せません。なぜなら、私たちには罪があるからです。神の義は、どんなに小さくても、すべての罪をちゃんと裁かずにはおきません。ですから、その神の義をちゃん満たすために、完全な償いが必要です。ではそれは、誰が償えるのでしょうか。自分自身でしょうか、他のものでしょうか。

問13 しかし、わたしたちは自分自身で償いをすることができるのですか。

答 決してできません。それどころか、わたしたちは日ごとにその負債を増し加えています。

 私たちは自分で、自分の罪を償うことは出来ません。神様にお返しするには、人間は余りにも沢山のものを無駄にしているからです。イエスの喩え話の一つでは、私たちの負債が何億円分、何万年も働かなければ返せないほどであると言われています。しかも、それを返そうとしても、私たちは正しい行いなど出来ず、日ごとにその負債を増やす一方でしかありません。ですから、こういう御言葉もありますね。

詩篇四九7人は自分の兄弟をも買い戻すことはできない。自分の身代金を神に払うことはできない。

 8―たましいの贖いしろは、高価であり、永久にあきらめなくてはならない―

 でも、何度もお話しして来た通り、もう一度繰り返しますよ。罪が大きいとは、私たち人間に価値がないとか、自分はダメな存在だ、という事ではありません。罪とは人間の性質の事であって、価値やアイデンティティの事ではありません。むしろ、人間が神によって造られたかけがえのない存在であり、私たちと神との関係がこの上ないほど尊いからこそ、そこにある問題、負債は、到底私たちに返しきれるほどのものではない、ということです。私たちには、神に対する償いは自分では出来ません。キリスト教以外の宗教は、神と私たちとの関係の問題を、自分の力や行いで解決できると教えます。人間は、自分で自分の償いをするのが誠実なことだと考えます。でも、それは出来ないし、自分で償わなければならないと考えることをまず止めなければなりません。では、自分では出来ないから、他のものに、私たちの償いをしてもらいましょうか。

問14 しかし、単なる被造物である何かがわたしたちのために償えるのですか。

答 いいえ、できません。なぜなら、第一に、神は人間が犯した罪の罰を他の被造物に加えようとはなさらないからです。第二に、単なる被造物では、罪に対する神の永遠の怒りの重荷を担い、かつ他のものをそこから救うことなどできないからです。

 神は愛です。全てのものを愛しておられます。ですから、誰かAさんの償いのために、別の誰かBさんを犠牲にすることは出来ません。なぜなら、神はBさんをも愛しておられるからです。それに、神に対する罪の負債は永遠の重みがありますから、それを担うだけのことは、どんな被造物にも不可能なのです。ではどうすればよいのでしょう。

問15 それでは、わたしたちはどのような仲保者または救い主を求めるべきなのですか。

答 まことのただしい人間であると同時に、あらゆる被造物にまさって力ある方、すなわちまことの神でもあられるお方です。

 神に対する私たちの償いは、私たちにも他の被造物にも出来ないから、あらゆる被造物にまさって力ある、まことの神でもあられるお方にしか出来ない。そういうのですね。今日はこの15までにしますが、次の問16以下で、この答の説明が出て来ます。ですから、この答の説明ではなく、今日のポイントを覚えましょう。

 神は義なるお方ですから、私たちの罪の問題は、ちゃんと償いをしなければなりません。でも、それは自分で出来るでしょうか。無理です。では、他の被造物なら? それも神の前には解決策とはなりません。そうすると、残りは、被造物ならぬ、神ご自身によって、償っていただく以外に道はないのです。そして、神は、御自身が私たちの償いをしてくださるのです。それが、イエス・キリストです。今日読んだローマ書で、

一3…御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、

 4聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。

とあった通りです。イエスが、私たちの罪を償ってくださるのです。それ以外に、私たちの償いはありません。そして、その償いの務めを、イエスは喜んで、引き受けてくださったのです。なぜなら、神は私たちを愛し、私たちを罪の罰で滅ぼそうとせず、恵みに預からせようと願っておられるからです。

 私たちの中には、いつまでたっても、神に対しても自分で罪を償おうとするような所があります。

「自分の償いがまだ十分でないのではないか?」

「神が私たちを見捨てたり怒っていらっしゃったりするのではないか」

と思い始めます。でも神が求めておられるのは、ちゃんと反省して、真っ当に真面目に生きようと努力する生き方ではありません。それは無理なのです。

 イエスが私たちのために償いを果たしてくださいました。この事実を絶えず受け入れるようにしましょう。イエスの十字架を思い起こしましょう。神が私たちの償いを御自身の側の尊い犠牲で果たしてまでも、私たちを恵みに与らせてくださったのです。私たちはただ、この惜しみない神にひたすら感謝して生きるだけなのです。

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