正月休みが終わり、帰省していた娘を岡山駅まで見送りに行く。駅周辺は人と車で大混雑していた。一地方都市に似合わないこの賑わいは休み明けを前に、街が落ち着きを取り戻し活動を開始するための単なるセレモニーのようにも見える。
ニューヨークの賑わいはどこか違っていた。ニューヨークは多民族が言語や宗教の違いを超えて混ざり合うことでエネルギーを生み出す都市だからか、日本の落ち着いた賑わいとは本質的に違っていたように思う。ホリデーシーズンの賑わいに、格差社会の進行したニューヨークではどこか深いところで人々は醒めきっているようにも感じた。
日本はこれからどこに向かうのか。
日本の街にはまだ多くの美しい笑顔が満ちている。公共交通システムなどニューヨークに学ぶことはまだあっても、トータルして正解でも目指すべきモデルでもない。むしろ反面教師として批判的に学ぶべきなのだろう。
愛想笑いでなくて真の微笑みが少ないと感じるのはなぜなのか。また、日常の食生活をおそろかにしすぎていないか。毎日の食に時間と金と知恵をかける余裕を失っていないか。貧富の格差の拡大にこれから先、どれだけ歯止めをかけれるのか。人々の何気ない会話からmoneyと言う単語が多く聞こえてくるのは異常すぎないか。
日本の街の清潔さ、食の質の高さと豊富さ、控えめで心のこもったサービス、ほどほどの格差社会など日本の優れた点は数多い。
これから日本はもっと優れた点を前面に出して歪んだ世界のスタンダードを正していかなくてはいけないのかもしれない。
今回の旅で写した多くの写真をPCの画面で懐かしみながら、ぼんやりとそんなことを考えている。