かずの里山ハイク

山や花、日常の出来事などの気まぐれブログ

藤吉郎の逸話

2011年01月03日 | 雑記

以下は完全なる受け売りです。心に止めておきたかったので・・・・・。

織田信長は、とても気性が荒い戦国大名であった。

 反抗する敵はもちろん、
 失敗した家臣や結果を出さない家臣にも容赦がない。
 
 先代からの宿老であった佐久間信盛に対して、
 「ただ城に居座って、何も結果を残していないではないか」と、
 あっさりと高野山へ追放してしまった。

 明智光秀が主君信長に対して叛逆心を抱いたのも、
 光秀が総責任者となって接待の場を取り仕切った時に、
 料理が腐っているからと信長に全員の前で叱責を受けたのが
 原因の一つと言われている。

 それに対して、織田信長の遺志を継いで天下を統一した豊臣秀吉は、
 天真爛漫な性格であった。

 明るい性格だからこそ、家臣たちからも好かれ、
 周囲の人間たちがいつも盛り立ててくれた。

 冷酷でその場をピリピリさせる織田信長の家臣団の中で、
 やけに明るい性格の豊臣秀吉が認められ出世していったのは、
 場の空気を和ませたり、不愉快さを軽減させたりする、
 その場その場で意味のある明るさだったからではないか。

 その豊臣秀吉の明るさを表す逸話の一つに、
 こんなエピソードがある。

 天下布武を掲げて全国統一を目指す織田信長が、
 ようやく天下に号令できる勢力を広げた頃のある年の正月、
 城に織田家臣団が集められた。

 集まった重臣たちの前にはそれぞれ正月祝いの料理が置かれ、
 祝いの席で重臣たちの気分も高まってきた。

 そしてやってきた、主君の織田信長。

 正月ぐらいはいつもの険悪な雰囲気を出さぬように、
 明るく祝いの言葉を発しようと思いながら座に着くと、
 信長の膳には、なんと、箸が一本しか置かれていない。

 見る見るうちに信長の表情に怒りが込み上げてくる。

 「ほう…。わしの箸だけそろっていないとは、
  わしには事を成させぬと言いたいのか…?」

 と言って、
 一本足りない箸を握り締めながら、信長の眼は怒りに光る。

 信長の機嫌が悪くなるのを見て、恐怖に凍りつく重臣たち。

 ところがそんな中、家臣団の末席から、
 「いやあ、めでたいめでたい!」と明るい声が上がった。

 出世を重ねて最近ようやく家臣団の席に加わるようになった
 木下藤吉郎である。

 気まずい視線が木下藤吉郎に集まったが、
 藤吉郎は笑顔のまま話す。

 「責任者の方は、粋なことをされますなあ。
  片方の箸で、殿が諸国を『片っぱし』から攻め取っていく、
  ということを表されるとは、なんと素晴らしい。
  正月ならではの、めでたいはからいでございますなあ!」

 藤吉郎の発言に、諸将も「おお…」と感心の声を上げ始め、
 その隙に、信長の箸を用意し損ねた責任者は
 すぐに信長の膳に新しい箸を用意することができた。

 木下藤吉郎の一言から「それはめでたい」という空気になったのを
 織田信長も壊すわけにもいかず、苦笑して新しい箸を受け取った。

 箸の用意を忘れた責任者は、藤吉郎の機知に助けられたが、
 一番助けられたのは織田信長であったかもしれない。

 責任者をぶっ叩いて家臣たちの祝いの気を削いだところで、
 何かが得られるわけでもない。

 そんな場に、木下藤吉郎は
 「そんなことで怒ってはいけませんわ」と反論するわけではなく、
 「それはいいことですなあ、わはは」と笑ってめでたいことに転化した。

 明るさによって、マイナスの状況をプラスに転じたのである。

 誰かが損をしそうな状態の時にでも
 誰もが損をしないような状況に持っていける機知が、
 明るい木下藤吉郎にはあった。

 豊臣秀吉と言えば、寒い日に懐で草履を温めた話が有名で、
 よいしょで織田信長に取り入ったイメージを
 持っている人が多いが、実際は明るさと機知の人であった。

 だからこそ、気難しい織田信長にもそれを認められ、
 さらには有能な家臣にも信頼され、天下人となって行ったのである。


 誰かが失敗をした時には、
 うろたえずに「それはめでたい!」「それは面白い!」と
 明るい気持ちで転化できる意識を持っていきたいもの。