自身が住んでいる地区に曹洞宗のお寺がある。
中学生の頃と社会人になってすぐの頃には座禅会なるものに
参加し、薀蓄など聞いていた。
その先代のお坊さんは高校の教員をやりながら、漫談交じりに
宗教講話など聞かせたり、子供座禅会の参加者とキャンプを
したりと世話好きで多才な方だった。
そういった講話などをまとめた本なども自費出版され、
よく読んでいたことを思い出す。
そのお坊さんの話の中に「さんまの大小」というものがあった。
心に深く残り、折に触れて思い出すようにしている。
とある大学の学生食堂の光景である。昼時になり、
棚にはおいしそうなさんまが皿に入れられて並んでいた。
学生達は並んでそのさんまを取っていた。
そのさんまの取り方に3つのタイプがあるという。
一つは並んださんまをしげしげと見つめ、一番大きいと
思われるさんまを選んで、躊躇なく取るタイプ。
二つは並んださんまを見て、大きそうなさんまに目がいくが、
大きいさんまを選んで取るのはさもしいと感じて、
手前のさんまを仕方なく取るタイプ。
三つは並んださんまは見るものの、心は動かず、自然に
手前のさんまを取るタイプ。
これは例え話だろうが、心の持ち方やありようを示している。
一つ目の感情のまま行動するタイプばかりだと、世の中うまく
いかない。
自身のような凡人にとって、いろんな現象に対して心を
惑わせるようなことは常に起きる。
どちらかといえば一つ目の行動が多いように思える。
だが、後になって反省することはしばしばある。
せめて、二つ目のレベルには到達したいものだ。
3つ目のレベルにいけば、かなり出来た人ということになる。
だが、修行?を続けないと到底このレベルには達しない。
「さんまの大小、サンマの大小、秋刀魚の大小」と念じれは
少しは心の持ちようも変ってくるのかも?
だが、曹洞宗は自力本願の宗教、念じるだけでは救われ
ないらしい。だから臨済宗も含めた禅宗は座禅によって
修行を積んでいくらしい。
だから、棚からぼた餅みたいなことは期待せん方がええ。
・・・この話、2年前にも当ブログで書いておった。とほほ!
読み直してみると、2年前の方が要約され、読み易かった。
文章作成能力の低下か!今回は回りくどく長すぎる。