過日テレビで「山登り女子」なる報道があった。
最近、若い女性の間で山登りがひそかなブームになっているらしい。
取材を受けた女性が山登りの魅力について語っていた。
「街中であれば金さえあれば何の不自由なく過ごせる」
「山中ではお店なども無く、テントで宿泊するとテレビなども無く、
とても不自由する」とのこと。
「だが何故か心は自由になり、いい気分転換になる」と言っていた気がする。
不自由さを楽しむところなど、言い得て妙の感じだ。
どちらにしても同好の士?が増えることは良いことに違いない。
自身、山登りの魅力のひとつに非日常があると思っている。
日常出来ない体験をすることによって、精神なども開放的になれる。
現在の若い人はテレビゲームなど、仮想の空間で疑似体験をして楽しむ人が多い。
山登りなど実体験をして、いろいろと感じることは必要なことと思ったりする。
画像は今朝の庭の花・・・・これも画像でみるより実物を肉眼で観賞することが
いいに決まっている。
こんもりと咲く、花盛りのチェリーセージ・・・・ひときわ鮮やかだ。
今日も庭仕事に終始する一日になりそう。「不自由さ?」をたっぷり味わうことだろう。
庭いじりも半ば日常的なものだが、日々変化も見せ、捨てたものではない。
その1の続き
笹原と立岩下部の錦織



錦織

錦織・・・こちらはやや黄緑が多い。

錦織

部分的に寄せてみる。

錦織

鮮やかな紅葉

笹原と木立と錦織

立岩の紅葉と後方は安芸冠山・・・今日一番のお気に入り画像


光を浴びるススキと紅葉。ススキも逆光で撮ると輝いたように見える。

ススキと後方は大神ヶ岳ピーク

楽しませてくれた紅葉に別れを告げる。

今日は予想外の紅葉を楽しませてもらった。山と友に感謝をしよう。
なお、寂地山系や安蔵寺山などのピーク付近や稜線など遠望すると、
今が見ごろみたいな感がしました。行かれるなら早めがいいでしょう。
笹原と立岩下部の錦織



錦織

錦織・・・こちらはやや黄緑が多い。

錦織

部分的に寄せてみる。

錦織

鮮やかな紅葉

笹原と木立と錦織

立岩の紅葉と後方は安芸冠山・・・今日一番のお気に入り画像


光を浴びるススキと紅葉。ススキも逆光で撮ると輝いたように見える。

ススキと後方は大神ヶ岳ピーク

楽しませてくれた紅葉に別れを告げる。

今日は予想外の紅葉を楽しませてもらった。山と友に感謝をしよう。
なお、寂地山系や安蔵寺山などのピーク付近や稜線など遠望すると、
今が見ごろみたいな感がしました。行かれるなら早めがいいでしょう。
数日前に山友から「どこかに行きませんか?」とのメール、
そこで「気になる山や希望する山は?」と返信すると・・・。
かってから聞いていた大神ヶ岳(ダイジンガタキ)、赤谷山に行きたいとのこと。
仲間3名で現地へと向う。紅葉にはまだ早いだろうと思っていたが・・・。
あに図らんや、大神ヶ岳~赤谷山に向う稜線沿いや赤谷山手前の立岩周辺は
今が盛りの錦織をたっぷり楽しむことが出来た。
このところ庭いじりの連続で性も根も尽きはてようとしていた自身にとっても
良い気分転換の場となった。これに味をしめて山歩きに乗って行ければいいが、
果たしてどうなることやら。西中国山地の山もこれから月末ぐらいは楽しめそう。
数年ぶりに訪れた大神ヶ岳の登山口、木製の鳥居が目印、この鳥居は
国土地理院の1/25000の地図にも掲載されているので目印になるだろう。
駐車は林道をはさんだ空き地に車4~5台は駐車できる。

大神ヶ岳に向う山道の途中にある祠、古くから地元の方に愛された山なんだろう。
登山口~大神ヶ岳~赤谷山頂に至るまできれいに刈り込まれ、整備されていた。

これも山腹にある「潜り岩」ここを通過すると御利益があるかどうかは?
それは各人の心がけ次第なんだろう。

まもなく黄葉のお出まし。

大神ヶ岳山頂より立岩、赤谷山方面、それなりに染まりきれいなんだが、
画像ではこんなもん。やはり自らの目で楽しむのが一番じゃ。
どんな優秀なカメラでも人の目の認識にはかなわん。

色鮮やかなミヤマシキミの実、大神ヶ岳の山頂付近に群生が見られる。

大神ヶ岳山頂の枯れ木と立岩、赤谷山方面

これは黄緑かな、

樹間からちら見えの立岩と周りの紅葉

黄葉

曇りがちで色はきれいに出ないが紅葉と黄葉

大神ヶ岳~赤谷山の稜線にある第一展望所、ススキと紅葉を撮ってみる。

黄葉

錦織

立岩

笹原と立岩、後方の錦織

上記の横画像

その2に続く。
そこで「気になる山や希望する山は?」と返信すると・・・。
かってから聞いていた大神ヶ岳(ダイジンガタキ)、赤谷山に行きたいとのこと。
仲間3名で現地へと向う。紅葉にはまだ早いだろうと思っていたが・・・。
あに図らんや、大神ヶ岳~赤谷山に向う稜線沿いや赤谷山手前の立岩周辺は
今が盛りの錦織をたっぷり楽しむことが出来た。
このところ庭いじりの連続で性も根も尽きはてようとしていた自身にとっても
良い気分転換の場となった。これに味をしめて山歩きに乗って行ければいいが、
果たしてどうなることやら。西中国山地の山もこれから月末ぐらいは楽しめそう。
数年ぶりに訪れた大神ヶ岳の登山口、木製の鳥居が目印、この鳥居は
国土地理院の1/25000の地図にも掲載されているので目印になるだろう。
駐車は林道をはさんだ空き地に車4~5台は駐車できる。

大神ヶ岳に向う山道の途中にある祠、古くから地元の方に愛された山なんだろう。
登山口~大神ヶ岳~赤谷山頂に至るまできれいに刈り込まれ、整備されていた。

これも山腹にある「潜り岩」ここを通過すると御利益があるかどうかは?
それは各人の心がけ次第なんだろう。

まもなく黄葉のお出まし。

大神ヶ岳山頂より立岩、赤谷山方面、それなりに染まりきれいなんだが、
画像ではこんなもん。やはり自らの目で楽しむのが一番じゃ。
どんな優秀なカメラでも人の目の認識にはかなわん。

色鮮やかなミヤマシキミの実、大神ヶ岳の山頂付近に群生が見られる。

大神ヶ岳山頂の枯れ木と立岩、赤谷山方面

これは黄緑かな、

樹間からちら見えの立岩と周りの紅葉

黄葉

曇りがちで色はきれいに出ないが紅葉と黄葉

大神ヶ岳~赤谷山の稜線にある第一展望所、ススキと紅葉を撮ってみる。

黄葉

錦織

立岩

笹原と立岩、後方の錦織

上記の横画像

その2に続く。
このところ庭を見回っていると、いつも自失までいかないにしても、
その作業量の多さに呆然とすることが多い。
午前中はジャーマンアイリスの植替え予定地の土起こしと除草をしたものの、
午後は中断する。なんか根気も続かなくなったようだ。
気疲れもあるのかも知らないが、やる気も少し失せているような気がする。
加齢と共に内なるエネルギーも失せるのかと思うと寂しい気がする。
私的な面では燃えるようなものが無くなって来ている。
「血湧き、肉躍る」という感覚が以前はあったが、現在は指数ゼロじゃな。
庭で咲いている花でも。


その作業量の多さに呆然とすることが多い。
午前中はジャーマンアイリスの植替え予定地の土起こしと除草をしたものの、
午後は中断する。なんか根気も続かなくなったようだ。
気疲れもあるのかも知らないが、やる気も少し失せているような気がする。
加齢と共に内なるエネルギーも失せるのかと思うと寂しい気がする。
私的な面では燃えるようなものが無くなって来ている。
「血湧き、肉躍る」という感覚が以前はあったが、現在は指数ゼロじゃな。
庭で咲いている花でも。



業務面で色んな方と電話や直接の対面を通じてやりとりすることが多くなった。
相手は初対面の方や面識のない人も多い。
そんな訳もあるのかも知れないが、私的な面ではメールや携帯電話の返信が
スローレスポンスになってしまっている。
別に迷惑がっているわけでもなく。悪意もないのだが、なんか面倒になってきた。
私物の携帯電話も通常は電源を切り、日に数度電源を入れ確認するようにしている。
掲示板やブログのレスコメントもコメントのしようがないと思った場合など
レスコメントはしないようにしている。
面倒なのか、余裕の無さなのかよくわからんが自然の流れでそうなっている。
ということで山仲間の方やゲストの方に迷惑をかけるかも知れません。
特別な感情があってそうしている訳でもないのであしからず。
出勤前にバラと青空を撮る。この空のように心も澄み渡るといいなぁ!




ところで近所の若い奥さんから自身のことを「おじさん」と良く呼ばれる。
歳に不足はないが、何か違和感も感じてしまう。
滑稽かも知れないが、どうやら自身はおじさんと思っていない気がする。
仮に森高千里におじさん呼ばわりされたとすると有頂天になって喜ぶかも知れん。
そう言えばそんな歌も確かあったな。現実には有り得ん話だ。
面白くもない、全くの閑話休題な話でした。
相手は初対面の方や面識のない人も多い。
そんな訳もあるのかも知れないが、私的な面ではメールや携帯電話の返信が
スローレスポンスになってしまっている。
別に迷惑がっているわけでもなく。悪意もないのだが、なんか面倒になってきた。
私物の携帯電話も通常は電源を切り、日に数度電源を入れ確認するようにしている。
掲示板やブログのレスコメントもコメントのしようがないと思った場合など
レスコメントはしないようにしている。
面倒なのか、余裕の無さなのかよくわからんが自然の流れでそうなっている。
ということで山仲間の方やゲストの方に迷惑をかけるかも知れません。
特別な感情があってそうしている訳でもないのであしからず。
出勤前にバラと青空を撮る。この空のように心も澄み渡るといいなぁ!




ところで近所の若い奥さんから自身のことを「おじさん」と良く呼ばれる。
歳に不足はないが、何か違和感も感じてしまう。
滑稽かも知れないが、どうやら自身はおじさんと思っていない気がする。
仮に森高千里におじさん呼ばわりされたとすると有頂天になって喜ぶかも知れん。
そう言えばそんな歌も確かあったな。現実には有り得ん話だ。
面白くもない、全くの閑話休題な話でした。