かずの里山ハイク

山や花、日常の出来事などの気まぐれブログ

友、近方?より来る。

2011年01月07日 | ガーデン

今日は非番の日、朝から模様眺めでボーと過ごしていたが、午後2時過ぎより、庭仕事にいそしむことに。
花の終わったキクの剪定や枯草の整理などしていたら、このところ我が庭をホームグラウンドにしている
鳥さんが、食事しに来る。狙いはミミズだろう。

最近よく顔を合わすようになってので、顔見知りの仲になったようで警戒心も少ないようだ。
しばし鳥さんと遊んでいたら、非営利団体の代表を務め、篤志家でもある旧知の友がひょっこりと
訪ねて来た。本当に久し振りの面合わせだ。お互いの近況を交えながら楽しい一時を過ごした。

友の言によれば、最近膝を痛めたらしい。極端な肥満ではないが、体重を減らすこと及び
散歩などの運動をなるべくした方が良いとアドバイスを送っておいた。
このところ頻度高く会うことは無くなったが、一生付き合うつもりの大事な友だ。
特段の話は無かったにしても、やはりこうして来てくれることはうれしいものです。



開花を始めたサザンカ





さんまの大小

2011年01月05日 | 雑記

自身が住んでいる地区に曹洞宗のお寺がある。
中学生の頃と社会人になってすぐの頃には座禅会なるものに
参加し、薀蓄など聞いていた。

その先代のお坊さんは高校の教員をやりながら、漫談交じりに
宗教講話など聞かせたり、子供座禅会の参加者とキャンプを
したりと世話好きで多才な方だった。

そういった講話などをまとめた本なども自費出版され、
よく読んでいたことを思い出す。

そのお坊さんの話の中に「さんまの大小」というものがあった。
心に深く残り、折に触れて思い出すようにしている。


とある大学の学生食堂の光景である。昼時になり、
棚にはおいしそうなさんまが皿に入れられて並んでいた。
学生達は並んでそのさんまを取っていた。

そのさんまの取り方に3つのタイプがあるという。

一つは並んださんまをしげしげと見つめ、一番大きいと
思われるさんまを選んで、躊躇なく取るタイプ。

二つは並んださんまを見て、大きそうなさんまに目がいくが、
大きいさんまを選んで取るのはさもしいと感じて、
手前のさんまを仕方なく取るタイプ。

三つは並んださんまは見るものの、心は動かず、自然に
手前のさんまを取るタイプ。

これは例え話だろうが、心の持ち方やありようを示している。

一つ目の感情のまま行動するタイプばかりだと、世の中うまく
いかない。

自身のような凡人にとって、いろんな現象に対して心を
惑わせるようなことは常に起きる。
どちらかといえば一つ目の行動が多いように思える。
だが、後になって反省することはしばしばある。
せめて、二つ目のレベルには到達したいものだ。

3つ目のレベルにいけば、かなり出来た人ということになる。
だが、修行?を続けないと到底このレベルには達しない。

「さんまの大小、サンマの大小、秋刀魚の大小」と念じれは
少しは心の持ちようも変ってくるのかも?

だが、曹洞宗は自力本願の宗教、念じるだけでは救われ
ないらしい。だから臨済宗も含めた禅宗は座禅によって
修行を積んでいくらしい。

だから、棚からぼた餅みたいなことは期待せん方がええ。

・・・この話、2年前にも当ブログで書いておった。とほほ!
読み直してみると、2年前の方が要約され、読み易かった。
文章作成能力の低下か!今回は回りくどく長すぎる。


家ごもり病?

2011年01月04日 | 雑記

年末にガソリンを満タンにして、隙あらばどこかに出かけようと目論んではいたが・・・・・。

結局、家篭りに終始し、宅内から一歩も外に出ない、え〇〇う状態の不健康な年末年始だった。

昨日も実生の花苗を植え替えたり、除草などに明け暮れた1日だった。

夕刻になり、ヨシッと、ようやく重くもない腰を上げ、車のタイヤを冬季用に交換し、ついでに
洗車をしておいた。これで雪山にいつでも飛び出せるインフラ?は整った。

一年の計は元旦にありとも言われるが、ぼんやりと思うだけで具体性のかけらもない。

今日から御用始め、仕事でもまれたら少しは気合も入ってくるかも知れない。

これといったネタもないので最近、山歩きについて思っていることを綴ってみよう。

数年前までは自身でバリエーションルートなど下見がてらに歩き、良さそうなルートだったら、
旧知の山友やネット仲間に声を掛け、案内しながら歩いて、参加された方の楽しそうな姿を
見て、自らも楽しめた。

ところが、数年前に山以外のことでちょっとしたことがあり、最近ではこちらから誘うことも
少なくなり、単独行が多くなってきた。

もちろん、お誘いを受けたり、山の案内など頼まれたら極力受けるようにはしているが、
なんだか嗜好も変わってきたような気がしている。

「山を思えば人恋し、人を思えば山恋し」という言葉もある。長く山を歩いていると、
この間で気持ちが揺らぐこともあるだろうと思っている。

山に入り気に入った風景や山野草に出会えばじっくり撮ってみたいという気持ちもあるし、
山歩きに対する考え方、脚力の差などで違和感を感じることもあり、気疲れも感じるようになった。

さらに、グループ登山ばかりだと自分の行きたい山やコースがますます遠のいてしまうということもある。
一抹の寂しさは感じるが、単独行だと計画から下山まですべて責任を負い、山中の行動においても、
細心の注意を要するなどの醍醐味も味わえる。

日帰り登山だと当日の朝、天候とにらめっこしてすぐに決断できる気楽さもある。
今年も当分の間は単独行中心の登山スタイルを続けることだろう・・・人を思えば山恋し。

いろいろと書いてしまいましたが、生来の内向的な性格に戻ってしまったのかも知れません。



藤吉郎の逸話

2011年01月03日 | 雑記

以下は完全なる受け売りです。心に止めておきたかったので・・・・・。

織田信長は、とても気性が荒い戦国大名であった。

 反抗する敵はもちろん、
 失敗した家臣や結果を出さない家臣にも容赦がない。
 
 先代からの宿老であった佐久間信盛に対して、
 「ただ城に居座って、何も結果を残していないではないか」と、
 あっさりと高野山へ追放してしまった。

 明智光秀が主君信長に対して叛逆心を抱いたのも、
 光秀が総責任者となって接待の場を取り仕切った時に、
 料理が腐っているからと信長に全員の前で叱責を受けたのが
 原因の一つと言われている。

 それに対して、織田信長の遺志を継いで天下を統一した豊臣秀吉は、
 天真爛漫な性格であった。

 明るい性格だからこそ、家臣たちからも好かれ、
 周囲の人間たちがいつも盛り立ててくれた。

 冷酷でその場をピリピリさせる織田信長の家臣団の中で、
 やけに明るい性格の豊臣秀吉が認められ出世していったのは、
 場の空気を和ませたり、不愉快さを軽減させたりする、
 その場その場で意味のある明るさだったからではないか。

 その豊臣秀吉の明るさを表す逸話の一つに、
 こんなエピソードがある。

 天下布武を掲げて全国統一を目指す織田信長が、
 ようやく天下に号令できる勢力を広げた頃のある年の正月、
 城に織田家臣団が集められた。

 集まった重臣たちの前にはそれぞれ正月祝いの料理が置かれ、
 祝いの席で重臣たちの気分も高まってきた。

 そしてやってきた、主君の織田信長。

 正月ぐらいはいつもの険悪な雰囲気を出さぬように、
 明るく祝いの言葉を発しようと思いながら座に着くと、
 信長の膳には、なんと、箸が一本しか置かれていない。

 見る見るうちに信長の表情に怒りが込み上げてくる。

 「ほう…。わしの箸だけそろっていないとは、
  わしには事を成させぬと言いたいのか…?」

 と言って、
 一本足りない箸を握り締めながら、信長の眼は怒りに光る。

 信長の機嫌が悪くなるのを見て、恐怖に凍りつく重臣たち。

 ところがそんな中、家臣団の末席から、
 「いやあ、めでたいめでたい!」と明るい声が上がった。

 出世を重ねて最近ようやく家臣団の席に加わるようになった
 木下藤吉郎である。

 気まずい視線が木下藤吉郎に集まったが、
 藤吉郎は笑顔のまま話す。

 「責任者の方は、粋なことをされますなあ。
  片方の箸で、殿が諸国を『片っぱし』から攻め取っていく、
  ということを表されるとは、なんと素晴らしい。
  正月ならではの、めでたいはからいでございますなあ!」

 藤吉郎の発言に、諸将も「おお…」と感心の声を上げ始め、
 その隙に、信長の箸を用意し損ねた責任者は
 すぐに信長の膳に新しい箸を用意することができた。

 木下藤吉郎の一言から「それはめでたい」という空気になったのを
 織田信長も壊すわけにもいかず、苦笑して新しい箸を受け取った。

 箸の用意を忘れた責任者は、藤吉郎の機知に助けられたが、
 一番助けられたのは織田信長であったかもしれない。

 責任者をぶっ叩いて家臣たちの祝いの気を削いだところで、
 何かが得られるわけでもない。

 そんな場に、木下藤吉郎は
 「そんなことで怒ってはいけませんわ」と反論するわけではなく、
 「それはいいことですなあ、わはは」と笑ってめでたいことに転化した。

 明るさによって、マイナスの状況をプラスに転じたのである。

 誰かが損をしそうな状態の時にでも
 誰もが損をしないような状況に持っていける機知が、
 明るい木下藤吉郎にはあった。

 豊臣秀吉と言えば、寒い日に懐で草履を温めた話が有名で、
 よいしょで織田信長に取り入ったイメージを
 持っている人が多いが、実際は明るさと機知の人であった。

 だからこそ、気難しい織田信長にもそれを認められ、
 さらには有能な家臣にも信頼され、天下人となって行ったのである。


 誰かが失敗をした時には、
 うろたえずに「それはめでたい!」「それは面白い!」と
 明るい気持ちで転化できる意識を持っていきたいもの。



起死回生

2011年01月02日 | ガーデン
ようやく朝から小春日和の穏やかな天候になった。
早朝、リビングでくつろいでいると、ガラス窓にゴツンと音がして何かが当たった。
山砂を敷き詰めている外に出てみると、メジロが瀕死の状態で横たわっていた。

窓はそんなにきれいでもないので判りそうなものだが、透明窓に気付かず、
衝突してしまったようだ。軽くマッサージして温かいところに移動させ、
離れたところで様子を見ることにする。

10分ぐらい経過しただろうか、羽ばたきをしながら回復させ、元気に飛び立って
行った。このまま死んでしまったら不吉の予感となりそうだったので良かった。

ここ数年、自身も精神的には重傷を負って元気が無かったような気もしている。
今年のキーワードは清算だが、できれば起死回生の1年になったら良い。



・・・・・で、本日午前中には弟夫婦も孫二人連れて来てくれた。
これで正月行事は終わりで昼から家出可能?になったが、なんか出そびれてしまった