■【話材】 徒然なるままに日暮パソコンに向かいて 001 06 勢ひ猛に、ののしりたるにつけて、いみじとは見えず
「徒然草(つれづれぐさ)」は、吉田兼好による随筆集の冒頭の文章です。作者は、兼好であるという明確な証拠はないようです。おそらく大半の方が、何らかの形で、この文章に接しているのではないでしょうか。
徒然草といいますのは、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つといわれています。
高校生時代に戻った気分で、また、社会人として人生を歩み、自分の高校時代には理解できなかったり、誤解していたりすることを発見しながら、独断と偏見に満ちた、我流の解釈を僭越ながらお付けしました。
徒然なるままに、日暮パソコンに向かいて、よしなしごとを、そこはかとなく書き付けてまいります。
お届けも、徒然なるままにアップロードしますので、読者の皆様も、日暮パソコンに向かいて、末永く、徒然にご覧下さるよう、お願いします。
◆06 勢ひ猛に、ののしりたるにつけて、いみじとは見えず。増賀ひじりの言ひやんやうに、名聞苦しく、仏の御教へにたがふらんとぞ覚ゆる。ひたふるの世捨て人は、なかなかあらまほしきかたもありなん。
【語彙】
勢ひ: 威勢、権威
猛なり: さかんである
ののしる: もてはやされる
いみじ: 立派
増賀: 天台宗の高僧で、名誉や利欲を嫌うことで知られている
ひじり: 高徳の僧
名聞苦し(ぐるし): 「名聞」は世間の評判の意。
「名聞苦し」で一語、名誉に夢中になっているように見える
覚ゆる: 思われる
ひたふる: いちずなようす
なかなか: かえって、むしろ
【現代語訳】
活溌な活動が世間でもてはやされていても、それが素晴らしいことだとは思いません。
名誉や私欲を嫌うことで世間に知られています高僧の増賀が言ったとかいわれていますが、名誉に夢中になっているように見え、仏の教えに背くように思えます。
それよりむしろ、仏道にひたすらな世捨て人の方が、かえって好ましいところが、きっとあるでしょう。
【ひと言】
増賀という高僧が言っているらしいのですが、僧侶でありながら、その活動やあり方が世の中でもてはやされたとしも、それが利欲や名誉などを求め続けるような仏の教えに背くような行為は、僧侶たるもの、すべきではないのに、それを行うことは、過去において、処々で見られたようです。
僧侶は僧侶としての務めを果たすべきで、有名なことが必ずしも良いことではないことを認識すべきでしょう。
たとえば、私が従事してきました経営コンサルタントという職業におきましても、同様なことがいえます。
経営コンサルタントというのは、クライアントに対して、エネルギー投入をいくらしてもしたりないほど、いろいろとクライアントのためにやってあげたいことがあります。そのために、時間不足になるほどです。
その結果、出版のための原稿を書いたり、マスコミ対応をしたりする時間は限定されてしまいます。そのために、知名度を上げるような活動は中々できません。
一方で、知名度の高い経営コンサルタントなどは、マスコミ対応に追われがちで、クライアントの現場に行く時間に制約が生じ、机上の考えが中心になりがちです。
このことから、知名度の高い経営コンサルタント、必ずしも現場コンサルティングの実力・実績が高いとはいえないのです。
経営コンサルタントなど、外部ブレインと契約するときの難しさが、そこにあります。
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