年末から母のそばで寝ることが続いている。
もう心配はないみたいだけど、一階で寝ると二階の暖房費が浮くよね。そんな気分で。でも、夜中に母が何度かトイレタイムを取るので、その様子をそっと見ていることも多く、歩くのがとても遅くトイレに行って戻ってくるまで安心できないこともある。
戻ってきてから下着や中に入れているタオルの交換(汗をかくので)もあり、自分でやるとは言うものの、わたしが起きているときには手伝いをする。わたしが眠り込んでいるときには、かなりの時間をかけているようだ。それでも自分でやるほうが相手に気を遣わなくてもいい、とは母の弁。
そばで眠った最初の頃はほとんど眠れなかったけど、今は母が起き出しても気がつかないときもある。
毎日母のそばのソファに寝ているので、だいたい午後8時半過ぎると母が自分が座っていたソファからおもむろに立ち上がり(動作はとても緩慢で、立ち上がるまでかなりの時間を要する)、立ち上がった先のソファを指さしこう言う。
「そろそろ巣作りの時間じゃないかい?」
巣作りって・・・最初に聞いたときはその表現があまりにも当てはまっているために母の語彙力に驚いたものだ。
たしかに巣作りのごとく、ソファにおいてある母が座るために必要な様々なもの(母にとっては欠かせないものが沢山あるのだ)を別の場所に移動させ、本来のソファの形になったところで、大判バスタオルを敷き、枕代わりのクッション(ソファは枕だと頭が高くなりすぎるのだ)にもバスタオルを巻き、大きめのタオルケットと軽くて触り心地の良い毛布(この二枚ははずせない)を伸ばしておく。
掛け布団は今のところ必要ない。我が家では一階は母が居心地いいようにほとんどストーブはつけっぱなし。喘息持ちなので、空気が冷たくなるのは発作に繋がる恐れがあるためだ。新しい家はその点かなり空調が安定していて今の所大丈夫だ。
だから、ソファで寝ていても寒くは無く、逆に夜中に暑くて汗をかいていることが多い。
母が言うところのわたしの巣作りが出来上がったのを確認すると、母はベッドに入る。そしてベッド脇のワゴンの上にあるCDラジカセで今は林部智史さんやトランペッターのニニ・ロッソのCDを聞く。耳が遠いので音量が大きくないとだめなところが難点だ。わたしに気を遣い
「音を高くしてもいいか?」と言う。どうぞどうぞ、母さんの好きなように。
そして三枚ドアの一枚だけを顔に照明が当らないように引く。
「好きなテレビを見ればいいよ」と言って。
午後9時に寝るということはなかなかできないので、その状態で録画していた番組を見るわたし。ドアの向こうからは林部さんの歌が聞こえる。テレビの音を低くして見るが、わたしの左耳には林部さん、右耳にはテレビの音、そんな感じだ。
でも、一枚のCDが終わる頃には、寝息が聞こえてくる。ちょうどわたしも眠りたくなってくる頃だ。照明を消して、母が言う「巣作り」したソファに潜り込むとしよう。
これが夜の日課になってきた。
巣作りもうまくなった。
そろそろ暖かい春も近づいてきた。
巣作りを卒業し、巣をたたむことも考えなくてはならないのかなあ。それまで、母が今以上に元気になってくれればいいのだけどね。無理だったら、当分わたしは二階の部屋で眠ることは出来ないだろうな。
案外、そばにいて眠る方が安心なのかもしれない。何かあっても二階じゃわからないものね♪