心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

父の思い出

2020年09月17日 | 母のこと
この新しい家に住む前から、実家の家にはこの黒板がありました。
母が言うには、父がメモ書きに使っていたみたいです。父の筆跡が鮮やかに残っています。

実家を解体するにあたって、何を残すか処分するか、それは母に委ねる部分が多いのですが。この黒板については最初から残すつもりでした。だって、父の筆跡がそのままあるって・・・いいなと思っているのです。
それで、かなり実家のものを処分してからおもむろにこの黒板を持ってきて、冷蔵庫の側面にこれまた100均で買ってきた吊しを利用して、下げました。黒板消しもチョークもそのままです。

それを見た母が。
「あぁ、父さんが新しい家に一緒に入ったね~」と嬉しそうな顔をしました。
やっぱり、何か父の忘れがたいものが合った方が良かったんだね。

その忘れがたい物も、一筋縄ではいかなくて、やっぱりこれだったんだねと、自分のチョイスが良かったことに今は喜んでいます。
 
とうさん、ようこそ、新しい家へ。

これから母さんと仲良く住めるよう、見守っていてね♪

いつの間に英語がわかるように?

2020年08月30日 | 母のこと
朝、テーブル脇のカウンター下に置いてある母のお茶道具に厚みのある布がかかっていた。
わたしが通りかかると母がその布を指さし
「これ、なんて書いてある?」と問うた。
「フレッシュ ブレッド♪」と言うと
「よし、それならオーケーだ」と答えた。

一瞬、わたしの目が点になった。
「なに?なに? 母さん、英語がわかるの?」

いつのまに英語を覚えたのだろう・・・

首をかしげると母がばつが悪そうな顔をして言った。
「いや、なに、トイレって書いていたら嫌だなって思って・・・」
「えー! だって絵を見ればトイレじゃないことわかるでしょうに」と笑った。
「でも、もしかしてもしかするとトイレに使うものだったら困るからね~」

念には念を、ということでわたしに確認をとったらしい。母の頭の中では「トイレ」には「フレッシュ ブレッド」は無いと確信したようだ。

嬉しいはずなのになんてこったな、日でした

2020年06月21日 | 母のこと
19日、待ちに待っていた退院。
午前中は病院も忙しいだろうと昼食後の午後二時に迎えに行く旨を伝えていた。当日の朝の天気予報をスマホで確認すると、あれ? なんだか雲行きが怪しい。午前中は曇り&晴れなのに、午後、それも二時から雨の予報。
でも、まあ少しぐらいの雨だったらいいか・・・
午前中は用足しでショッピングセンターに行き、送るものだったりの手配をし、最後に母の好物のおはぎと豆大福を購入。仏壇には旬のサクランボを購入。
叔母と昼食を取り、お迎えの時間までしばし休憩していた。まだ空は晴れている。
「この分だと天気予報ははずれるかもね」
「そうだね~」とふたりで顔を見合わせ笑う。

さて、時間も迫り、病院へ。コロナの影響で病室には入れないから、病棟エレベーターのホールで着替えを看護士さんに渡し、外出の用意が出来るのを待つ。ホールには外を見回せる大きな窓があり、そこからは郊外にある山が見える。夏には例年であれば山頂に作られた「大」の文字が大文字焼きとなってお盆の行事となる。初めは叔母と共に大の文字がくっきり見えるのを楽しんでいた。
が・・・見る見るうちに山の大の字が雲に隠れてしまい、ふもとまで雲が降りてくるのがわかった。その間、かなり短い時間だった。
気づいたときには雷と共にすごい音を立てて雨が落ちてきた。

母が着替えを済ませやってきたが、わたしは看護士さんから薬の説明を受けていて、その間ますます雨が強くなっていたようだ。全部終わり、玄関に向かっていると車に乗せるのが無理なほど。少し柔らぐのを待ち、ようやく母を車に乗せた。
「ひどい雨だね~。まさかこんな日になるとはね~」と三人とも口々に言った。でも、まだその後に続くアクシデントは予想もつかなかった。

母の家がある場所は住宅密集地。しかも母の家の前は私道で以前、集中豪雨があったときにわたしの車が半分水に浸かってしまうというひどい状態になった。
家に向かっている途中で、脇に田んぼがある道路をまっすぐ進む。すると、行き止まりになったところにある商店の前が水で溢れている。かなり深い。でも後ろに戻るのもまたどんどん水が溢れてくるようで戻れない。仕方がないので商店の前を曲がり母の家に向かう。でも少し行った先にある母の家に入る私道の前は前にもまして深い水量。
車がアラートを出した。
これは無理だ!
仕方が無いので、そのまま曲がらず前に進んだ。以前と同じ状況であれば、この道を進めば必ず水が無くなる。思ったとおり水が溜まっている場所は数メールだけ。先に行って道路端に車を止めた。
雨が止むのを待つしかないね。

せっかく退院してきたのに、自分の家のすぐ近くに来ているのに入れないというアクシデント。見る見るうちに母の顔色が悪くなっていくのがわかる。
我慢してもらうしかない。
何度も車から出て傘をさし、水の深さを確認しに行ったが、雨はそれから1時間も止まなかった。ようやく母の家のある私道に入れるようになったのは病院を出てから二時間半も経っていた。

それでも我が家に帰ってきたという安心感からか車で見た顔色の悪さは消えていった。
母の退院、と言う嬉しい出来事が落雷と共にやってきた短時間豪雨でもみくちゃにされてしまったのだった。

退院してもまだまだふらつきがあるし、頭のすっきり感がない母。わたしと叔母とふたりで様子見。
それでも土曜一日見守り、だんだん本人もしっかりしている気がする。今日はアパートに行っていいよとお墨付きをいただきこうして更新している。

今回のような退院も珍しいだろうな。というかこりごりなんだけど。そんな日のしかも雨が落ちる時間帯を退院時間に指定してしまったのは、誰あろうこのわたしだった・・・トホホ。

再入院

2020年06月07日 | 母のこと
しばらく更新できずにいました。パソコンに向かうことがずっと出来なかったのです。
先回の更新で母が入院したことを書きましたが、そのときの入院は案外早く退院できたのです。でも、退院した二日後から変化が現われ、日に日に症状が酷くなっていきました。症状というのは、食欲不振もですが、食事やトイレ、シャワーそのどの行動をとってもめまいや暗黒感や意識が薄れていく感じが出て来ました。でも、早めに体を横にさせると意識もはっきりとし、回復するのです。

でも、夜中にトイレに行くときはやはり注意が必要なので、わたしと叔母が母の様子を見ながら付き添いました。
でも、だんだん体力も弱くなるようで昨夜は母としてはしぶしぶといった感じがありましたが、それでも自信がなかったのかおむつをつけることを承知しました。自分の足でトイレに立っていくことやトイレから戻ってくることが出来るかどうか不安だったのだと思います。

叔母とふたりで母のそばに横になり、夜、様子を見ていました。
深夜、急に母が内容物を吐きました。慌ててタオルなどを用意しましたが(まさか吐くとは思っていなかったので)、最後に血の塊が出ていました。出したらスッキリしたのか寝入っていったようでした。
叔母とどうしようか思案しました。叔母は血が出るのはおかしいから救急に連れて行ったらどうかと言います。でも今の母の様子では起き上がって車に乗るのも車いすに座るのも無理があるように思えました。
少し様子を見ることにしました。

朝方、再度吐きました。やはり血の色のする吐瀉物でした。

今度は救急に電話して相談してみることにしました。
出てくださった方はわたしの心配に丁寧に答えてくれて、自分たちはお医者さんじゃないのでこうしなさいとか言えないけど、血を吐いたのなら診て貰ったほうがいいと思いますよと。そして救急車を呼ぶことも(これで二度目ですが)気にしなくてもいいのですよ、と言ってくれました。
すぐに救急搬送してもらいました。

重度の貧血になっていることで輸血の手配。
内視鏡では胃潰瘍が治癒しかかっている部分に本当に小さな亀裂があり、そこから少しずつ血が流れていたとのことでした。すぐに止血とクリップ。
しばらく食事なしの日々が続くそうです。ますます体力がなくなるだろうなと想像しています。でも、貧血の原因がわかったので、少しホッとしました。
救急車を呼ぶことは、とても悩みます。でも今回も呼んでよかったと思っています。

コメントいただきありがとうございます。母のことと共に別の大きなことがあって、毎日動き回っているため、なかなかコメント返せないでいました。時間がとれましたらまた皆さんのところを訪問させてくださいね。






コロナ禍で入院するのは辛いことです

2020年05月31日 | 母のこと
少し前まで、何度か母が「この時期に入院したくないね~」と話していました。何度も入院を経験している母にとって、わたしが面会して世話をしてくれることが安心につながるようでした。でも、今はコロナにかかっていなくても入院すれば家族も面会禁止です。だから、入院はしたくないという言葉が出たのでしょう。

でも、その不安が現実になってしまいました。
木曜日の朝。
母が最近はとても朝ご飯を気持ち良く食べていたのに、テーブルの上の食事を見ても食欲がわかず、後で食べるからと少し横になりました。顔色もすぐれないし。少し横になっていましたが、お腹が痛いといってトイレに立ちました。そしてトイレから来ると朝の薬を飲むためにほんの少しのご飯と梅干しを口に入れて、薬を飲みました。
まだ具合が悪そうだったので、血圧が低くなっているんじゃないかと思い、血圧を測りました。低かったです。

母は横になっていれば良くなるからと言っていましたが、またトイレに行きたくなって立ち上がろうとします。でもようやく立つ状態。トイレまで支えて連れて行きました。便座に腰掛け用を済ませたのですが、便座から立ち上がることができません。わたしが腰に手を当てていると母が「あれを持ってきてくれ」と言いました。
あれというのは、尿パッドだと気づき、普段は使用していないので捜すのに手間取りましたが、パンツにつけてあげ下ズボンもあげて腰に手を当て立ち上がらせようとしたときに、目が変だということに気づきました。視点が合わないし、受け答えが朦朧としているのです。しかも体には全然力が入らず、そのままトイレに足を投げ出しへたりこみました。
これはただ事じゃ無いと玄関にいた叔母を呼びました。
叔母に母を任せ、救急車を手配しました。
それでもわたしが救急隊員と電話で話していたときに、母は少し意識が回復したようで、叔母に
「トイレを流しておいて」と頼んだそうです。

そして、救急車で運ばれ検査を受けました。徐々に意識は回復し、お医者さんの質問にも答えることができるようになりましたが、血圧が下がった原因と貧血の数値の異常について疑問があり、そのまま検査入院となりました。
今は点滴を受けていますが、このたびのコロナの影響で、入院病棟の病室には家族でも入れない状態でした。着替えとか必要な物を届けたりはできますが、本人の顔を見ることはできません。
毎日、叔母やわたしと話をしたりしている母がずっとベッドにばかりいると認知症や運動(ゆっくりでも歩くこと)が出来なくなるのではないかとそれも心配になります。

昨日は着替えを持って行くバッグに手紙を入れてみました。テレビは見ることが出来ますが、たまには手紙を読むのもリフレッシュになるかなと思ったのです。今日も第二弾、入れて持っていこうと思っています。
叔母とふたり、こんな綺麗な青空を母にも外で見せてあげたいねと今日の空を見ています。
母よ、頑張れ、エールを空に。

ごめん茶?

2020年04月11日 | 母のこと
母が洗面所に手を洗いに向かっていた。一足が遅い母なので、急いでいたわたしは、その母の後ろから声をかけた。
「ごめん。ちょっと先に行かせて」
それを聞いた母が
「何? ごめん茶? どこにあるお茶だ?」と言った。

一瞬、目が点になったわたし。
そして笑い転げた。

そんなわたしを見ながら、
「今日、偉い人が、コロナ対策で笑うこともいいって言ってたけど、お前は大丈夫だな」と言った。
はあ、あなたこそ、大丈夫だよと言いたかったけど、言わないでおいた♪



花開く季節

2020年04月04日 | 母のこと
母の庭で、つぼみが花開く。
ときどきフェイントで雪が舞い散ったりすることもあったけど、土の上に降った雪は跡形も無く消える。
春なのだ。

むくむくとその茎を伸ばしたものは着実につぼみをつけ、やがて花を咲かせる。



歩くのが難しい母でも家の周りだけはなんとか行って、花が咲いたか確認したくなるらしい。玄関に行くのも大変だった冬の日々が、今は少しずつ玄関まで。
そして風除室に置いてある籐椅子に腰掛け、外を見る。しばらく落ち着いたら、ようやく腰をあげ、外に出る。
家の外壁に手をかけながら、裏庭まで歩を進める。
角まで行くと、体をかしげ奥を覗く。

「ほら!」と指さす向こうに花が見える。
小さく咲いた薄紫の花をしばし眺めて満足したように戻る。
転ばないように母の手を取り、一歩ずつ歩く。

風除室に戻るとまた椅子に腰掛けて休む。息を整えてゆっくり立ち上がると玄関に足を入れる。
玄関まで来ると、もう大丈夫、お前は先に入ってと言う。

外に出るのはまだ数日に一度だけだが、これからはもっと増えるだろう。冬と違って、元気が出てきたなと思う。これも新しいリュウマチの薬が効いているのからかもしれないと思ったりする。
そういう外に出ることもなかなか出来ない母だが、こと髪の事に関しては、我慢出来ないらしい。数日前から美容院に行きたい旨をチラチラ話していた。
まさか今日がそうだとは思わずにいたわたしに朝ご飯を食べ終えたあと
「美容院に電話してくれないか」と頼んだ。
えっ今日なの? とびっくりしたが、そういえば今日は天気もいいし。
早速連絡してみると、ひとりお客様がいるので、9時半頃にと言われた。9時半前にいそいそと美容院の階段を登る母。といってもわたしがお尻を押して、一段一段上るのもかなり時間がかかる。それでも行きたいのよね、母さんは(笑)

ということで、ただいま「出来たよ」のお迎えコール待ち。
そろそろ行く準備をしておかないとね。
こんなご時勢でも何か楽しみを見つけないと♪

付き添いした後はお腹がすく

2020年03月19日 | 母のこと
今日は母の受診日。というわけでいつもの朝より1時間は早く朝ご飯。
前の日から母は髪のセットの準備。昨日の昼にホットカーラー(わたしが若い頃のものだから、なんと40年以上はもっている!)の電源をいれておき、
「後で帰ってきたら、髪巻いてあげるから」と言って出かけた。
でもちょっとアパートで過ごす時間が長くなり、母のところに戻ったら、すでに母は不慣れな手で自分で巻いていたらしい。先日買ってあげたシルクの薄いピンクのナイトキャップをその上に被ってテレビを見ていた。
その様子が可愛かったので、写してみたかったのだけど、皺を気にする母がいやがると思って写さなかった。でも、薄いピンクのナイトキャップはほんとに可愛らしかった。

「自分で巻いたの? わたしが来るまで待てば良かったのに」というと
「自分でやったから、あっちこっちだよ。でも、なんとかやったよ」と言った。
そのなんとかやった結果、今朝の髪はとてもよく出来ていて、思わず
「母さん、うまく出来たじゃないの」と言うと、そうかあ? とまんざらでもない顔をして
「お前は褒めるのが上手いからなあ」と答えた。素直に喜ぶんだよ、母さん(笑)

で、髪も前の日から。着ていく服も前の日から準備をする母。外出するのは全くと言っていいほど病院以外無くなってしまった母にとって、月に数度の診察(何カ所か)は一大イベントなのだ。髪もしかり、服もしかり。身ぎれいにして行きたいという気持ちがある。数ヶ月前まではその身ぎれいにするという気持ちもなかなか出てこなかったみたいだが、最近はまた元気が出て来て(リュウマチの新薬が効いてきているのか?)前向きだ。

今日は前日の準備も出来ていて、朝のルーティンもしっかり終わり、早めに出発できた。病院の駐車場にも入れることが出来た。
ここまではスイスイといったが、やはり採血のあと、結果が出るまでに時間がかかる。結局、12時前に終了。
どういうわけか、病院に来るとお腹がすく。病院に入っているコンビニで必ずと言っていいほど母はおにぎりを買いたいと言う。そこで今日はわたしのほうから聞いてみた。快諾(笑)
ふたりで二個ずつ買う。前はわたし、一個で十分だったのだけど。最近は二個。それとコールスローサラダ。

戻ってきてチン。むしゃむしゃと食べた。母は着替えをしてゆっくりお茶を淹れ、一口飲んでから。わたしはぺろっと二個平らげ、サラダも食べて、母がおにぎりに手をかけたときには「ご馳走様でした!」と。
なんでなのか、母の付き添いをしたお昼はあっという間に平らげてしまう。
これって何?(笑)
食べるのが早すぎるって絶対よくないよね・・・反省。

もみもみタイム

2020年03月18日 | 母のこと
毎晩、食事が終わり、お腹の調子が落ち着いた頃に母の足裏マッサージをする。それは一連の順序で行われるのだが、足裏から太ももまで行き、また足裏に戻り最後に足の指の下のふくらみをぎゅうっとつかむと、必ず
「ああ、いいなあ。気持ちいいなあ」と言う。
今日はそのあとに続けて
「悪いなあ」と言うので
「なんでよ。全然わるくなんかないよ」と言った。
「母さんばかりいい思いして。お前が母さんの年になってもこんなことしてくれる人がいないのは可哀想だなと思って。自分ばかり悪いなあ…」と言うので
「何言ってんの。これはわたしが母さんにしてあげたいからやってるだけで、別に自分もしてもらいたいって思ってやってるわけじゃないよ」と答えた。

今は毎日の日課になっている。
「さあ、もみもみの時間だよ♪」とわたしが言うと、嬉しそうにソファに横になる母。
その姿を見ることができただけで、今日という日があって良かったと思うのだ。そう思わせてくれる母のそばに一日でも長くいれたらと、願わずにいられない。


二人同時にためいき

2020年03月15日 | 母のこと
二人同時にため息ついた。
「今の母さんのため息は、ああ疲れた! だよね。わたしのは今夜のドラマが楽しみだなって待ちきれないため息~」というと母が
「んにゃあ〜おめだば、一番だな。他の人は外さ出る(出かける)ことばかり考えてるのに、家にいることばかりで楽しいってか!」と呆れた顔をされた。
だってだって、すご〜く楽しみなんだもん♪ わたしったら今夜のドラマが気になって気になって、朝からそんな調子(笑)

母には「このお調子者が!」と呆れられていました。

ため息っていってもこんなため息だったらいいんじゃないの?



スーパーで菜花(すみません、菜花じゃなくてアスパラ菜でした!)を買ってきた。
母がその中から三本取り出して、こんな風に飾った。
「春らしいだろ?」
「いい、いいね~」

残りは軽く天ぷらにして食べた。
食べられる運命を母のアイデアで切り抜けたアスパラ菜は、まだ健在。台所を黄色が明るくしてくれている。
やっぱり母はアイデアウーマンだなと思う♪