心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

少し元気になってきました

2019年03月16日 | 母のこと
なかなか更新できないけど、これからはちょこっとでもここに残していこうかなと。
ついついしっかり書いておかないと・・・と身構えてしまうけど、そんな感じでもなく、さらりと書いていけたらいいんじゃないかと。

母との生活もこの冬ずっと続いていて、生活スタイルにだんだん馴染んできたこの頃です。三月に入ってしばらく母の調子が良くなく、内心かなり心配していました。でも、今日の空がどんよりから青空に変わっているのを見ていた母が、いつもより少し明るい顔をしていました。自分でも気分が少し良いのか、ほんの少し外に出て庭の様子を探っていました。でもあくまでもほんの少し。狭い裏庭に足を運ぶのはまだまだ無理。
外の空気を吸ったせいか、気持ち良さそうにしていました。でも本当に歩けなくなってきて、数歩歩くとすぐ疲れます。

春になって、ぽかぽかしてきたら、もっと元気になるかなと思っています。
あんなに白いご飯が大好きだった母が、ご飯を食べたくないって言ったときには驚きました。少しずつそれも解消してきています。

わたしはといえば、色々考えることが沢山出てきて、先のことを思うと不安だらけですが。それでもなんとか前に行けそうな予感がしています。新しいことにも挑戦し始めました。ずっとやってみたかったことなのです。そのことについてはまたの機会に。
すっかり雪がなくなったので、もうタイヤ交換しなくてはね♪

今年のひな祭りはこんなお雛様のお皿を出してみました。


こんなカボチャがありました!

2018年10月16日 | 母のこと
母のご近所さん。離れた場所で家庭菜園をしているのですが。その中でカボチャを育てていたら・・・こんなにでっかいカボチャが出来たそうです!
ハロウィンにうってつけですよね。
最初は母の玄関の塀においていたそうですが、母がどうも美的感覚が違うと思ったようで(笑)、今は向かいの空き地に置いています。

でもなんかいいなあ。
こんなでっかいカボチャを見る事が出来るなんて。
だって今年は作物が荒らされて大変だったと聞いていたんです。クマじゃなくて猿がやってきたりとか。色々苦労されてのこのカボチャです。ご近所さん、来年はどうしようかなと悩んでいるようです。

だんだん年もとるし、近ければいいけど30分もかけていって畑を維持するのも大変だろうなとは母とも話していたところです。元気は元気でいつも朝から張り切っているご近所さんですが、やはり毎日畑に行くのは大変なんだろうなと思っています。わたしなんて母の狭い庭を手入れしてくれなんて言われても絶対無理だなと思うくらい。
今日、母が「いなくなったらどうなるのか」と話しました。
「もう伸び放題にしておくよ」と少々やけになった声で言ったわたしです。叔母が笑って
「少しくらい伸びたって大丈夫だものね」と、救いの手をさしのべてくれました。母が大事に育てた植木たち。母がいなくなったときのことを考えたのでしょうね。

昨日、母に頼まれて木蓮の余分な枝を切りました。のこぎりでギコギコ。でも木のすぐ下にいると木の形が見えないんです。叔母があれもこれも切っていいんじゃないと言うのをいいことにわたしの目の前にある邪魔な枝をばっさり。
後で母が出て来て道路から見ると
「なんで、そこを切ったの!」と。
切るなら全体を見て見栄えの良いように切るのがいいのだそうで。そんな・・・切ってしまったんで、もう元に戻せないんです。
ため息をつきつつ母が説明をする。しおらしくそれを聞くわたし。来年は間違えないように切るぞ!
「来年は(切ったから)花が咲かないだろうね」と無情にも叔母が言う。
「でも再来年にはよくなるんじゃないの」とわたしの気持ちを上げてくれる。有り難いね。

なんというか母のためによかれと思ってしたことが、そんなでもなかったりするとちょっとがっくりくるのです。わたし、頑張りたいけどそんなに役立っていないの?
という気分を味わうとがっくり。
でも母と叔母はそんなわたしの気持ちを汲んでいるのか、帰りにはねぎらいの言葉をいつもかけてくれるのです。本当に救われるなあと思いつつ。明日の原動力になっているのでした!

うふふ

2018年09月18日 | 母のこと
ちょっと、ご機嫌。
秘密の扉を開いた気分で。

なんて思わせぶりな感じはちっともなくて。いつもはコメント欄を閉ざしていた方がオープンしていたってことに小躍りしているってことなんだけどね。

そんなうふふなことって結構探したらあるのかなと思ったんだ。

今日、午後診察の予定が入っていた母。
迎えに行ったら、叔母を見て
「夕べ、髪を洗うっていうんだよ」って。
そのときはなんとも思わなかったけどね。

病院に行って、採血やらレントゲンを終わって診察を待っていたら、先生の話題が出て。
「あの先生(母の主治医)、若いよね~」って、母と叔母。そんなのとっくにわかっていたけどね。

なんだか可愛いなと思ったわたし。もしかしたら、叔母が髪を洗ったのって・・・そういうこと?いや違うだろうね。診察室には叔母は入らないからね。ただ普段は母とだけ暮らしている場所から色々な方がいる場所にいくから、ということでしょうね。そういう気配りっていいなと思ったわたし。年を取っても女性を忘れない、そういうことって大事だよね?

採血も大変だったな。5箇所に針を刺してようやく。お互いに大変だったんだろうなと思いつつ、それでもなんとか終了。
午後の診察は楽かなと思ったけど全然違った。ということはドクターも患者に合わせていなきゃならないってことだよね。ほんとに有り難いなと思った。しかもこの若い(母に言わせると)ドクターはいつも丁寧に説明してくれる。殆ど耳の弱い母にかわってわたしが頷くのだけどね。誠実だなといつも思う。母のお気に入りのドクターだ♪

うふふなことって探せば他愛の無いことなんだろうなと思う毎日、殆ど変化のない母の日常だけど、ときどきフェイントで現われる診察。そこに行くことであれこれ考えを巡らすことが出来るというのは母にとって最高のモチベーションを保てる日なのかなと、今日は思った。まあそれも今日の母の体調が良かっただけなのだけどね。
このまま入院などせずに元気でいてほしいと願う・・・


で、うふふなことは、ドクターが経過がいいので診察を伸ばしてくれたってこと。
だよね。それってうふふなことだよね。
安定しているってことだと思いながら、次の診察までの期間が延びたことにホッとしたわたしでした♪

画像はそんな私の気分に似合うかなと(笑)





秘島探検番組を見た

2018年09月17日 | 母のこと
母が毎週楽しみにしているのは日曜日。
午後6時からはBSプレミアムの時間が始まる。中でも午後9時からの韓国ドラマは欠かせない。毎回欠かさず見ているのだが、それでも睡魔に負けて見逃すと困るからとわたしに「連続ドラマ設定」で録画を頼んでいる。先回まで放映されていたドラマはその設定だった。だが、最近そのドラマが終了した。その後番組も見ているようだったが、録画は出来ていなかったらしい。

日曜日だったか、土曜日だったか忘れたけど。母がわたしの顔を見るなり「録画してくれ」と言った。
「何を?」と言うと紙切れを見せてくれた。

NHK 午後9時 日曜 と書いていた。

「あれ? この時間って韓国ドラマの時間じゃない? それを録画しろってこと?」
「いや、BSじゃなくて普通のNHK。ドラマは必ず見るから、そっちを撮ってほしいんだ」
「それってどんな番組なの?」
「それが・・・何の番組だったか忘れたんだよ。お前が来たらただ頼もうと思って」

まあそれでもいいか。
番組表を調べると「秘島探検」と書いている。ん? これでいいのか?
「そうそう! それそれ! 宣伝していたんだよ」
かなり興味があるようでご希望に答えて予約しておいた。

今日、晩ご飯の支度を終え、時間があったので母と叔母がいる居間でくつろいだ。すると母がテレビをつけて録画メニューを出した。
わたしに頼んだその番組を点け始めた。自然と三人が見ることに。
東京都の南硫黄島、そこは人間が入ることの出来ない場所だそうだ。そこに今回13日間に及ぶ生物関係の学者さんたち、ダイバー、登山家、ドローン操縦者たちが行き調査するという内容だった。初めて見る島は独特の形をしていて、人間を拒むかのような出で立ちだった。そこに生存しているものは南硫黄島だけに住むものも沢山いた。島は下の部分が熱帯・亜熱帯、山頂が温帯、そして中間が年中霧に覆われている。
切り立った崖のようなところをベースキャンプまで登っていく。これ、登っていけるの? と不安になるほどだが、ようやく全員眠れる場所を。でも平らな場所はなく眠りはとても快眠とはいえない。
それでも学者たちの目は新しいものを見つけるわくわく感が漂っていた。

「まるで子供だね」とはわたしたち三人一致の意見だった。それが少しも嫌みじゃなく、素敵に映って見えた。何かに夢中な人の目は輝いていると思った。
そして画面を見るわたしたちも夢中でひきつけられていた。
普通は海岸に生存する小さなカニが島の標高300メートルで見つかった。ここではネズミがいなくて、このカニが最強なのだと説明していた。進化学者が「コダマ」という生物を探している。それは体長2ミリほどのカタツムリの一種だ。何日かしてとうとう見つける。コダマは島の標高差で形を微妙に変えていた。見つけたのは5種類。最初にこの地にやってきたコダマが5種類に進化していたのだ。学者はコダマの進化を解き明かすことで生物の進化の謎に迫ることができそうだと喜々とした顔をした。

それにしても山頂から見渡した海と空の綺麗なことと言ったら・・・素晴らしい映像を見せてもらった。

見終わったあと。
「いい番組だったね」というと母が鼻高々といった顔でわたしたちを見た。
「生き物を見るのが好きなんだよ」


母らしいなと思った。生き物苦手なわたしはテレビを通して見るのが性に合っているなと思った。第1集、と書いていたので第2集もあるのかもしれない。またメモ書きを見せて録画を依頼される日を待とうか♪


文箱

2018年08月27日 | 母のこと
先日、物置を整理していたら、自分のところから運んだ段ボール箱が出て来ました。何を入れて持ってきたんだっけ? と運んだ本人もさっぱりわからなかった箱でした。
あれこれと入っていました。たぶん孫たちが来るというので、目に付いたものを段ボールに入れて母のところに持ってきてそのままだったのだと思います。ということはわたしにとってはそんなに必要のない物、ということになります。
使わないコーヒーカップやら、中国茶器、茶托、あらら。
中国茶なんて飲まないのにね。これは母にも必要ないだろうなあ。緑茶専門ですから。最近は特に濃いお茶を好むようになっているようです。一日に二回、朝と昼に濃いお茶を飲んでいる母です。わたしが淹れようか? と聞くと自分でやると言います。
どうもわたしが淹れると美味しくないらしいです(笑)。
長年、淹れ慣れたお茶、銘柄もずっと同じです。ときどき思い出したようにスーパーでそのお茶を思い出し、購入しては母のお茶置き引き出しに補充しておくのがわたしの役目です。

話が逸れましたが、その段ボール箱の中にこんな文箱が入っていました。わたしも使ったことのないもので、ネットオークションで手に入れた物の一つでしょう。キレイだったので取って置いたと思います。
今、母はコタツの上や周辺に自分の手が届くようにと小さな収納箱や整理できるものを置いています。ボールペンや小さなハサミは必需品です。それを思い出し、綺麗なものや可愛いものが好きな母に何かに使うことができないかと物置から出してきました。

どう? 見せると「あれぇ、キレイだこと。どうしたんだい」というので
「使わないから、母さん使ってくれない?」と答えました。
ちょっと躊躇する顔をしましたが、「いいの?」と再び聞くので、わたしが頷くと嬉しそうな顔をしました。
何かが入っていた小さな箱に入れているハサミやボールペンたち、それを入れることにしました。

「でも、尖っているから傷つけてしまうね~」

それから少し台所に立っていたわたしが、再び母の所に行くとコタツの上になにやら布をいくつか広げていました。
そのうちの茶色のフェルトを箱に入れてみるところでした。
「この生地だったら大丈夫だと思うけど・・・」でも母の美意識ではもう一枚の柄もののほうがいいみたい。わたしもそっちの方がこれには似合うと思ってみていました。
最終的に柄物を中に敷くことに決定。母的にはきっぱりと寸法が合っている状態、見栄えのいい状態にしたいようで、布を裁つのに細心の注意を払っていました。でも手が不自由なので、うまく出来ません。わたしが手助けしようかと思っていましたが、まだ応援してと言われず。

母がさじを投げ出すまで待っていました。結局最終的にわたしが手伝いました。そのときの母のがっかりした顔
「こんなこともひとりで出来なくなったのかあ」
「大丈夫、大丈夫。ここまで出来たからね。それだけでもたいしたものだよ」いつだって母のアイデアには驚かされます。わたしはそのアイデアがうまく形になるように手助けできたらなと思うのです。
出来ないことが多くなりすぎて、がっかりする、それでもそれを受け止めてまたアイデアを考える。そんな母の様子を見ながら、いつまでも手助け出来たらなあと思ったのでした。

この文箱、コタツの近くに置いて重宝しているようですよ♪

※※※ 写真が変です。表面はもっときれいな状態で、つやつやです。ゴミがついているわけではないのですが・・・※

処分するのは

2018年08月09日 | 母のこと
ブログで2017年頃に紹介した、母が昔作ったバッグ。
押し入れを整理したときに出てきた沢山の手作りバッグは、まだ母の手が不自由ではなかった頃に夢中になって作ったものだという。押し入れの引き出しいっぱいに入っていた。
わたしがそれを一つ一つ出して見ていると、これはお前のスカート、これは自分のコートとそれぞれどれを再生したのかを説明した。その中のいくつかは病院に行くときに見たことがあったりしたが、初めて見るものもあった。デザインも様々でどれにも母らしい工夫があった。一手間かけるところが母らしいと思った。見覚えのある生地、若い頃の自分が重なった。
娘が着ていた物をバッグにしていたなんて、ちっとも知らなかったよ。

でも今はほとんど使用していない。最近のお気に入りはわたしからのお下がり。小粒だけどマチがたっぷりなので結構入るし柔らかい皮が触り心地がいいのだそうだ。軽いというのも母にはとても助かるらしい。軽いという面では手作りのバッグも劣らない。
手作りバッグ、全部出して見たけど処分するにはしのびない。母にフリマで売ったら? と提案してみたけど、人に売るような代物じゃないと即座に取り下げられた。

「死んだらお前の好きなように処分してくれ」

そう言われてもね~。
そう言われたものが沢山ありすぎるんだよね~。

自分が死んだら処分してくれって・・・困るなあ。

でも毎年少しずつ処分している気がするんだけど、なかなか少なくなっていかない。母が若い頃に買って手を通していなかった服はまさしくタンスのこやしになっている。一度も着ていないから処分できないのだそうだ。それでも太い針が通るセーターとかは今の自分にカスタマイズ? したいようで、冬にはコタツに入りながら不自由な手で一針一針リメイクしていた。毛で出来ている物は針が使えるからねと嬉しそうに言う。残念ながら普通の布はもう針を通す力が無いようだ。古いが着ていない服を見て、またしまい直す。
「思い切って処分したら?」と勧めると
渋い顔をして
「やっぱりこれはしまっておく」と答える。

こんな繰り返しが毎年続いている。
でも、この繰り返しが続いていて、わたしが処分しなくてもいいということは、まだ母が健在だという証拠なのかもしれないね。

そういえば、この間の車庫の片付けで、今まで描いたわたしの絵の中からいくつか処分した。あれもいつかは捨てようと思っていたもの。こうして思い切ることがこれからは必要になってくるのだろうなあ。


友だちは○○様

2018年07月23日 | 母のこと
母のそばにずっといた叔母が土曜日、自分の家に戻った。

叔母はいる間、フル回転だった。午前中、洗濯掃除。涼しいうちに草取り。草取りが大好きだという叔母、喜んで草むしりにいそしんでいた。母はもちろん草取りも出来ないので、見ているだけ。
その他にずっと念願だった車庫と物置の整理を頼んだ。叔母とわたしと二人で片付けた。母は椅子に座って監督だ。監督の頭の中には物を移動しどういう状態にしたら見栄えが良いだろうかという考えがある。それがあれこれ変わるので、せっかく移動してもまた動かすことになったり。そのたびに三人で意見を交わす。
三人寄れば文殊の知恵とはよく言ったものだ。最終的には落ち着くところに落ち着く。一番良い結果になるということが何度もあった。

叔母がいてくれて、母はどんなに助かっただろう。朝昼晩の食事、台所から運ぶのも出来ず、叔母が運んでくれた。もちろん片付けもだ。家の内外のことはほとんどやってくれた。そして母との語らい。他愛ないことから昔話まで、二人の会話は途切れることがなかった。台所に立ちながら背中でふたりの声を聞く。この時間がずっと続いたらいいのに・・・そんなことも思った。
でもそれはわたしの我が儘だ。わたしが楽をするための我が儘だ。
叔母にとっての家は別にある。ただそこが過ごしやすいかは一概には言えない。こうして母と過ごす叔母の姿を見ていると、しあわせの形がここにもあるのかなと思えてくる。

実家に行くとわたしが夕飯の準備をする役目だ。午後に台所に立っていると汗だくになる。それが分かっているので夕方にはお風呂に一番先にわたしに入れと勧める。わたしも汗臭いのでお風呂をもらう。お風呂から上がると居間に声をかける。
「上がったよぅ。次の方、どうぞぉ」と二人を見る。
すると先日、母が
「友だちが来るからまだ入らないよ」と答えた。
えっ? 叔母とわたしは顔を見合わせた。こんな時間(午後5時)に誰が来るっていうの? って。

母が笑って言った。
「ほら!」
指さす向こうにテレビの画面。そこに映るは『暴れん坊将軍』(しかも40年も昔の)、今まさに馬にまたがり颯爽とこちらに駆けて来るところだ!

「母さんの友だちって将軍様かあ!」とわたしが素っ頓狂な声を出すと叔母が
「たいしたもんだ、将軍様を友だちだなんて言う人、姉以外いないよ」と笑った。

その後しばらく何かあるたびに、ふたりで「なんといっても将軍様を友だちに持ってる人は違うなあ」と言うことが多くなった。特に母が何かしてほしいと頼むときに。
「どうして~、将軍様を友だちに持つ人の頼みだものね。断れないよね~」
母が「んだんだ、断ったら怖いよ~」と笑って言う。

困ったときの神頼み、じゃなくて将軍様頼み。母の友だちは広範囲なのだった。



びっくりぽん!

2018年05月25日 | 母のこと
ちょっともじもじとしながら、昨日、母が話し始めた。

夜遅く携帯が鳴った。もう母も眠りに入る頃、夜の11時過ぎだったそうだ。
ん? こんな時間にかけてよこす? それも携帯に?
はっ! もしか○○(わたし)に何かあったのか?
そう思いながら枕元の携帯を手に取り、「もしもし」と言った。すると相手は男性。寝ぼけているので孫の○○○だと思ったらしい。
「○○○だか、どうした、風邪引いたのか」というと相手も〈風邪引いて」と答えたそうだ。そのとき声がわたしの息子の声に似ていたらしいので、母の考えではわたしから携帯の電話番号を聞いていたずら電話をかけてきたと思ったらしい。
それは少しの間だけで、その後は別の孫からだとすっかり思い込んで受け答え。
向こうが「おばあちゃん、何歳だっけ」と聞かれて「もう今年誕生日くれば86歳だよ!」と答えたり。
「毎日○○子(私のことね)が来て御飯支度してくれるから大丈夫だ」と言ったり。
向こうより母があれこれ話したそうな。
すると向こうが「おばあちゃん、俺酔ったから切るよ」と言ったので、「今度はこっちからかける」と言ったら、「いや、俺の方からかけるから」といって切ったそうな。

その話をわたしが行くとすぐに教え始め。
わたしはすでに夜遅く電話が携帯にあったという時点でおかしいと思っていて。
母が話している途中で、母がすっかり信じこんでいた孫の○○○の携帯番号をチェック。それとかかってきた番号を照合。

そのあと、「母さん、○○○にこの携帯の番号教えた?」と聞くと、首を横に振った。
これは、完全にオレオレ詐欺の予備段階じゃないですか!

母の携帯は、わたし以外にはほとんど知らない。
そしてわたしの番号から発信されると○子と番号の上に名前が着く。それをきちんと母に教えて、その他の登録している数名の名前を教えた。今回かかっていた番号には「詐欺」と命名。
「たぶん、別の番号で色々かかってくるだろうけど、登録している番号だったら名前が出るから名前が出なかったら出ない方が良いよ」と念を押した。

母はそうとうショックだったようで。まさか、このわたしが・・・と。だて、いつもオレオレ詐欺の報道があるたびに、自分は大丈夫だと自負していたんだもの。
でも、そういう人に限って・・・ということがあるらしいとこのときは話していた。
すっかり孫からだと信じこんでいたようだった。
でもね、相手がお金の話をする隙間を与えないで電話を切らせたからよしとしましょうよ。また後でかけるから、と言ったというけど、もうでなきゃいいんだからね。
一体、どんな手で母にお金の話を持って行こうとしたんだろうねと三人でその話題で持ちきりです♪


帰り際に

2018年05月22日 | 母のこと
帰り際に「今、盛りだから切って持って行けば」と、沢山咲いている中からお勧めのエビネをよこした母。二本でいいから、と言って急いで部屋に戻り、窓辺に飾っていた花瓶に挿した。

母の台所にはすでに裏庭から切ってきたエビネが挿してあった。
白より黄色の方が綺麗なんだけどね、今年は無理かもしれないなあ、と残念そうな顔をしていた。昨年あちこち移動させたので、すねてしまったかもしれないねと。

時々、母はわたしに庭の花を持っていけと言う。もう散ってしまうから綺麗なうちにと。綺麗なうちに飾ってあげたら、と思うのだろう。わたしはと言えば、言われるまで切るつもりはサラサラなく、いつも声かけされてから。もしかしたら母はわたしが「あの花綺麗だから持って行ってもいい?」と言われるのを密かに待っているのかもしれない。
それでも帰り際になると、すっかり庭の花のことなど忘れてしまい、急いで母の元から帰ってしまう。

花一輪さえも母の気持ちがあるようで、なんだか和んでくる。部屋に花があるだけでなんだか気持ちよい。
きっとその気分を味わってもらいたかったんだろうな。
そんなに急いで戻らなくても・・・と言いたいのを我慢しているのかも。
そういえばこの頃、叔母がいることをいいことにサッサと帰っていた気がする。反省・・・


本物?

2018年05月17日 | 母のこと
昨日のこと。母の薬を取りに行き、ついでに買い物を済ませて行った。
いつもの時間より少し遅れていったのは、息子のところに届け物があったからだった。ちょうど今から出勤だよと忙しく準備をしているところに出くわした息子だが、それでも少しの差し入れを置くと、ちょっと嬉しそうだった。
その帰りに母の所へ夕飯の準備で行ったのだった。

台所に行くと、すでに叔母が母の命令(笑)で、もらい物のフキを細く切っているところだった。炒め煮をする予定らしい。ひとつおかずがこれで足りるね、と予定していた焼き魚だけを残すのみとなった。
「じゃあ、焼き魚は食べる直前に焼くことにすればいいから、今日はあとやることないね」と言うと、母が
「だから今日はゆぅっくりお風呂に入ってあったまっていって」と追い炊きボタンを押した。

母は叔母が蕗を切るそばのテーブルで椅子に腰掛けていた。自分ひとりが居間にいるのは寂しかったのかもしれない。叔母とふたりでまたあぁでもないこうでもないと他愛ない話をしていた。

すると、テーブルの上に置いてあったガジュマルの鉢をまじまじと見た母が、素っ頓狂な声で
「あれ~! これ、もしかして・・・」というとガジュマルの枝先にあった葉っぱに触ると、ひょいとそれをつまんだ。
なんと、その枝がスポン! と取れたのだ。
これにはわたしもびっくり。

えっ? なんでなんで?

すると蕗の炒め煮を作り終えた叔母がそばにやってきて、ふふふふと含み笑いをした。
「ようやく見つけたね~。もう何日も前から挿していたんだけどちっとも気がつかないんだから」

母が何かお弁当とかに入ってきた葉っぱの作り物を綺麗だからと取って置いて引き出しに入れていたものだという。たまたま叔母が引き出しを開けたらあったので、これはもしかして・・・と思ってガジュマルの枝先に挿してみたら、スポッとはまったのだ。まるで本物みたいに見えるので、これにいつ姉が気がつくか、わくわくしながら待っていたというのだ。ところが、いつまでたっても気がつかないものだからいい加減種明かしをしようかと思っていた矢先の出来事。
これで叔母のドッキリ企画は大成功! というわけ。
お茶目な叔母に今回はしてやられた母とわたしだった。

ところで、どれが偽の葉っぱかわかるかな?