心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

ヘボ!

2020年02月13日 | 母のこと
母が楽しみにしているドラマは連ドラ予約をすることにしている。
月曜日から土曜日は毎朝『スカーレット』『おしん』
月曜日から金曜日は午後三時から『暴れん坊将軍』、午後1時半から『やすらぎの刻』

今朝、録画していた『スカーレット』を見終えてすぐ
「次は『おしん』をつけるね」と言うと、
「んだな」と嬉しそうな顔をした。
「それにしても母さんは毎日楽しみなものがあっていいよね~」と言ったら
「録画してくれているから、毎日見れるし。ほら、あのドラマも!」と言うので、「あぁ、日曜日に入るドラマね」と答えた。

ちょっと間を置いて母が少し大きな声で言った。
「ヘボ! ヘボだ」
わたしはヘボと言われて、変な顔をした。そして、間違いに気がついた。
日曜の夜9時、BSプレミアムに入る韓国ドラマのタイトルを母は言ったのだ。
「母さん、それって『ヘチ』だよ~」
「あぁ、んだんだ。ヘチだ。ヘチってなんなんだかな」
「わたしも意味なんてわからないよ。いつも見ている母さんがわからないのにわたしがわかるはずないよ」とわらった。

母にしてみればヘチもヘボもたいして意味がない言葉なのかもしれないとこのとき思った。
可哀想にドラマのタイトルをつけた方の真意は母に伝わっていないのだ。
ヘチの意味はわからないが・・・

一安心

2020年02月08日 | 母のこと
しばらく更新できずにいました。
母のリュウマチ治療で何年も皮下注射を続けていましたが、昨年秋頃からどうも思わしくなくなり、注射しても効果が見られないような感じになりました。先生も寒くなっていくことが影響しているのか、注射の効果が薄れているのかと思案していました。様子を見ていたのですが、今年に入り、色々検査をした結果、皮下注射ではなく新薬の飲み薬に変更してみてはどうかと言われました。
そのとき、先生が一週間分の薬を飲む間、入院したらどうかと話されたのですが、母は即答。
「先生、入院しないで家で様子を見たい」
先生は新薬の副作用とか、体調の変化に対応できるので、入院してもらいたかったようですが・・・

家族がしっかり管理するということで承諾していただきました。
感染症や肺炎にも十分気をつけるように言われましたし、安静にしているようにと。
だからこの一週間は本当に内心ハラハラしながら母のそばにいました。何かいつもと違う状態になっていないかとか、痛みの具合はどうなっているのかとか。
薬を飲み始めて母は頭が重く感じていたようですが、四日ほど過ぎた辺りから頭もスッキリしてきて、細かい体の痛みが薄れていったようです。一番痛みがひどい右肘・右腕・左膝はまだまだですが、顔色はずっと良くなった気がします。

金曜日。診察があり、採血結果では炎症の強さが少し下がっていました。先生も結果が出ているようでこのまま継続してみることに決まりました。
新薬ということでしばらくは院内処方。二週間分しか出せないようですが、様子を見ながら診察は二回に一回、薬をもらうだけ、ということもできそうです。これまでと違い病院に行く回数が増えますが、薬が効いてくれるのなら何度でも足を運びます♪

ここ数日、久しぶりの雪。例年よりは少ないですが、すでに二月。寒さを我慢するのもあと少しかな。春に向かって母の症状が良くなっていってほしいと願わずにいられません。ちょっと元気になった母の顔を見てホッとしています。

今更ですか(笑)

2020年01月21日 | 母のこと
テレビでナイツの塙さんが都会から佐賀に引っ越ししていったときに、一番驚いたことは何かと聞かれたときに「トンボが沢山いたこと」だと答えた。
それを見ていたわたしが
「だよね~。昔は田んぼが多かったからイナゴとかトンボとかものすごい数で移動していたよね?」と母に言うと
「んだな~。目の前がトンボだらけになっていたっけなあ」と、ちょっと目をつぶってから
「昔は飛んでるトンボを捕まえて、尻尾の方を切って、その穴に小さい花を挿して飛ばしたもんだ」と言ったので、わたしが
「えーーーー!!」と素っ頓狂な声を出したら、あわてて
「小さかったからな、皆で違う花を挿して飛ばすから、あれが自分のトンボだ~、とか、自分のトンボはあそこまで飛んでいったとか言って、遊んだものだよ」と説明した。

そして、ちょっと声を落として
「今思えば、悪いことしたなって思うよ。トンボには可哀想なことをしたな・・・」と言った。すかさずわたしは
「今更、80年前のことを懺悔ですかあ?」と笑っていった。
「昔はなんも知らなかったからなあ・・・」

わたしは昆虫とか苦手だったので、そんな遊びなんて考えもつかなかったけど、母が小さい頃は自然の中で沢山遊んだんだろうな。我が母は、今はこうして体が言うことをきかなくなっているけど、きっと健康体ならどんどん外に出て活動していたに違いないとこのとき確信したのだった。

くじ運がいいのはどっち?

2019年12月22日 | 母のこと
数日前から、テレビで盛んに年末ジャンボのコマーシャルが入っていた。それを見る度に「○子、買ってきてくれないか」と言う母。
そしてわたしが「じゃあ、連番とかバラとかあるからちゃんと指示して」と言うのだけど、いざわたしが出かける段になるとすっかり頭から二人も抜けていて・・・
とうとう、昨日は宝くじ最後の日になってしまった。

もう絶対忘れないぞ。と思い、しっかり母に確認。
ふむふむ、ジャンボをバラと連番・・・後は渡されたお札で買えるだけ、ですか・・・
そしてもう一つの確認。
「場所はどこがいい? ×××と○○○があるけど」と聞くと、すぐに
「○○○がいい。あそこは当りそうだ!」とニコニコしながら言う母。

母の要望を聞いて、早速その場所へ。あららら。最終日というのはこういう感じなのね。
かなり行列。わたしが後ろに並んだ後も人が途切れない。母の指示通りに購入し、ついでにわたしの分も購入し、最後におまけのスクラッチを10枚。

戻って来て母に見せ、母の好きなものを選んでもらった。母が
「見るときはふたり一緒だからね」と念を押したのが面白かった。最後にスクラッチをバラバラとコタツの上に置き、母に5枚選んでもらった。これは夕飯が終わってからの楽しみにしようと、ね。

昨夜は母の縫い物を手伝ったので、夕飯もいつもより1時間遅くなってしまったが、わたしはスクラッチのことは忘れていなかった。早速コタツに自分の分を出してきて、1円玉を用意。母にも1円玉を渡すと、母はなんだかあまりやりたくなさそうな雰囲気。でもわたしはさっさと結果が知りたいので、自分の分から一枚出して、一番右を縦にこすった(このスクラッチは縦に二つ同じ絵柄が並ぶと当たり)。
あれ~!
なんと、最初にもう一番最後の当たり200円が出てしまったではないか! 後の4枚は全然だめちゃんりん。
それを見た母が、
「ありゃあ、なんだなんだ。これじゃこっちははずれじゃないか」とこする気分が消えていく。続けて「10枚には必ず最後の200円は一枚入ってるからなあ、もうお仕舞いだよ」と言った。
意気消沈する母に向かい
「いやいや、もしかするともしかするかもしれないから、やってみたら?」と勧める。しぶしぶ母が自分のスクラッチをこすっていた。

4枚まで来ても全然かすりもしない。
「あ~あ、やっぱりほらお前ので終わっていたんだよ」母がつまんなさそうな顔で言いながら最後の一枚をこすった。

「あれ? ○子、これは何だ?」指さすものを確認。
なんと同じ絵柄ふたつあるではないか!
よく見たら、1000円の当り!

「なんだなんだ、お前が当った(200円)からもう当らないって思っていたよ」満面の笑顔で母が言った。

この日、一番最初にわたしが200円の当りを。一番最後に母が1000円の当たりを。
くじ運がいいのは? もちろんお母さんですよ♪ その後はご機嫌な母。でもこんなことを。
「今の当たりで、ジャンボの当たりが消えたかもしれないな」とボソッとつぶやいていた。

お熱いことで

2019年12月05日 | 母のこと
わたしが2004年11月にgooにブログを開設して、2006年3月に父が亡くなりました。
その少しの間に、父と母のことをここに少し書いていたのですが、そのときどきの二人の様子を見ていたときには、まだ父が亡くなるとは少しも思っていなくて、何度目かの入院でも必ず退院してくるものだとばかり思っていました。最後の入院のとき、娘の大学の卒業式があり、なるべく早く帰ってくるからねと話して、病室から出ていったわたしです。
卒業式も終わり、なんとなく気持ちが急いて、ゆっくり娘と過ごすこともせず戻ってきました。二泊三日か一泊二日だったと思いますが、東京から戻ったら、父が病室で嬉しそうな顔をして待っていたのを今も思い出します。母に何度も
「○子はまだ帰ってこないのか?」と訊ねたそうです。
そして、わたしが戻るのを確かめるようにその少し後に亡くなってしまいました。

わたしのことを待っていた父ですが、実は父がもっと待っている人がいました。それは母です。
父が入院していた頃、残念なことに母が骨折をしていて、毎日病院に付き添いすることができず、わたしが母の代わりにずっと行っていました。たま~に母を連れていくこともありましたが。そのたま~に連れていった時のことです。

2006年3月8日のブログ。

※※※

『お熱いことで(笑)』

今日も父のところに、母を連れて。
っていっても 母は骨折で療養中なので そばで見ているぐらいしかできない。
それでも父のところに行くと あれやこれやと注文をつける。
わたしの気がつかないところに 気配りできるのはさすがだ。
歩くのはそろりそろりと。

そんな母が 洗い場にスプーンを持っていった。

父「母さんは?」
私「スプーンを洗いに行ったんじゃないの?」

昼食を食べ終わって 私はベッドに座っていた父の背中をさすっていた。
ごつごつと骨をなぞると、父は少し気持ちがいいみたいだった。

しばらくすると 母が今度はトイレに行った。
母がいないことに気がついた父は またしても
「母さんは どこに行った?」と。
私「また?トイレだと思うよ。父さん 心配しすぎだってば」というと。
ちょうどそこへ母が戻ってきた。
父「だって大事な母さんだもの」と私に小さくささやいた。

そうですか そうですか。背中をさすっている私よりも いなくなる母のほうが大事なんですか と 言うのは野暮というものでしょうね♪

※※※

こんなふたりだったんだなあと最近よく思い出します。母は今、寂しくないかしら・・・





女ごころ

2019年11月20日 | 母のこと
今日はウクレレレッスンの日。
だから早め早めの行動を。なにせ朝から雪だからね、タイヤ交換まだのわたしは運転もゆっくりで行かなくちゃ。
洗濯を干して、さて、少しお化粧していこうかなと洗面台に立っていた。すると、母が居間のドアを開けて顔を覗かせた。わたしが洗面台の前に立っているのを見ると
「髪おかしくないか?」と言うので、
「えっ、わたしの髪おかしい?」と聞くと
「いや、こっちの」と自分を指した。意味がわからないので、そばにいき
「何、何。母さんの髪が変だかってか?」と聞いた。
すると頷いて、
「いつも洗面台で髪を見てから行くんだけど、お前が使っていたから。」
「あ~!、母さん仏壇の前に行くからかあ! 女の子なんだからあ!」と笑った。

朝、仏壇に手を合わせる。すでに亡くなって10数年経ったわたしの父と弟がいる。

母さんは仏壇の前に座るときでも髪型を気にしているのか・・・
おしどり夫婦だったもんね。

なんだかすご~く羨ましく思えた瞬間だった。

いやだなあ、もう

2019年10月26日 | 母のこと
今日はいつもよりかなり早めに母のところに行った。夕飯の支度もしなくていいから、と言われたけど、一応野菜がとれるものは必要だし、せっかく解凍した紅鮭もあるし、ということで結局わたしが台所に立った。
その前にしばらく母とおしゃべりをした。野菜の下ごしらえをしてから、風除室で外を見ている母のところに行った。叔母さんがお昼寝していたので、玄関の方でおしゃべりの続きをした。
話は母の母、亡くなった祖母の話だ。祖母はわたしが幼い時から額に鉢巻をしていた。亡くなるまでずっとその鉢巻を取ったところを見た事が無い。その話になった。幼いながらもそのことに触れてはいけないのだろうなと思って、最後まで祖母に鉢巻のことを尋ねることはしなかった。

母が言うには、祖母には額に火傷の跡があったそうだ。でも、隠しておくほどでもなく、前髪で隠れるぐらいのものだったそうだ。それでもある日、誰かに額の鉢巻を取ろうとしたら「そのままつけていてもいいんじゃないか」と言われて、それからずっとほんとにずっとつけていたのだ。年を取ってから母がお風呂に一緒に入って祖母の髪を洗ってあげるときははずすけど、上がるときにはまたつけていたとのこと。
だから、亡くなったとき鉢巻をはずしたらその下は真っ白の肌だったとか。

わたしにとっては祖母というのは鉢巻をつけた人、それが一番の印象。そして寡黙な人だった。静かで皆の話を微笑んで聞いている、それが祖母だった。いつだったか、小さい時に誰かに「どんな人になりたい?」と聞かれたとき「おばあちゃんみたいになりたい!」と言ったことを思い出す。
それを相手はどう受け取ったのかわからない。わたしの中では、物静かでそばにいてくれるだけで嬉しくなるようなそんな人、という意味だった。
母も叔母も祖母のことは大好きだったみたいだ。今も昔のことを二人で話している姿を見ると、そこには両親を本当に好きだという気持ちが見え隠れする。そんな二人を見るのもまたとても嬉しくなる。

そんな祖母の話をたくさんして、今日はお風呂も早めによばれて、いつもより早めにおいとますることにした。母がベッドに座っていたので、ちょっといたずらな気分になって、母に「では今日はこれで帰ります」といって「ハグ、ハグ!」とフワッと抱きしめた。すると母がわたしの脇腹を触って
「もうこれ以上太らないように。食べ過ぎないように!」と言った。
あっちゃー。これは一本とられた! 「もぉ!、いやだなあ、もお!」と笑った。
それを見ていた叔母が
「わたしも太ったって言われるんだよ」と笑っていった。
玄関に見送りに来た叔母にこそっと言った。
「太ったって言う本人が一番気をつけなくちゃね」

叔母が慌てて口に人差し指をつけながら笑った。

そう、三人とも美味しい食欲の秋に負けて太っちょ路線まっしぐらなのよぉ。

ペットボトルにこんなものをつけてました

2019年08月05日 | 母のこと
母が針と糸を持って
「これ、通してくれ」と頼んだ。一体、何をするのかと思ったのは、テーブルには手直しすべき服などがなかったからだ。頭をかしげながらも、眼鏡をずらして針穴にしつけ糸を通して、母の手に渡した。

すると母は居間から隣の台所のテーブルに座った。テーブルの上には太めのゴムと冷蔵庫に貼り付けていた薄いマグネットが置いてあった。

母は持病が二つもあり、朝昼晩と飲む薬の量が半端でなく多い。その薬を飲み込むために食後にはペットボトルに水を入れてテーブルに置いておく。その準備をするのはわたしだが、ずっと小さめのペットボトルを使ってきたけど、そろそろ新しいものに変えたら? ということで最近、どれにしたらよいかあれこれ選んでいた。本当は普通の500ミリのだと大きすぎる(母には重い)から、もう少し小さいものがあればよいのだけど。金曜日に皮膚科受診したときに病院内で小さめのお茶のペットボトルを購入した。
「これ、小さくてちょうどいいから、持って帰って水を入れるのに使う」と喜んでいた。
だが、帰ってきてボトルのラベルを剥がし、水を入れると・・・そのペットボトルは最初から少し茶色い色がついていたのだった。水を入れると水が茶色に見える。
〈これは、絶対、使わないだろうな〉
すぐ母が
「やっぱり駄目だ。これだと美味しく見えない」とぼやいた。
だろうね、やっぱり。

仕方がないので、最近生協で購入した炭酸水のボトルを勧めた。なんといってもラベルが可愛いのだ。母に選んだのはシマウマ。象やペンギンもあったけど。
沢山あるので、間違えると困るということで、すぐに母はキャップを黒いマジックで塗りつぶしていた。そういうところは抜かりがない母だ。
しかし、どうもそれだけでは母的にはつまらなかったらしい。

孫が来たら遊べるかと冷蔵庫に貼り付けていたものがある。それがマグネットだ。しかもアンパンマンたち。色々なキャラクターが貼り付けてある。
その中からジャムおじさんを選んで、自分の水専用ボトルだとわかるよう、ゴムとジャムおじさんを縫い付けていたのだ。

後で、出来ていたボトルを見て、母のアイデアにこそっと微笑んだわたしだった。
母、86歳、可愛く見せたり、可愛いと言われるとまんざでもない顔で嬉しそうにする。いい意味で年を取る楽しさを知っているのかもしれない。


緑はいいね

2019年05月22日 | 母のこと
緑が増えて来ましたね。
街のあちこちに。

運転していても見回す範囲に緑色が増えたなと感じます。母の庭も緑で一杯になっています。叔母が毎日せっせと手入れをしてくれているので、あんなに雑草だらけだったのが、すっかりキレイになりました。母も大満足でしょう。毎日、あそこの花を向こうに植え替えして・・・こっちの分を鉢に植え替えして・・・叔母が帰るときに持っていく寄せ植えも作って・・・と、二人であれこれ協議しながら楽しんでいるようです。
でも去年はもっと動けた母ですが、今年はもうほとんど何も出来なくなってしまいました。歩くのも本当にやっとで、家の中,トイレに行ってくるだけで疲れてしまいます。外に出たらさらに疲れが出てしまいますが、それでも庭を見るだけで元気が出るらしいのです。
ほんに緑の力はすごいなと思います。あんなに冬中、気持ちが落ち込んでいた母が日に日に気持ちが上向きになっていくのはなんといっても長年育ててきた植物の賜。

今年はカリンの木に可愛らしいピンクの花が見事に沢山咲きました。その花の姿よりも蕾のときの方が好きなようで、叔母と二人で蕾探しをして喜んでいました。
風除室の椅子に座り、そこからもカリンの木が見えるので飽きるまで見ているようです。

小さなスズランも沢山咲いていました。どちらかというと大きな花よりも小さな花が好きな母の庭には可憐な花が多いようです。
緑に満ちた庭、葉っぱが日差しを浴びて精一杯張り詰めて命を見せている、その張りのあるつややかさを見ることで見ているわたしたちもまた自分の中の細胞が沸々と沸き立っていくのを感じます。やっぱり冬より春、春から初夏にかけてがいいなあ・・・


※※※

これからはお金の使い方をしっかり考えていかなくては。それに関しては人生の先輩がそばにいるから、不安に思ったらすぐ相談。節約術もあの手この手とあるみたいだし。
後は来年まで何を残すか、取捨選択が大仕事。いざとなるとなかなか捨てられないのが玉に瑕。それでも新生活に持って行くには物が多すぎるから、吟味しなくちゃね~。母も少しずつやっていこうと思っているみたいです。わたしは15年、母は60年?溜まった物があるからね。

※※※


またまた雪

2019年03月25日 | 母のこと
昨日に続き、今朝はさらに雪!
ずんずんと降り積もっている。これはウォーキングは無理だな・・・ 三時前から目が覚めて二度寝が出来なかったわたしにとって、朝のウォーキングが無くなったのはかなりガッカリ。
さらに部屋が寒い! 

そっと母の眠っている部屋を開けて、ストーブの設定温度を上げてきた。寒くて起きるときに部屋が暖まっていないと風邪を引かせてしまうからね。
それにしても、この雪はどうしたものか。
朝、起きてきた母に「これってひどいよね」って文句をぶつくさ言うと
「だって、今まで雪が降らなかったほうがおかしいよ。やっぱり少しは降っておかないとな」と言われました。う~ん、そういうもんなのか?

タイヤもスタッドレスじゃないから、雪が降り止んでから運転することにしました。お昼近くになってようやく雪が降り止み、恐る恐る運転。夕方母のところに戻るまでに雪は溶けてくれているかなあ。
確かにまだ三月だものね。
父が亡くなった年は四月に入ってからも雪が降り止まなかったことを思い出しました。母も同じようで二人で「あのときはすごかったよね~」と。
その父が唯一、花の名前で知っていたという君子蘭。その君子蘭が咲くと嬉しそうにしていたと母が教えてくれました。あのとき、父が亡くなった年は君子蘭は咲いてくれませんでした。それから何年かしてからようやく花が咲いたことを思い出しました。
それから毎年咲き続けています。
そのことに何か意味があるのかしらとちょっと思ってしまうのですが、自然の営みには不思議さがあるから、そこに人間の意図など介入することはないのでしょう。ただ、人間の都合良さで何かしら意味を持たせたくなるのでしょうね。

だから、君子蘭を見る度に、「今年も母のために咲いてくれている」と思ってしまいます。
父のことを思い出せるように、って。
痛む足を引きずりながらようやく玄関に行く母は、必ず君子蘭を愛でるように見ます。若い株と古い株、こんなに大きくなったんだよ、そう教えてくれます。そういいながら母の脳裏には父とふたりで過ごした時間が浮かんでいるのでしょう。
最近、本当に弱くなってしまった母。数歩歩くだけで息切れするようになりました。足は踏ん張れず、すり足で少しずつ進むようになりました。
これが暖かくなることで回復していくといいのですが・・・

話は変わって、母が楽しみにしている番組が今日あります。『大奥』
時代劇が大好きな母にとって、BSではなく地デジでの時代劇放映は珍しく期待しているようです。わたしも一緒に見ることになりそうです♪