心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

悔しい・・・

2013年07月28日 | ほんのすこし
エアコンつけずに 団扇を仰いでタオルを首に巻いて・・・って かなりがんばっている様子を書いたのに。
なんてこった・・・
夕べは すごく寝苦しくて ベッドの中 あっちに向いたり こっちに向いたり。足を高くしたり、色々なことをしながら寝苦しさから逃れようとしていた。
今朝は4時過ぎに一度目が覚め、あぁ寝苦しかったなぁと思いつつ 再度眠りに入り。それでもうっすら首に汗をかきつつ うつらうつら。

しっかり目が覚めたのは6時半。あぁこんな時間では ウォーキングは無理だろうなと思い、ぐずぐずと着替え。
まだ目がはっきりしないまま 台所のドアを開けたら・・・はぁっ?
冷や冷やとした冷気が 漂っているではありませんか!

あぁ なんたること!!
夕べ エアコンを消し忘れたまま 隣の部屋のベッドに行ったのでした。ベッドで寝苦しさを味わっているまに 誰もいない部屋でエアコンが心地よさげに 風を送っていたのだろうなと思うと 悔しくて悔しくて(笑)なんのために寝苦しい夜を過ごしたのよ!って気分。一晩中つけっぱなしにしたエアコン 電気代が無駄。なんて無駄なことをしているんだろ。エコな生活からは程遠いということに今さらながら 気付かされた今朝のわたしでした とさ、チャンチャン。

いつも通る場所に

2013年07月28日 | ほんのすこし
朝のウォーキング中。最近は同じコースを歩くようになりましたが、お寺の墓地があります。そこに通りに面した場所に こんなものがちょこんと置かれていました。

ミニカーです。
黄色のペンキが塗られていた石の上に。青いレーシングカー。
その色の組み合わせにも惹かれましたが、なぜここに?誰が?
歩きながら しばらくあれやこれやと思いながら。
置いたのは 大人かも。車の好きな人の供養のために置いたのかも。

置いていても誰も持ち去らないというのもまた そこにそれが当然あるべくして在る・・・といった感じがしました。

でも 今度歩いて行ったら なくなっているかもしれません。わたしにほんの少し 想像を与えてくれたミニカー、今はだれの手にあるのだろう。それともまだそこに在るのだろうか。すべては明日の朝に判明します(笑)
今朝は歩けなかったからね。

だんだん蒸し暑さがひどくなってきました。いよいよ夏本番突入!といった感じのする毎日。子どもたちが夏休みに入り 町にはちらほらと子どもの姿が目に付くようになりました。わたしが子どもの頃は夏休みも冬休みも同じくらいの長さでしたが、今は夏休みの方が長いのかな。夏休みになるとすぐに母の田舎に弟と一緒に行って過ごしていたことをよく思いだします。
砂利道を子どもの足で2時間以上は歩いていたでしょうか。蝉の鳴き声が聞こえる中 青い空を見上げながら 途中にある脇水をすくい取っては「美味しい!」と喉をうるおし、道端の雑草らしき花を取ったり 祖母の後ろ姿を見ながら 弟とふたりで楽しみながら歩いている その時の様子が浮かんできます。夏の一日といえば その道をどんどん歩いているときのことを思い出します。まるで時間というものはゆったりと通り過ぎていくもんだとばかりに 暑さとか気にならず 乾いた緑色の世界は日を浴びて眩しく目に入ってきました。大人になって 暑さを憂うことばかり考えてしまうのですが、あの頃のわたしは なんであんなにも夏を簡単に受け入れていたんだろうと ふと蒸し蒸しした空間にいると思ってしまいます。

子どもの頃 味わったあのなんともいえず豊かな時間を持てたこと 母に感謝したい気持ちがあります。母としては夏休みの間 子どもたちから解放されてホッとできたということもあるのでしょうけど(笑)

※※※
昨日は TSUTAYAで単行本を三冊と文庫本一冊購入。またしても読みたい本が増えてしまった。テレビを見る パソコンをいじる そんな時間を少なくして読書にふける方がいいかもしれない・・・
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ど根性

2013年07月28日 | ほんのすこし
しばらく前 何年か前かな。
ど根性大根 とか テレビで紹介されていたことがありましたが。あれ以来 結構あちこちで生えてきそうにないところから 草などが生えてきているのに目が行くようになりました。運転している分にはあまり目にとまりませんが、歩いていると目につくものです。

草は生きる力が強いんだなぁと見るたびに思います。
でも どうしてこんなところに足(根)を伸ばしてきたんだろう。
自分が出て行く場を探しても見つからなくて?他の草に邪険にされたから?
なんて想像するのもまた面白いもの。
このまま暑さにめげずにどんどん伸びていけるのか それとも人の手で取り払われるのか 先のことを考えることもなく ただ生きていくことに集中しているのだろうね。

こうしたらこうなる とか、こう行動すればこうなる あるいは こうしなかったらこういう結果になる と予測しながら 未来のこと(ちょっと先のことでも)を考えているときがあります。そして悪い結果が予想されるときに 避けて通ろうとする防御したいという気持ちが自然と出てしまいます。でもほんの少し そこを乗り越えることができれば そのずっと先には予想もしないことが待ち受けているかもしれない。
予測不可能なことって 人生にはたくさんあるけど、自分としてはあまり悪い結果ばかりを考えるのは避けたいなって思っています。悪いことって考えると悪の連鎖じゃないけど 次々に悪いことばかりが浮かんでくるし、過去に引き戻ってあれもこれもって考えてしまうし。過去はもう変えることができないから、変えることができるとすれば これから、過去にだめだったことは これから直していけばいい そんな風に思うようにしています。
だから 他の人の過去のことをとやかく言う人はあまり好みません。以前 集まりがあって 遅れていったことがありましたが、私が入って行ったらそれまで話していただろうという雰囲気がピタッと止んで 「あら~いらっしゃい」とみんながこっちを振り向いたことがありました。そのとき 何か不自然さを感じたのですが。後で そこにいた方からそのときの話題になっていたことを伺う機会がありました。先に立っている方が わたしのことを話していたそうです。それもあまり良い感じには話していなかったようです。わたしは その内容についても驚きましたが、その方とは結構仲良く付き合ってきたつもりでしたので、ショックでした。
わたしのことをそんなによく知らない人もいる中で話題にするというのは どういうものかと。あれ以来 わたしの中でその方とは距離を置くべきだろうなという思いがあります。

誉めるのなら どんどん知らない人がいるときでも話題にしていいと思うのです。言われている本人が知らないところで 誤解されるような内容を話す それって・・・なんだかもやもやした気分が続いています。人とつきあっていくというのは難しいなぁ・・・まぁいつか偶然会ったとして さりげなく声をかけれたらいいなと思っています。

でも 気にしないことにするのが一番ですね。

あっタイトルのど根性からずいぶんはずれてしまいました(笑)ど根性どころか 愚痴じゃありませんか。

夕べは久しぶりにKちゃんからお誘いがあって 出かけてきました。加齢による色々な症状についての話で盛り上がるようになってきました(笑)それにしても 元気の源「タイガース」の公演早速チケット取ったなんて やっぱりKちゃんは違うわぁ。そして「いいよいいよ 行っておいで」と快く言ってくれる旦那様なんだね。もっとたくさん話したかったけど なんとなく体調がまだいまいちな雰囲気の彼女。わたしが朝ウォーキングしている話をしたら ここから歩いて帰る!と言い始め この時間に?と引きとめましたが、決意は固く 遅い時間にもかかわらず片道30分だという家路まで歩いて帰ったのでした。そういうわたしは 今朝 日課のウォーキング 寝坊して出来ませんでした!(しょぼい)