大好きな絵本で 朗読の練習をする。
何度も読んでいるので いいかと思うとそうでもない。毎回 どこか変な読み方だというところを見つけてしまう。特にこの『手ぶくろを買いに』(新美南吉:作 黒井健:絵)は 難しい。何が難しいかというと後半途中にある人間のお母さんが子供に歌を歌って聞かせている場面だ。
有名な子守唄♪眠れ 眠れ ~母の胸に 眠れ 眠れ 母の手に~♪が入っている。
朗読している声のままで 歌おうとすると地声で歌わなくてはならず、低すぎてお母さんの優しい雰囲気からは程遠くなってしまう。かといって そこにきて裏声(ファルセット)で歌えるかというと 急に変えることがなかなかできない。聴いている人が違和感を抱かないような変化をしなくてはならないので これはすごく訓練が必要だなあと痛感。
何度も練習するしかないだろうな。
別にどこかで朗読を披露するわけでもないけど(今はすっかり読み聞かせや朗読をする機会がなくなってしまった)ときどき練習をしている。本棚にある絵本や詩集(特に長田弘や谷川俊太郎)を手にし 読むことが多い。黙読と違って 声に出して読むと、その言葉がずっしりと重く感じるものだ。
読みながら 子供たちの前で読んでいた頃を感慨深く思いだす。あの子たちはもう小学校高学年になっているだろうな。温泉で知り合った子もいたなぁ。そんなことを思いだす。実家から結婚前に買っていた絵本が何冊か出てきた。古くセピア色に変色している表紙を見て 時の移ろいを感じた。好きな本は 捨てられない。こうして時が経っても 今まだ新鮮に目に飛び込んでくる。この『手ぶくろを買いに』もその一つだ。虫食いもなく 綺麗な状態で残っていた。母がわたしや弟の物を捨てずに取って置いたから こうしてここにある。ありがたいことだなと思う。
子供の頃や若い頃は 何が必要な物なのかなどわからずに過ごしていた。年を経て 自分にとって大事な物があったということ それがまだ残っていたということを知るのはなんと嬉しいことだろうか。
新旧混ざった絵本を見ながら 今日はどれを読んでみようかと思案するのもまた楽しいひとときだ♪
注:この『手ぶくろを買いに』は 旧仮名遣いを新かなづかいに直しているが、原文どおり。
何度も読んでいるので いいかと思うとそうでもない。毎回 どこか変な読み方だというところを見つけてしまう。特にこの『手ぶくろを買いに』(新美南吉:作 黒井健:絵)は 難しい。何が難しいかというと後半途中にある人間のお母さんが子供に歌を歌って聞かせている場面だ。
有名な子守唄♪眠れ 眠れ ~母の胸に 眠れ 眠れ 母の手に~♪が入っている。
朗読している声のままで 歌おうとすると地声で歌わなくてはならず、低すぎてお母さんの優しい雰囲気からは程遠くなってしまう。かといって そこにきて裏声(ファルセット)で歌えるかというと 急に変えることがなかなかできない。聴いている人が違和感を抱かないような変化をしなくてはならないので これはすごく訓練が必要だなあと痛感。
何度も練習するしかないだろうな。
別にどこかで朗読を披露するわけでもないけど(今はすっかり読み聞かせや朗読をする機会がなくなってしまった)ときどき練習をしている。本棚にある絵本や詩集(特に長田弘や谷川俊太郎)を手にし 読むことが多い。黙読と違って 声に出して読むと、その言葉がずっしりと重く感じるものだ。
読みながら 子供たちの前で読んでいた頃を感慨深く思いだす。あの子たちはもう小学校高学年になっているだろうな。温泉で知り合った子もいたなぁ。そんなことを思いだす。実家から結婚前に買っていた絵本が何冊か出てきた。古くセピア色に変色している表紙を見て 時の移ろいを感じた。好きな本は 捨てられない。こうして時が経っても 今まだ新鮮に目に飛び込んでくる。この『手ぶくろを買いに』もその一つだ。虫食いもなく 綺麗な状態で残っていた。母がわたしや弟の物を捨てずに取って置いたから こうしてここにある。ありがたいことだなと思う。
子供の頃や若い頃は 何が必要な物なのかなどわからずに過ごしていた。年を経て 自分にとって大事な物があったということ それがまだ残っていたということを知るのはなんと嬉しいことだろうか。
新旧混ざった絵本を見ながら 今日はどれを読んでみようかと思案するのもまた楽しいひとときだ♪
注:この『手ぶくろを買いに』は 旧仮名遣いを新かなづかいに直しているが、原文どおり。