心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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ようやく

2018年06月21日 | ほんのすこし
しばらく更新できずにいましたが、ようやく母の容態も落ち着き、先生から太鼓判? をいただきました。

食欲もあり、苦しかった咳もおとなしくなりました。わたしはまだ咳が残っていますが(笑)

毎日病室に通い、色々なことを思いました。入院されている様々な方と触れあい、色々なことを考えさせられました。母はすでにもう何度も入院生活を経験しているので、大先輩ですが、それでもここ数年は入院から遠のいていました。わたしは付き添いという立場がどんなものなのかなどちっとも知らず(何度か経験しているにも関わらず)、母から見れば「何やっているんだ、お前は・・」といった感じがあったと思います。

家族が毎日来る人もいるし、誰も来ない人もいます。母が
「お前は娘が遠いからなあ」と言いました。わたしが入院したときのことを考えたのでしょう。自分はわたしという娘がそばにいるからいいけど、お前が入院したらすぐにそばにいてくれる人がいないだろうという危惧を出したのだと思います。
「入院するようなことにならないようにするよ」
そう言うと、母はどうなんだか、といった顔でわたしを見ていました。自分が入院していることを棚に上げて、娘の行く末を案じていたのです。というのもわたしの風邪の具合があまり良くなくて、咳の様子を見るたびに不安だけが残っていたのでした。
そういう私自身もここに来てなんということなく不安な気持ち。

どこに行っても今の風邪はたちが悪いという噂が。
長引くというのも聞いています。
叔母もずっと治らず。
わたしが発端になったのかなとがっくりきますが、なんとかその汚名を晴らさなくては。早く回復して元気な姿を見せなくては。
そんな気持ちでいます。

叔母よりもわたしよりも入院していた母が一番回復が早く、元気になっているなと思います。先生も嬉しそうでした。「このまま帰ったら死にますよ」とわたしに言った先生。それほどひどい状況だったのかと改めて驚いたわたし。その頃母は何がなんだかわからずひたすら疲れて何も覚えていないという状態でした。入院その日のことは何も覚えていなかったようです。それでも先生が肺炎の原因究明をしてくださって、的確な処置をしてくださったおかげですっかり良くなりました。
本当に有り難いなと思います。
点滴が入らず、体のあちこちにあざをつけて、頑張った母。それを見ながら「もう入院はできないね。こんなに点滴できないんだから」と話していました。そうだね、絶対入院しないようにしようよね、って頷いたわたしです。

明日はゆっくりお風呂に入ろうね。