心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』

2018年12月16日 | ほんのすこし
どこかで目にしていて、上京した折だったかなあ。頭の隅に引っかかっていて。タイトルが気になっていた。

帰郷してから、ネットで欲しい本があり、ついでに(失礼)何か他に一緒に注文するものはないかなと探してみた。すると、気になっていた本が出てきた。さらに東京で見つけた〈器〉の本もあった。かこさとしさんの最後の本もあった。どれも前から気になっていた本ばかりだ。

届いてまだそんなに日が経っていない。昨日、パラパラと読み始め、自分が思っていたのと違うことに気がついた。
幡野さんは昨年余命三年と宣告された方だった。フリーのカメラマン。ブログで、残される息子と妻へ言葉と写真を残そうと思ったという。

息子に「優しさ」を求める幡野さん。そのために名前を「優」と名付けたいと思った。そのとき彼がしたことは二・三か月自分の名前の広志を「優」に変えて仕事をするというだった。名刺も交渉時の名前も「幡野優」で通した。その経験を通して「優」という名前になったらどんな感じなのかを肌に感じた。その上で生まれてくる子供に「優」と名付けた。一生、その名前で呼ばれ続けることに対し、名付けた親は子供の気持ちになってみることが必要だと。
びっくりした。びっくりだ。
でも、確かに親は期待をこめて名付けるけど、子供がその名前でどんな風に周りから見られるか、までは考えていただろうか。
優しい人でありますように、という願い。子供にその思いを込めて名付ける幡野さん。幡野さんは書いている。子供に優しくなってほしいと願うなら、それを見せるのは親の姿だと。親が優しさとはどういうものなのかを見せてあげないといけないと。

優しさについての項目が続く。「優しい虐待」「優しさは強さ」・・・
そして息子と友人とのこと。その中には「嫌な人からの逃げ方」とか、「一人旅のすすめ」とか・・・

生と死についても。

カメラマンとして、狩猟家としての彼の言葉がじんじんと心に響く。

彼の言葉はこの本だけではなく、ブログという媒体を通して今も継続している。

幡野広志

多くの方に読んでほしいと思う。
優しさに溢れた、愛に溢れた世界がそこにはある。