一人暮らしは今に始まったことではない。すでにアパートで16年は過ごしていた。
だから逆に一人で生活することには慣れていると思う。ただその16年間は一日の内で数時間は母と一緒にいる時間があったから、今のこの一日中ひとりの状況は違うといっていいだろう。そしてアパート住まいと一戸建てとの違いもある。
戸惑うことも多く、今は少しずつ与えられた状況を受け入れていくしかない。
これからどのくらい生きていくのか、自分に与えられた命はどの程度なのか、想像もつかないが、一日一日が前よりずっと惜しい時間だということはわかる。今はただぼーっとしていることが多いけど、自分がやること、やれることを探すことが今のわたしには必要だと思える。
母がいたときは、母に聞けばよかった。わたしがしたことについての批評や感想を聞くのも楽しかった。母はわたしが何かに挑戦することを喜ばしく思っていた。背中を押してくれていると感じることが多かった。それは何かをやろうとするときの大きな励みでもあった。
その励みをくれた人がいない今、わたしは自分を見失っている。わたしは何をしたいのか。これでいいのか。
探すことを忘れてはいないか。
人生という限りある日々をどう生きたか、どう生きていたか、振り返ったときに自分で自分の頭をなでてあげることができるか、今のわたしには遠く、果てしなく遠くにある自分の姿だ。
迷いの中で見えるものはあるだろうか。目指すものを探し出せるだろうか。
眠れない夜に暗闇に向かい手をさしのべ、何かを掴むことはできるのだろうか。掴みきれずに両手を握りしめて、手のぬくもりがあるだけでホッと胸をなでおろす。生きているんだな、わたしひとりが生きているんだな。離れていても心配してくれる人達はいる。だけど、毎日の暮らしはひとりだ。ひとりでしっかり地に足をつけて、「暮らしていく」こと、取捨選択すべきことが沢山ある。無駄を無くし、必要不可欠がなんであるかを知ること、これまで以上に家計を見つめ直すこと、生きていくためにこれまで自分がしてきた大いなる勘違いを軌道修正すべきだと、母が何度も懸念して言ってきたことを思い出す。
人は収入以上のものを求めてはいけない。あるものをいかに上手く使いこなすか、だと。
その点に関しては反省だらけだ。
最近見つけた言葉に、ネットでショッピングするときの注意があった。
「夜中に買い物をするな、判断能力が鈍っているから。欲しい! と思っても即クリックするな、次の日にもう一度考えると案外必要でないものが多い。」
・・・確かに・・・今までは「これ、ちょっといいかも」と思うと、後先考えずにクリックしていた。買っても使いこなせていないものも多かった。あるもので使えるのにわざわざ商品を買わなくても・・・という母の言葉を思い出す。
それを買うことで「作業をした、仕事をした」気になっていただけなのだ。
大いなる反省は日々出てくるだろう。ここに記しておくことにする。反省の中から何かが見えてくるやもしれない。