心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
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配色

2012年11月03日 | ほんのすこし
グレーに赤。好きな組み合わせだ。
配分も グレーが多く 射し色で赤といった感じが好きだ。
そういう配分のものを視覚にとらえたとき なんとなく目に留まる。好きなものってやはりアンテナに入ってくるのだろうね。クラフトテープでバッグを作っていたときも この配色はいいなと思っていた。
そう思っていたら 先日 駐車場で見つけた。おぉっ!まさしくグレーに赤ではありませんか!
見事だねぇ。この色の配分。しばし 見とれておりました(笑)

この世には色が溢れている。色だらけといってもいい。その中から 自分好みの色を選んで その色に染まる。染まるというのは変か・・・その色を纏うといったほうが合っているか・・・自分自身がまとわなくても 自分の周りにそういう色を置く。それが実に落ち着く。そういう空間にいる自分というものに 安堵感を感じる。
色というものは不思議なものだ。

もし色が無かったら・・・ふと考えた。
色を認識しない世界 濃淡だけの世界 その中にいる自分というものは一体どんな風に映るのだろう。そして自分はどう感じるのだろう。
昔の無声映画の世界か・・・白黒の写真の世界か・・・見えている現実は色がついているのに 出来上がった世界はモノクロで濃淡でのみ再現されている世界。カラーに移ったというのは 画期的でもあり、それまでの世界を隅におしやってしまう威力があった。でも カラーではないモノクロの世界にあるある種独特の雰囲気は 目に見えている現実の色を抑え、見ている者に平等にその場面を感じさせる(色という点に関して)ということがあると思う。なぜなら 色には人それぞれの思いがあるからだ。

色。それぞれに感じるものがある・・・とわたしは思う。
固定概念で 青は冷たい とか 暖色系はどうのこうのという以前のことで、自分が好む色が目に入ってくるということ。それは自分という個の存在感を示す一つの主張でもあるように思う。個性を発揮する部分といったらいいか・・・
その色と色のつながり 配分が この世にはいくつも存在する。その中からチョイスする配色、好きな配色 それはまさしく個性ではないかなと ふと思った。
たとえば 先に述べたクラフトテープのバッグ。テキストや本では こういう配色で・・・と書かれているけれど、好きな色を選んで といえば、そこにいる人それぞれが選ぶテープの色はさまざまだ。集まった人の中にはテキスト通りの配色でないとだめな方もいるが、自分なりに選びたいという人が多い。それはその人それぞれに色に対するイメージが自分の中にあるからではないかと思う。そしてその色を選んだということに個性があるのでは?と思うのだ。

わたしの中のグレーと赤の組み合わせもまた然り。このなんともいえない組み合わせのものに出会ったときに 自分のものにしたい!という気持ちが沸々とわきあがってくる。先日 値段の高い店で働いている方に用事があって出かけて行ったときに、そこに飾ってあったコート、それがまたばっちりグレーと赤!表面はグレーで裾にほんの少し赤が見え隠れするというなんという色の配分!その素敵さに うっとり。あぁ これいいな・・・で 値段を見る。・・・無理(笑)

帰ってきて 自分に言い訳する。
どうせ 着ても似合わなかったよ、それにコートは他にもあるし、無理して買う必要(ここが大事ね)ないし。
なのに なのに 今になっても 目の前にあのコートが目にちらついているのは なぜ?
それを正当化しようと 色の配色なんて書いているのかもしれない(笑)

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