1970年から1976年まで少年ジャンプに連載された人気漫画
『ど根性ガエル』が主演松山ケンイチで実写化される。
原作は大人気だったが、アニメのほうも大ヒットだった。
1969年から連載が開始された『ドラえもん』の登場人物にジャイアン
がいるが、この設定は藤子世界の定番だった。
『ど根性ガエル』はそうした設定を継承して「ゴリライモ」というあだ名
の少年を登場させている。ヒロシは藤子不二雄世界での「のび太
(ドラえもん)」や「正ちゃん(オバケのQ太郎)」のような設定だ。
当然、しずかちゃんやよっちゃんと同じ立ち位置の設定で京子ちゃんと
いう少女が出てくる。
ただ、藤子ワールドと異なるのは、『ど根性ガエル』は完全学園コメディ
にしているところで、少年どたばた学園物としての金字塔のような作品と
なった。寿司職人の梅さんなどという濃いキャラも出てくる。
最終話はその後の『グーグーガンモ』のように悲しい物語にはしなかった。
ハッピーエンドである。
(『グーグーガンモ』の最終話は『オバケのQ太郎』のアナザーストーリー
である藤子本人の作品『劇画 オバケのQ太郎』のように非常に不条理の
悲哀を描いた秀逸な作となっている。ただし、細野不二彦が描く最終話は
藤子不二雄のドラスティックな結末のそれとは異なり、まるで映画『時を
かける少女(2010)』のラストシーンのように抒情的で物悲しく胸を打つ。)
7月からスタートの実写ドラマの設定は30歳になったヒロシということらしい。
アニメ版のタッチが宮崎駿に似ているのは、作画の人脈ルーツが同じだから。
ネットでは原作についてこう説明されている。
あのなぁ・・・。
ヒロシとピョン吉の出会いも物語の舞台も練馬だよ、ネ・リ・マ!
練馬大根が獲れる練馬だよ。練馬のどこが下町なんだよ。ったく。
田川や飯塚の人間を「博多っ子」とは言わないように、練馬は東京
の下町でもなんでもない。ドが付く郊外だ。
これじゃ、葛飾柴又生まれで帝釈天で産湯をつかった奴を江戸っ子
だと言うようなもんじゃねーか!
わかってねえなあ(笑)。
ピョン吉のいた公園は石神井公園だろうね。ザ・練馬だ。
でも以前、友だち同士でファミレスに行った時、練馬区出身の奴ら
(桜台と石神井公園)がどちらが池袋に近いか、綺麗な住宅地かで
「うちのほうが都会だ」と練馬のイナカモン争いをしていたが、どっちも
ネリマだよ、ネリマ。ネリカンブルースと練馬大根のネリマ。
ちなみに、『魔法使いサリー』の舞台も練馬な。
うちの娘は小学生の時に好んでピョン吉Tシャツを着ていた。
私がアメ横でお土産に買ってきたものだ。
娘はうちにあった漫画『ど根性ガエル』を読んで作品をいたく
好きになったらしく、こっそりこのTシャツを買ってきてプレゼント
したときにはめちゃくちゃ喜んでいた。
だが、何度も着ては洗ってを繰り返し、何度も好んで着るので
すぐにボロボロになってしまった。
それでも捨てずに大切に取ってある。
名作漫画は時代を超えるのだなぁと実感した。
小説でも歌でも、よい作品というのはそうだよね。
この『ど根性ガエル』と同時代の『あしたのジョー』にしても、もう
45年前の作品だよ。
名作は不朽性を持つ。それは本物が持つ力だ。
人に愛されるというものは、時代を超えるのだと知る。
ただ、時の流れの速度と社会の成熟度は一致しはしない。
戦後高度経済成長期に現在に続く日本はすでに作られていた。
45年前と今現在は電子通信機器類が発達した程度で、現在とそう
大して全般的には変わらない。
しかし私が生まれた1960年は侍がいた江戸時代から100年
経っていない時代だし、そこから45年前はロシア革命さえ起きて
いない。1960年から45年前の世の中は1960年時点とは全世界
地球規模で全く異なった。
やはり、WW2の大戦後に地球レベルでの世の中が形成されて
きたことが見えてくる。各国の経済格差や社会的成熟度は、その
戦後体制の中での発達度がどの程度かという程の事でしかない。
ただし、現行の情勢とは若干異なる面もある。
中国の発展がかなり遅れたのは意外だったけどね。
南北朝鮮も、立国当初は北朝鮮が先進工業国で韓国が遅れた
農業国だったなどという歴史的現実を今知る若い人も少ないだろう。
それと宇宙開発の最先端技術は、アメリカ合衆国よりもソヴィエト
連邦のほうがずっと進んでいたという現実も知らない人が多いだろう。
ただ、東西対立の中で、東側の大国にして世界最大の後進国だった
中国が現在のように日本を抜いて世界第二位の経済大国になると
いうのは1960年代にはまったく想像つかなかった。
過日、若い女性に「俺が大学の頃の中国は、みんな人民服着て
自転車に乗っていた。自動車などはほとんど走っていなかった」と
話したら「嘘だそれ。ありえんわぁ」と言っていたが、現実は現実で
事実は事実だ。