渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

西島三重子 「池上線」の検証 ~私的音楽論~

2015年05月09日 | open



池上線 西島三重子 1976

名曲『池上線』(1976)の歌詞を
検証する。

どうしても腑に落ちない点が
あるからだ。


「池上線に隙間風などない」とか
いう感想は検証から外す。

なぜならば、ドアのそばに立った
からとドアからの隙間風
ではなく、
窓や車両連結部を通りぬける風は
確実にある
からだ。実際にあった。
それに実際に旧車両は板張りだし、
隙間風が漏れていたのは事実。
実際に79年頃によく乗ったから
知っている。


東急線の沿線には、駅前に必ずと
いっていいほどフルーツ
ショップ
があるので、これも検討から外す。
当たり前のこと
だったからだ。
現在ではなぜかケンタッキーに
なっている駅も複数ある。


さて、シチュエーションについて
設定を見てみよう。


オープニング(二人の立ち位置)

 古い電車のドアのそば
 二人は黙って立っていた
 話す言葉をさがしながら
 すきま風に震えて

ここはこの通りだろう。
問題は次と二番の歌詞なのだ。

 いくつ駅を過ぎたのか
 忘れてあなたに聞いたのに
 じっと私を見つめながら
 ごめんねなんて言ったわ

さて、ここでは駅をいくつか
通過している。

ドアのそばに立っていたのは、
席が埋まっていたからか。

あるいはあえて、立ったのか。
駅をいくつ過ぎたのかをなぜ
「私」が尋ねるのか?
「あなた」よりも池上線の走る
町に住んでいる「私」のほうが
詳しいはずなのになぜ尋ねるのか。
それはある駅で別れが待って
いるからだろう。カウントダウン
におびえながら「私」は「あなた」
に尋ねてみたが、「あなた」は
「ごめんね」と答える。
これは泣きたくなるよなぁ、うん、
この女心は解るような気もする。
けれど、「私」は気丈でいようと
自分を叱咤して白いハンカチを握り
しめる。このあたりすごくいい。

そして、ここで二人が乗っている
池上線は上りなのか下り
なのか。
二番の歌詞にそのヒントが出て
くるが、一番はサビに入って行く。


 泣いてはダメだと
 胸にきかせて

 白いハンカチを
 握りしめたの

 池上線が走る町に
 あなたは二度と来ないのね
 池上線に揺られながら
 今日も帰る私なの

さてさて。つまり今現在の「私」
は、池上線に乗って帰る
という
状態であり、池上線に乗っての
「あなた」との別れの
回想を歌っ
ていることがわかる。
ということは、五反田発の下り
ならば、五反田からかなりいくつ
も駅を過ぎた場所にある駅に帰る
ことになる。
逆に蒲田からの上りならば、蒲田
からいくつも駅を過ぎたところに
ある駅に帰ることになる。


二番に入る。

 終電時刻を確かめて
 あなたは私と駅を出た
 角のフルーツショップだけが
 灯りともす夜更けに

ここで、一つのシチュエーション
の疑問が発生する。

終電時刻を確かめて駅を出たと
いうことは、「私」の住む
ところ
に「あなた」が来てからどこかに
帰るということだ。タクシーを
使わないのならば、「あなた」は
東急池上線の終電時刻(来た時と
逆方向行き)でも帰宅できる
どこかに住んでいることになる。
心象風景としては、「あなたは
私と駅を出た」という一緒に共
に同じ道を歩くこととは裏腹に

「私」と「あなた」は決して
交わ
らない、二人の間にはさっきまで
の電車の中のように隙間風が吹い
ているのである。
このあたりは、「互いに好きなの
に別れなければならない何らかの
事情」を色濃く反映させている
ように私には思える。

ちなみに、池上線の駅前のフルーツ
ショップというのは、
なぜかしら
最終便近くまで開店している店が
多かった。


 商店街を通り抜け
 踏切渡った時だわね

原詩は「時だったわね」なのだが、
西島さんは「時だわね」と歌って
いる。
さて、この詩の少ない情報から、
上りなのか下りなのか、駅はどこ
である
のかがほぼ特定できるの
ではないかと想像した。

池上線のホームは改札がプラット
ホームの両端ではなく片側に
ある。
(2020年現在改築により変貌)

しかも、駅の横に踏み切りは隣接
している。これは上り下り
の両端
に踏切がある。
しかし改札は片方にしかない場合
が多い。

駅に下りてから商店街を抜けて
踏切を渡る。渡るということは、
下りた側に家があるのではなく、
踏切を渡って今乗って来た電車
の側とは逆方向に家があると
いうことになる。

だが、池上線の駅を下車してから
は、こうしたルートでは通常は
歩行しない。
駅を降りてすぐに踏切を渡って
向こう側にいける駅
ばかりだから
だ。たった一つの駅を除いては。

それは、東急大井町線と十字に
交差する旗の台駅だ。

しかも大井町線は駅付近は高架
になっているので踏切はない。

踏切があるのは地上を走る池上線
の踏み切り、もしくは大井町線の
駅から離れた地上部分の踏み切り
ということになる。 


だが、池上線だとしたならば、
歌詞では下りてすぐの踏み切り
ではなく、
商店街を抜けてから
踏切を渡って逆方向、線路を
挟んで向こう側に
向かっている。
ところが、現場の地図(1976年
当時と配置は変わっていない)
を精査
してみても、どうにも
整合性が取れない。
ルートとして、商店街を
通り
ぬけてから踏切を渡るという場所
がないのだ。踏切を渡るならば
商店街を抜けずにすぐに踏切を
渡ってから向こうに行ける。

片っ端からしらみつぶしに池上線
沿線の駅を検証してみた。

どうにも該当しない。
いや、むしろ、いろいろなパターン
が考えられた。

そこで、歌詞の
 
 商店街を通りぬけ
 踏切渡った時だわね

というのは、「私」の部屋から
「あなた」が帰る時のことでは
ないかと思いついた

終電時刻を確かめて駅を出て角の
フルーツショップを黙認したのは

「私」の部屋に向かう時であり、
商店街を通りぬけて踏切を渡った
のは
帰途である、と。
「待っています」は去りゆく人
に別れる時に言う言葉
だろう。
これから「私」の部屋に行く時
の言葉ではない。
だが、なにかしらどうにも釈然
としない。


さあ、ここで迷路のドツボに
入った。

帰途であるとすると、踏切を
渡って駅に向かう池上線の駅
などは
どこにでもある、という
かすべてがそれに該当する。


参ったと思っていたが、池上線
というくらいで、五反田から下り
に乗って
終点の蒲田から二つ目
の池上駅あたりだろう、駅前の
角っちょに
フルーツショップも
あったし、と思ってズルして
ネット検索してみた。


すると、こんな記事を発見して
しまった!がび~ん!

作詞者ご本人がインタビューで
歌詞の事情をカミングアウトして
いる。

この曲の歌詞は実話をもとに
していたそうだ。

そして、物語の舞台の駅は池上駅
である。


池上駅近辺は古くから東京の
住宅街でね、池上駅も当時では
珍しく
駅前広場があって、それは
幸いに今も地上げされずに広い
駅前と
して残っている(2015年時)。
駅舎は映画のセットのような古い
ホームで、とても風情がある。

池上駅を出た下り池上線は、駅を
出てすぐに90度の急カーブを
曲が
る。単調ではない風景が広がる。




駅前の踏み切りから見た池上駅。


歌詞からして「二人」が渡ったの
は駅横のこの踏切ではない。



さて、歌は続く。

 待っていますとつぶやいたら
 突然抱いてくれたわ

 あとからあとから涙あふれて
 後ろ姿さえ見えなかったの

 池上線が走る町に

 あなたは二度と来ないのね
 池上線に揺られながら
 今日も帰る私なの

「待っています」と「私」が
つぶやいて突然抱きしめられた
という、商店街を
通りすぎて
渡った踏切というのは多分、
ここのことだろう。



この歌は回想シーンを織り込ん
でいるので、時間軸が幾多に
交差
する。

商店街を通りぬけて踏切を渡っ
た時に「待っています」と
つぶ
やいたが、抱きしめられてあと
からあとから涙があふれる。

そして涙で「後ろ姿さえ見え
なかった」のである。

だが、しか~し!
商店街を通りぬけて踏切渡る
のは、地理的にみて駅への帰り
道ではなく「私」の家への
「行き」だ。これは作者本人
により「池上駅」であることが
はっきりしているので地理的
要件から動かし難い。

しかし、「後ろ姿」というのは
去りゆく「あなた」の姿であり、
終電時刻
を確かめた池上駅に
向かうということになる。
「私」の家へ行く時ではない
のである。

ここでも時間軸が飛んでいる。
駅まで送らず、途中で立ち止ま
って別れたか、あるいは帰りに
駅に
向かって、駅に入る「あなた」
のうしろ姿なのか。

あとからあとから涙あふれた
のはいつなのか。

突然抱きしめられたのは踏切
を渡った時ではなかったのか。
抱きしめられたのは
「私」の
家に行くのは電車に一緒に乗
って来て駅を下りての「行き」
で踏切を渡った時に突然抱き
しめられた。
そこでは涙は出なかったのか。
後ろ姿は「あとからあとから
涙あふれ」たから見えなくなった。
さあ、大変。
時間軸と人間のアクションが
錯綜しているのです。

歌詞は詩なので論理の整合性
を必ずしも有しないという典型
です。

でもこれでいいのだと思う。
吉本隆明は自身を「詩人」として
いたが、彼の書く詩のクッソつま
らない
こと。彼は思想家であって
詩人ではないと思う。左脳で作る
詩なんて、
それは詩ではなく土台
のしっかりした階段付の鋼鉄製
ベッドのようなものだ。

詩はハンモックでなければ、
ゆあーんゆよーんと人の心を
包めない。

だから、池上線の歌詞は、時間
軸の錯綜と感情が湧き起こった
地点とが
複雑に入り乱れて、
「私」の揺れる思いがふわりと
した目に見えない空気のような
感情の大きな球体に体ごと包み
込まれるようにして聴く者に
届けられるのだ。

だからこそ感情移入ができる。
心に残る昭和の名曲だと私は思う。
詩と曲がマッチしてるしね。




この1976年の西島三重子さんの
雰囲気が好きだ。


私は人の声も台詞も覚えている。
言葉は言葉として覚えるのでは
なく、音として覚えるんだ。
音の旋律として。まるで野の
香りや食べ物の味を忘れない
ように、論理ではなく、感覚
として。年月なども論理的に
整理して覚えるのではない。
すべて感覚。
人の言葉は文字ではなく音で
覚えるから、人の声も忘れない。
小学校の時のクラスメートの声
も今でも覚えているもの。幼稚園
の時の先生の声や仲が良かった
子の声も覚えている。
ただ、人の声は音の調べだという
感覚は今でも変わらない。

さて、名曲『池上線』には、
36年後にアナザーストーリーで

『池上線ふたたび』という曲が
作られた。

残念ながら作詞は『池上線』の
作詞者ではない。

池上線ふたたび


この曲は曲がとても良い。
しかし、歌詞については大い
に言いたいことがある。
それを以下に述べる。


アンサーソングというものがある。
有名な加山雄三の『お嫁においで』
のアンサーソングを
天地真理が
『愛の渚』という曲で歌っている
のはあまり知られていない。

『愛の渚』は作詞岩谷時子、作曲
弾厚作(加山雄三)である。

これなどは完全に二部作といえる。
伊勢正三の『雨の物語』は『22才
の別れ』のアンサーソングで
ある。
『雨の物語』で「化粧する君」を
「僕」は後ろから見ている。

だが、『22才の別れ』ではその
化粧する「私」は「鏡に映った

貴方の姿を見つけられずに」いる
のである。

また、同じ伊勢正三の『あいつ』
はかぐや姫時代の『夏この頃』

のアナザーソングで二部作といえる。
ただし、時間軸は後年作られた
『あいつ』では山で死んだ「あいつ」、
自分の妹が好きだった「あいつ」
が死んだ直後の時を歌い、『夏
この頃』では「あいつ」が山で
死んでからしばらく経ってから
の時期を歌っている。
いずれも山で死んだ自分の親友に
思いを寄せていた妹に向けて兄が
うたう歌となっている。妹も一緒
に兄と「あいつ」と共にかつて
は山に登っていたのだろう。
それは『あいつ』の中で「春が
来たら去年と同じようにまた山
で迎えよう」「それまでにきっと
あいつの得意だった歌を覚えて
いるから」という一節で窺い知れる。
伊勢正三の曲には説明的言辞は一切
ない。どの作品でもだ。私は彼は
作曲も秀でているが、作詞にこそ
才があると感じている。抒情歌詞
のマジシャンはさだまさしだが、
伊勢正三の詩は、淡々としながら
も切なさをさりげなく運ぶ。
説明ではなく、出てくる人物に
その人の感情の発露として詩を
詠ませているからだ。これはある
種、技である。一見他の歌謡曲
などと似ているが、かなり深い
部分では特異な類に入る。
伊勢正三の詩の深層部分の基調
は中原中也に近い。
そして、『あいつ』では切ない
歌詞をメジャーコードに乗せて
うたう。
メジャーコードにより、悲哀から
春の訪れを待つ切なさと未知への
扉を見つめる心をうたいあげる。
伊勢正三はつくづく秀作を作る
人だと思い入る。個人的には
詩人+作曲家として私の中では
特別な人だ。

連作、アンサーソングの場合、
一作に対する心象風景の連鎖

があるのは当然だが、二作目
として一作目の説明をするよう
表現となると、一気に詩の
活力が半減する。

『池上線ふたたび』は、まるで
『池上線』の不明瞭ではあったが、

その時間軸と二人で歩いた場所
の錯綜こそが持ち味だった
一作目
の「私」と「あなた」の心の揺れ
をすべて説明してしまう
ような
作りになっている。

芸術表現においては、美しいもの
を「綺麗だ」、悲哀を「悲しい」

などと表現してはまったく芸術に
はならない。例えば、戦場写真

において、戦争の悲惨さを訴える
について、地面に突き刺した

ライフルに死んだ兵士のヘルメット
をぶら下げるだけでも戦争
の悲惨
さは充分に伝わる。なにも爆撃
シーンや銃撃シーンばかり
を撮る
のが戦場写真ではない。(戦場写真
は芸術ではないが)

芸術表現において説明調、直截
な表現は下手(げて)なので
ある。
これは文学でも同じで、「冷たい
風が私の頬に強くあたった」と
いう
ようなのはそれは表記だ。表記で
はなく表現とするならば
例えば「冬の風の咆哮が私の頬を
殴った」という具合に表現
するの
が文学的表現なのである。

寒々としていたところに心地
よい空気を持ち込む女性を指
して
「彼女は爽やかです」と
言うのと「やさしい春風が運ば
れて
来たような」と表現するの
ではまるで異なるのである。

『池上線ふたたび』は説明調が
強すぎて、歌詞としては完全に

失敗作のように思える。初作の
作詞者とは別人であることと、

初作者が実体験をもとにして
いたという核=コアが持つ力の
存在とは別な、
なんだか取って
つけたような空々しい歌詞に
思える。

そして、36年前に池上駅で別れ
た時に新たなシチュエーションを

加えている。36年前のあの別れを
「雨に消える後ろ姿」として
しま
っているのだ。本当に雨だった
のか?何だか薄っぺらい。
よもや「涙の雨」などという陳腐
な設定ではないだろうなと疑って
しまう。

映画でも「~ 2」や劇画でも
「続・~」を製作すると、ほとん
どが
第一作目を超えるどころか、
第一作目を台無しにしてしまう

ことが多い。
申し訳ないが、『池上線ふたたび』
も、歌詞についてはそのような

類であると私は感じるのである。
「あなたとならば死んでもいい」
というのは過去における一過性の

ことではなく、現在もその思いは
続いている、本心では続いて

いてもそれを貫けない状況がある
(死別や互いにもう別な家族が

ある等。長編本編の『大阪で生ま
れた女』のように)、そんな自分が
いる、そうだからこそ人は哀しい
のだ、という
ところになぜ作詞者は
行かなかったのだろうと私は思う
のである。

過去をただ回顧して「死んでも
いいと思ったそんな時代もあった」

などと歌っても、心には響かない。
ただの回顧で、思い出のコレク
ションめくりのように今の自分は

関係ないけど、というのだったら
今歌などにするなと思うのだ。

『卒業写真』でも、町で「あなた」
を見かけて昔と変わっていない、

でも私はこんなに変わってしまった、
私は戻れないけれどもせめて
「あなた」
はそのままでいて遠くで私を叱って

とうたう。「望んでも実現しない」
ことを認知していながらでもそれ
を望むという切なさと「昔のよう
にしてほしい」という感情の発露
の交差が『卒業写真』にも『22才の
別れ』にもあるのだが、『池上線
ふたたび』
のニュアンスはそれらと
は大きく異なる。

歌うたいが別れを「うたう」こと
の意味が、この作詞者は本当に解っ
ているの
だろうかとさえ感じるの
である。

喜多條忠の詩が心の深部に届くの
は、すべてが彼の実体験から
生まれ
た真実という核を背景にした力が
あったからだ。

そして、作詞はたとえ「創作」で
あるとはいえ、表現力以前に「説明
文」
になってしまっては歌の詩には
ならないのである。
『池上線』で「いくつ駅を過ぎた
のか」を「あなた」に尋ねたこと
の意味さえも『池上線ふたたび』
では説明してしまっている。
これはひどい。

一番おかしいなと思うのは、
『池上線』では「私」は「待っ
ています」と言ったのではなかっ
たのか。
それが『池上線ふたたび』では
「一度捨てたら二度と戻らない 
そんな落し物知りませんか」となる。
知らないよと思う。それは落し物
ではなく、「廃棄物」だろう。
「捨てる」のは遺棄であり占有離脱
であり文字通り捨てることであって、
過失で無くした「落し物」ではない。
こうしたところにも、自己美化
の心象が現れて、作詞者は初作
『池上線』の世界を台無しにして
いる。自分に言い聞かせて「白い
ハンカチをじっと握りしめた」と
いう健気な「私」を完全に消去して
しまっている。「そんな季節も
あった」の一言で。
『池上線ふたたび』においては、
心変わりしたのは自分=「私」で
あるのに、何を今さら昔を回顧し
て「一緒に死んでもいいと思った
時代もあった」などと言えるのか。
否、「私」に作詞者は言わせて
しまうのか。
この曲に言い知れない違和感と
欺瞞性を私は感じるのである。
「待っています」と言った『池上線』
の「私」はもういない。
いなくなったのは「あなた」では
なく「私」の心なのだ。
それなのに昔を回顧して「今なら
泣かない」などと歌う。空々しい
のである。
別れた後だから「あなた」はいない
のであるから自己完結になるのは
しかたないのかもしれないが、この
『池上線ふたたび』の歌詞の感情
の伏線を完結させる唯一のシチュ
エーションの設定は、「あなた」
が死んでしまってもう二度と「一緒
に死ぬ」ことが絶対に叶わなくなっ
た、という設定のみだ。
ピアフを残して飛行機事故で死ん
だセルダンのように。
だが、あれは現実だ。だからこそ
「世界がどうなってもいい。そんな
ことはあなたとの愛に比べたら大し
たことではない」というピアフの
うたう『愛の讃歌』が人の心に
肉迫するのである。
ただの創作のオハナシではないそこ
にある現実と実際にその中にいる
自分、という抜き差しならないマコト
がピアフにはあるのである。
だからこそ、人の心を打つ。
絵空事ではない本気の「うた」だか
らだ。

生きていれば、どこか遠い所に
生きていても、同じ月を見ること
ができる。
生きてさえいれば、たとえ離れ
ばなれに暮らしていても、同じ
空の下で同じ昇る太陽を見ること
ができる。同じこの星の空気を
一緒に吸っている。
もうそれだけで幸せではなかろ
うかと私は思ってしまう。極めて
個人的な感情においてだが。
ただ、「待っています」とつぶや
いた人は、「二度と戻らない」
「捨てた」「落し物」であるとは
限らない。
現に私がそれを経験している。
「待っています」と言った人は
待っていた。
だから「そんな落し物知りません
か」と問われたなら、「知りません」
と私は答えるだろう。
「人はみんな一人なのだと知って
ほしいのさ」とジョー山中は
『ララバイ・オブ・ユー』で愛す
る者へ向けてうたった。
人は生まれる時も死ぬ時も一人なのだ。
そして、一緒に死ぬことよりも、
一緒に生きることのほうがはるか
に難しい。
だけど、だからこそ、人は人を愛
せる。
たとえ遠く離れていても、愛し続け
ることができる。
「遠く離れてしまえば愛は終わる
といった」という『心の旅』は、
あれは愛であるのか疑問である。
「恋愛は華麗なる虚飾であり、
結婚は惨憺たる現実だ」と言った
のはシェークスピアだが、「恋愛」
と一言で人の情愛を括ることはでき
ない。
愛と恋とはまるで世界が異なるから
だ。奪うのが愛とは私には思えない
のである。己の幸せよりも愛する者
の幸せを願うのが愛の誠のように
私には思えるのだ。
だから、「遠く離れてしまえば愛が
終わる」のは、それは愛ではなく恋
であろうと感じる。愛は体という
肉体同士のディスタンスを超越する。
肉体は心の器でしかない。