(最近料亭に行ってないぞ、
という話の続きから)
料理って、正直でね。
値段じゃないのよ。
いくら高くても「ふざけるな
よ」と思うような味の店は結
構ある。
砂糖づけでベッタベタの日本
料理なんて最悪だよ。
魯山人は「美味しい物を食べ
るのではなく美味しく食べる」
と言ったが、そもそも不味い
物は不味い。
魯山人先生は、不味い物を食
べたことがなかったのでは、
と(笑
でもそれはないか。士族の生
まれだが、時代の中での苦労
人だし、貧乏も相当経験して
いる。家族関係などは、出生
の時からして不幸の極みだし、
その後の幼少時代も、その後
も、不幸としか云いようのな
いような時間を彼は過ごして
いた。
しかし、芸術家として世間に
認められた後は、超一級の傲
岸・傲慢・不遜・狷介・毒舌
ぶりで他者を罵倒し続けたた
め、自身が顧問だった永田町
の高級料亭星岡茶寮から追放
されてしまう。
どこかのモノカキ崩れみたい
だが、魯山人は器が違う。
ただ、思うに、やはり家族愛
に乏しい環境では、人間どう
してもとことんまで歪んでし
まうのかと魯山人を見ている
と思わずにはいられない。
寂しい人だったのだろうなぁ、
と。
と、日本の陶芸界を牛耳って
いる銀座の某陶芸店で魯山人
作のぐい飲みが売りに出され
ていた時、逡巡したがそのよ
うな感慨がふと頭をよぎり、
買わなかった。
30万円のぐい飲みだったが、
さて、魯山人は生きていたな
らば、それを安いと言ったか
それでよしと言ったか。
1/3程の金額の細川護煕氏が
作ったぐい飲みのほうが私に
は遥かに心に伝わるものがあ
ったのは確かだ。
不東庵細川氏のぐい飲みは、
一風なんの変哲もない粉引の
ぐい飲みだが、酒を注ぐと底
に沈んだ葉の文様が酒の中で
ゆらゆらと揺れて浮かび上が
ってくるという名作(私にと
って)だった。
歴史に後世まで残る日本刀の
肥後拵を考案した芸術一族の
血をそこに見た。
心のゆとり。ゆとり教育など
というまやかしではない本当
のゆとり。
それは経済的な裕福さではな
く、何か人的な潜在意識の中
に潜むある種の個人的なモラ
トリアムのようなものなのか
も知れない。
私は細川護煕氏の作にそれを
感じた。
魯山人の作品は、申し訳ない
が、鬼気迫る何か「いや~な
もの」を感じたのだ。そんな
ぐい飲みで酒を呑みたくはな
い。
芸術作品としては良いのだろ
う。だが、そこには「呑む人
のことを考える」という心は
微塵たりとも感じられなかっ
た。人間疎外を体現した物品
は、たとえどんなに優れた
「芸術作品」であろうとも、
それの空気に触れて、それを
媒介として飲食をする、とい
う気にはなれない。
人が作る作品には、作者の人
となりというもの、換言すれ
ば、人を大切に思わない傲慢
さを心的内面に満たしていた
ならば、それが必ず作品に出
るものだ。
私が魯山人のぐい飲みに感じ
た「いや~なもの」というの
は、多分それだろう。
故に、自分の選択肢として、
魯山人のその作とは縁を結ば
なかった。
ただ、「魯山人倶楽部」が作
った醤油は抜群に美味い。私
は醤油マニアだが、あの醤油
にはガツンと一発食らわされ
た。よくぞこのような醤油を
造り上げたと涙がこぼれるほ
どだった。
食の味を解す人にその醤油を
贈った。「なにこれ?・・・」
と絶句していた。
あれを超える醤油を私は未だ
知らない。
(細川護煕氏が作ったぐい飲み)