渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

映画『道頓堀川』と『ザ・レイプ』

2018年02月28日 | open


映画『道頓堀川』(1982年松竹/
監督:深作欣二/原作:宮本輝)

映画『道頓堀川』はセリフを殆ど
覚えているほどに観ている。
このオープニング開始後、画学生
の主人公邦彦(真田広之)が道頓
堀の戎橋(通称ヒッカケ橋)から
宗右衛門町のバイト先喫茶「リバー」
に戻るシーン。
ここで、バックに、『道頓堀川』
を撮影中の1982年当時に公開中の
映画『ザ・レイプ』(1982年東映
/監督:東陽一/主演:田中裕子)
の看板が写っている。上映予告看
板かも知れない。
この『ザ・レイプ』で出演した主
任弁護人役も裁判長役も裁判官役
も全員私が後に勤務する職場の弁
護士が演じていた。
主任弁護人の黒瀬勇一郎役の弁護
士は職場の所長弁護士Gだ。この人、
刀工小林康宏の高輪の自宅兼鍛錬
場を高輪再開発で地上げした時の
交渉代理人だった。
私は学生時代にこの人の著作「制
裁的損害賠償論」を読んでいて、
いたく感銘を受けていたが、後年
まさかその人が所長である事務所
にパラリーガルの正職員として就
職するとは学生時代には思って
もみなかった。
そして、後年、私がたまたま職務
で刀工小林康宏の自宅の登記関係
や現地調査業務一切をやった。
その調査報告で青山学院向かいの
顧問先デベロッパー本社のスクェ
アビルに向かう途中、映画『釣り
バカ日誌 5』が撮影されていて、
それに私が映っている。私の横を
鈴木建設社長役のスーさん(三國
連太郎)がセンチュリーに乗って
通り抜けるというシーンだ。
(たまたまだが、映画『道頓堀川』
でクズ撞球師の若者武内政夫を演
じたのは三國連太郎の実子の佐藤
浩市。私と同学年)


さて、映画『ザ・レイプ』での
裏話その一。
レイプ犯の主任弁護人である弁護
士黒瀬勇一郎役の弁護士Gは最重
要なシーンでアドリブをかませた。
被害者である田中裕子に対して、
法廷の弁護人の証人尋問で、
「貴方はその時、愛液が出ていた
のではないですか?」と言うので
ある。
監督はそのままキャメラを回した。
田中裕子はさすがに大女優で
「なっ!・・・」と言ってから、
そのまま演技を続けた。見事な
法廷劇のシーンとなった。
後年私は所長に尋ねてみた。
「本当の法廷でもあのような質問
したりするのですか?」と。
「するわきゃないだろ(笑)」との
ことだった。
また映画作品の中で、裁判長(これ
も私の職場の弁護士で、「無罪弁護
士」として日本一の腕を誇る)が黒
瀬弁護士に「誘導」を注意するシー
ンがある。これはシナリオ通りなの
だが、これに対し、黒瀬弁護士は
「これくらいいいでしょう(ニヤリ)」
と不敵な笑みを見せて呟くのだ。
う~ん、悪徳弁護士っぽい(笑)。
これについても所長のG弁護士では
なく、左陪席裁判官役の私の鈴鹿4
時間耐久ロードレース出場計画の
相方レーシングライダーだったO弁
護士に訊いてみた。「ああいうこと
言うの?」と。
すると「ああ。Gは結構あんな感じ」
とのことだった(笑)。

撮影裏話その二。
裁判官の法廷での意匠は「法服」
という黒塗りのマントのような
服を着る。裁判というものは厳粛
なものであり、傍聴者も私語は
一切禁じられている。ひどいのに
なると、そのまま拘束されて連行
監禁される。裁判こそ権威の象徴だ。
ところが、『ザ・レイプ』では、
撮影が蒸し暑い時期であり、しかも
セットスタジオは実物の裁判所法廷
内とは異なり熱気むんむんだった。
裁判官の壇の向こう側に並ぶ裁判
官役の本物弁護士たちは法服を着
ているが、下は短パンだったりし
た者もいた(笑)。
現実世界では天地がひっくり返って
もあり得ないことだが、それはあく
まで撮影上のこと。そうでもしない
と、まるで蒸し風呂の中でバイク
のレーシングスーツを着ているよう
な状態だったのだという。
もっと詳しく裏ネタをばらすと、
革のパンツを下にはいていたのだ
が、暑過ぎて地獄模様になって
きたのでそれを脱いだ、というの
である。

世の中いろいろ面白ネタがあちこちに
ある。

ちなみに、私が刀工小林康宏と出会
ったのは、私本人が康宏の第二工房
兼直販店の下町の墨田区千歳にあっ
た日本刀探求舎鍛人(かぬち)に出
向いて出会ったのだが、その数カ月
前に高輪の刀工康宏の自宅兼鍛冶場
を職務で担当していたのだった。
私が二代目康宏と出会ってから数ヵ
月後に「あれ~?あーたの勤務先私
知ってるよ」と康宏から言われて
「え?」となり、翌日職場で再確認
したら康宏本人の自宅撤去等を担当
したのが私だったという具合。
刀工名「康宏」というのを知らなか
ったので、そのようなことになって
しまったのだ。
正直、最初に撤去途中の鍛錬場(私
は途中からその案件を担当)を見て、
「こんな大都会のど真ん中で刀鍛冶?
できるのかしら。騒音とか大丈夫な
のかなぁ」とか思っていた(笑)。
すでに山梨の鍛錬場が数年前に出来
ており、本式鍛錬はそちらで行なっ
ていたのだが、康宏の自宅兼元鍛冶
場は、数階建ての古い建築ビルで、
鍛冶場風には見えず、作業場のよう
な印象だったからだ。

その刀工小林康宏の自宅の高輪再開
発地上げの最後の現地調査直後の午
後に、依頼先のデベロッパーに報告
に向かう私が青山通りを歩いている
姿が『釣りバカ日誌 5』に収められ
ているのもたまたまの偶然だが、さ
らに奇遇は続く。
その報告に行ったデベロッパーの横
には研ぎ師伊波師がいた。
私がよく通っていて、研ぎもお願い
していた研ぎ師の先生で、研ぎ師な
がら青山通りに「伊波ビル」という
自宅ビルがあり、店を開いていた。
昔は青山の路面電車の車両基地が
あったあたりだ。伊波さんが子ども
の頃は遊び場だったという。
そこの刀剣伊波で私の丸太斬り則光
は世話してもらったのだが、私は
伊波さんの研ぎが好きで、先輩たち
にも紹介したら頼んだりしていた。
一般研ぎ請けはあまりしない、有名
ではない研ぎ師さんだったが、一族
は虎ノ門に老舗大手刀剣店を構えて
いて、スティーブン・セガールの
映画でも出てくる。
皇室の御大典の際の御佩物の外装等
は一手に引き受けていたようだ。
青山の伊波さんもその一族にあたる。
その伊波さんの研ぎなのだが、実は
康宏ユーザーで刀道の先輩であった
現在六本木のワインバーを経営して
いる年上の親友がなんと康宏の研ぎ
は伊波さんに出していたのだった。

なんというかですね、どこまで繋が
るこのリンク、という感じなのです
よね。
私の周囲ではこのようなことがとて
も多い。多すぎる。枚挙にいとまが
ないというのは大げさだが、こうし
た例は十数例に及ぶ。
あなおそろしや(笑)。

今度その奇縁をまとめてみようかしら。
連鎖短編小説のネタになりそう。
「凶銃ルガー」みたいな(笑)。